恋愛攻略

2009年6月20日 ゲーム
好感度とかちまちまやってて思ったんだが、
僕攻略するの骨が折れるだろうな。

というか、まず会えないじゃん。
誰とも会わないようにしてるからな。

会えない方からしたらえらい厄介だなこれは。
恋愛シミュで学ぶ客観的自己像。

芸術とは

2009年6月20日 ゲーム
芸術とはなんだと思う?

天才はいかにうつをてなずけたか、っつー、
あんまりにもあんまりな本をぱらぱらっと読んだ。

たまに天才に対してアプローチしている本をつまんで読むが、
だいたい天才の創造性と鬱屈した精神状態とは、
相互に何らかの関係はあるだろうというのはよくある意見だ。

その中でこの本は一点、むしろ天才は精神病の素養を創造性によって緩和し、
それができない人間が精神病的症状を発し、
またその為に天才は創作活動に方向付けされているのではないかと説く。
これは天才的能力を持ちながら創造性を発揮しない人々もまた、
多くいることから発せられている。

この考えは面白い。

が、違うだろうな。
モニターのノイズが誤魔化せないほど悪化している。

それまでデータを表示するだけだったものが、
壊れかけて壊れるまでの間だけ、
これでもかというほど自身が様々な中身でできた機械である事を主張する。

そういうのが、興味深い。

体が破けて原初が飛び出てきているようだ。

人が健康を損なう時や、自然がその調和を乱す時など、
それは確かに僕らの意識に何らかのものを届けてくれる。

壊れていくさまを見ていると、そこに原初の力が働いているのを感じる。
同じ様に何かが生まれる場所では、原初がその姿を人にわずかだけ見止めさせてくれる。

脳ロケット

2009年6月19日 ゲーム
マモーさんとはいいお友達になれそうな気がするわ・・・

あと、冠が僕内で神ゲー認定されつつある。

はっ

2009年6月19日 ゲーム
やったーツンデレでてきたー\(^o^)/
111さんの紹介してた冠を持つ神の手おもしろー
ヴァイルかわいいよヴァイル。

嫁ゲットしつつ王座頂く狙いだったのに、普通に王ルート行けねぇ。
でも王配生活もいいかな・・・なんて・・・
しかしこれ、同性ならまさかの百合エンドかと思いきや、
なんというトラウマエンド・・・
この練り込みで鬼分岐シミュ作られたら、そりゃキャラも生きるわ~
隠しキャラ2人目に小汚いおっさんが出てきた所で、
僕は萌えキャラを諦めた。ティントアさん何で男なんだ・・・

http://wheat.sakura.ne.jp/w/game/crown/
シューティングゲームを作る!

まずその考えに至った経緯を教えよう。
僕のゲームはどうにも、遅い。
なんか、遅い。
そして、ちまい。
つまり、データのやりくりばっかりに主眼を置いている。
だからボブフワアーーー!!となるタイプのゲームを作ってみたい。
お手軽なところでシューティングゲームだ!

しかし僕は知っている。
シューターという宇宙怪人達の存在を。
シューティングはよく知らないが。
シューターの悪行の数々は耳に届いておるわ!
なればこそ、ノーマルシューティングを作るわけにはゆかぬ。
外道には外道を、宇宙怪人には宇宙怪人をだ!

戦車とかどうだ!
遅え・・・

ギャラクシーシューティング。
んー、視点が同じなんだよな。考えてるカゴが同じだ。
もっとおいおいなんだそりゃ的な分野を織り交ぜてー

少女趣味的な・・・
シューターの一番縁遠い文化圏って何だ?
車か!いやいや・・・

巨大戦艦の横側砲手という趣向はどうだ。
むーまだまだ男分が濃いな。
もっとクリティカルに脳的死角をえぐるような・・・

はっこれはエターナルストリームの流れ!?

バスタードのアウゴエイデス対アウゴエイデスみたいなのやりたいな。
足元で人類つぶれまくる感じの。
ただスクロールのスピード感は欲しいんだよなーむぎゅぎゅ

敵だけ疑似空間座標付きでハエみたいにわーと来たのを、
ビームでずばばばーって感じ。面白いのかこれ・・
舞台を地球じゃなくコロニー上とかにしたらスクロール感は確保できるかな?
でも宇宙の星の光ってあれ、本当は後ろに流れたりしないんだぜ。

もちドット。
俺が死ぬか、俺が死ぬか、勝負!
気を失いそうな孤独の中で僕は、
いもしない彼女の名を呼んでいた。

気がつくと、湯船の上で水分子達が踊っていた。
もちろん実際の水分子は踊っていない。
僕の中の認識保持情報に介入して、
水分子を踊っているように書き替えたのだ。

なんて綺麗なんだろうか。

人には創り出せない光景だ。
何とか僕もこれに近い力を修得して、
退屈に取り囲まれた人達に本当に面白いものを届けてあげたい。
灰で瓶詰めされたゴミような私ですが、
最近一人お気に入りの絵描きさんを見つけて喜んでいました。

そしてその絵描きさんが好きな絵描きさんが、
またしても僕は好きになりました。

なぜならその二人目の絵描きさんの文章を読んだ時、
何かぐわっとした気持ちが湧いたからです。

この気持ちが湧くとプレッシャーや嫌悪感が感じなくなる。
もうずっと感じていなかった気持ちでした。

僕はその気持ちの源が何であるのか分析しようと思った。
そして心底うんざりしたのだ。

僕は二人目の彼女の拍手ボタンを押す事にした。
あろうことか、拍手絵がないではないか!

僕は八つ当たりで10回押した。
ふん、最近じゃ珍しくもない絵柄じゃないか。

駄目だね。
予言してやるよ、この人は必ずいずれ絵が嫌いになる。

そういえば一人目もそんなに好きじゃないような気がしてきたぞ。
よくある絵柄じゃないか。ふん、だまされるところだったな。

-

たまに人の絵をだめだと言っている人がいるが、
あれは殺されてもおかしくない。

とくに相手に届かないと思って言っている人間だ。
あれは注意してやらねばな。死ぬよ。

いい例えを思いついたな。絵をけなされるというのは、
性器をけなされるのと全く同じようなものなのです。

まったく、けなす人というのは甘ちゃんですわ。
死ですよ、死。ぬるい、まったく。

なにもわかっちゃいないんだ。なにを蹴飛ばしているのかも。
それは竜のちんこですよ。まじ死ぬ。

ああ、人がいっぱいいる・・・
帰ろう・・・

こやつ、なんぞ絵描きのくせにこげなようさん企画参加しとるのか!
ぜんぜん部外者見ること考えてねえ。
だがそれがいい。ブツ切れの構成を理解しようとする作用が、
この僕のクソのような脳を少しだけ楽しませてくれる。
よくこんなわけのわからぬ絵に、わけのわからぬ感想を書けるものだ。
さっぱりわからない。
このよく分からぬ絵を描く連中は一体なんなのだ?
僕の脳トレ用にこの世に生まれてきたわけじゃあるまい。

視覚と聴覚どっちが優位感覚か思い出していた。
「明るい」は絵と音楽で共用されつつ視覚に本来の定義を持つから、
視覚の方が優位感覚だ。
けどもっと絵に親しんでいた頃、今は聞こえていない音楽のようなものが
聞こえていたような感覚があった気がする。
今と比較して、の話だ。今が聞こえなくなった。
いや実際に共感覚とかそんな直接的に何かがあったわけじゃない。
ただ、昔はもっと多くのチャンネルで絵を見ていた、気がする。
それが今は狭まって、だからつまらないんじゃないか?
若い人の絵に対する感覚を聞くと、それが思い出されてわくわくする。
とらえ方、というのは僕が思っているより遥かに未知のものなのかもしれない。

視覚、といってみても、一定のチャンネルの規格があるわけではなく、
もっと個人ですら、時期によって変化するような動的なものなのかもしれない。
視神経単位での映像の統合というのですら極めて狭い解釈で、
成長途中にある若者達はもっともっと絡まりあった感覚を持っているんじゃないか?
僕は脳細胞が減っただけなんじゃないか?

何のことを言っているのか非常に表現しづらい。
つまり感覚器レベルで動的ではないのかということが言いたい。
一般に感覚情報は、視覚なら映像、聴覚なら空気振動と、
なにか、あるものがあるものとして確かに伝えられているような言い方をするが、
そうじゃなく、同じ視覚でも、映像1、映像2、映像3という伝え方があって、
それは心の持ち方とかのもう少し手前の段階で起こっているんじゃないかと言いたい。
だめだ。定義し切れてないな。

それともやはり、心持ちの問題である可能性もある。
例えば様々な映像に対して、色々な連想が次々と浮かぶ脳にとっては、
浮かばない脳より、同じ絵を見ても遥かに豊かに感じられるだろう。
映像に対して深く味わう日常を過ごしていれば、そういった連想は強化されていく。
逆に離れていれば、どんどん同じ絵でもつまらなく見えていく。
つまらないのは自己責任というわけだ。
あっはっはこりゃ愉快!

んなわけがあるか!
つまらんものはつまらない!!

改めて考えてみると変な人間だな・・・
いや、というか若者自体を変に感じてきているのか。
なに考えてるんだ、この人たち。特に若い絵描き。
指くわえて頭傾げちゃう。純粋に不思議だ。興味が湧く。
なに考えてんだ?なんか楽しげに、人との繋がりに使ってもいるけど、
そんな変なコミュニケーションてあるか?ただ描いてるだけだぞ?
意思疎通するんでもない、ただめいめいに「描いてる」っていうだけで、
コミュニケーションできてる?なんで?この子らなんなの?
改めてみるとおっかしいなー
わかんないよなー。意味ないもんな。遊んでるだけなんだけど、
でもデリケートな感性と両立してもいるもんな。
なんなんだ?この感覚。なに考えてんだ?
考えてないのか?経験の総量が大人と根本的に違う。
あるものがない。ないとどうなってるのか、わからない。
もう僕にはわからないのか。

自分より経験の少ない自意識の構成の想像がつかない。
これはなぜかというと、自分のそういう頃の記憶を、
客観的に記憶として覚えておかなかったからだ。
知識としてもエピソード記憶としても残ってない。だから若者を理解できない。
困ったな。面白そうなのに。

わかるんだけどね。
この描こうとしてないどこかから来る絵。
描こうとしてる絵はわかるんだよ。
でも、いわゆる手癖絵。これどっから来るのかわからない。
いっちゃなんだけど、へたっぴの人の手癖絵もどこから来たかはわかる。
でも、なーんにも考えてないような、
絵の中に自我が融けちゃってるような人の手癖絵って、わからない。
いざどこから来たのか測ろうとすると、測れない。
僕はそういう絵は嫌いだ。意思的でないし、努力に左右されない絵だからだ。
多くのまじめな絵描きもそれを否定する。
でも実際のところ、それが何なのか誰にもわからなくて、
そして正直なところ、結構やっぱり好きなのだ。
どこから来てしまったのだろうか。

そう、確かに時期や文化圏を見ると、いくらかの類似性は見つけられる。
が、結局それは何なのかというところは、
それら全部ひっくるめて謎だ。彼らは何を描き、
何によってつながっているのか。なぜ描いているのか?
手が描くのだ。それだけだ。本当にそれだけなんだ。
ペンを持って紙の上に置いて寝ていると、絵を描いているんだ。
それが当たり前で、そんな人間同士が集まってコミュニケーションしている。
そういう現象なんだ。

創作行為にはまだ全く指摘されていない秘密の領域があるのだと思う。
アイデアとは別に、別のどこかから来た何かも
僕らは自分のアイデアのように使うが、それはたぶん、
アイデアとは根本的に異なるものなのだ。
そのアイデアと、出そうとして出すアイデアとの根本的隔たりを感じる。
そういう人は多いはずだ。もし自覚していなくても、
それは結果として現れているはずだ。
つまり明らかに、創意工夫によって出たアイデアと、
出所不明のアイデアが、どう見ても異質なのだ。
ここの所をあいまいにし続けているがために、
創作で苦しむ作者達が大量に発生してしまう。
これらは違うものだ。が、往々にして、
そうではないやり方によって、別の方のアイデアを出そうとして
発狂しそうなほど悩む事になってしまう。

違うかもしんない。
上の段落なしで。

思うんだが、論理的に不正でなくとも、
正しい誇張と視点と字面で表現されていない知識は、嘘と同じだな。
まあそれはいずれ別の時に。

あーあ、また長くなっちゃった。
すっごいブサイク。形悪い。
しっかし思うとやってる事おんなじだな。
この文も指が書いてるようなもんだ。
こんな喋り方や思考をする人格の「僕」なんて生身はどこにもない。
こんな文章は僕が生み出してるもんじゃない。
指が勝手に打ってるんだ。本当だよ。
証拠に、実際にこういう文を打って下さいって言われて、
パソコンの前に座らされたら打てないもの。
脳みその活動部位が全く違うんだよ。
これは指が打ってるんだ。
打って欲しい時は、僕じゃなくて、指に言ってよ。
でもこいつ、僕の言う事聞いてくれたためしがないんだよね。

二、三日前に、五割以上話題の合う友人が一人でも身近にいたなら、
どんなに日常が楽しかっただろうかと考えた。
確か僕は中学頃からネットをやり始めたが、
未だに生身の人間とネットの事について話した事がない。
その事について不満に思った事がなかった。
創作に関するものについて話したこともないし、
そういえば科学についての意見を話したこともない。
話題が合う、というのは友人の条件じゃなかった。
合う相手などどこにもいなかったのだから。

自分と他人の違いについて考えない日はないよね。
僕は優遇されている。それも相当に。
そしてこの優越感に毎日押し潰されそうになるのに耐えている。
思わない日はない。何をやってもそう見えてしまう。
僕より重度の人はどうやってこれに耐えているのだろう。
忘れたくても、忘れれば忘れるほど心が真っ直ぐになって、
さらに症状が重くなってしまう。
しまいにはブログに書いてしまうほど普通のことになってしまう。
例えば、違うものは違う、と言ってしまったら楽になるのか?
僕は未だかつて、この事について悩んでいる人というのを、
伝え読み聞く分にですら聞いたことがない。なぜだ!
どうしたらいいんだ。

なぜだー!
あんたらも思っているはずだ。
それにあんたらの周りの人も思っているはずだ。
何かが違うと。どうしたらいい?
精神の中身がわからないのか?こんなに透け透けなのに?
そうだろうね。精神の中を見れない人はさらに多いよ。
見えるならゆってくれよ。そんなに少ないはずはないんだ。
僕が哀れに見えるか。哀れだよ。
僕以上に脳に詳しい相手を想像できないんだ。
もうずっと想像できないんだよ。
僕はもうすぐ脳の設計図を手に入れる。
その時、他に誰も設計図を知る人間がいなかったとしたら、
僕は一体人間達に対してどのような感情を抱いたらいい。
誰が一体僕の友になりえるというんだ。
僕は哀れだ。

無駄だ
なにかおかしい
僕は優し過ぎた

狂うにはまだ早いよ
技術的特異点
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9
うゃーん、昔から普通に指摘されてるし!
そしてすでに眉唾扱いなんですね、わかりますよ・・・

にゅーすぺーすおぺらって弐瓶系みたいなもんなのかなぁ。
小説わかんねえ・・・

世界最先端研究支援強化プログラム(仮)
https://form.cao.go.jp/cstp/opinion-0004.html
いぇーい!内閣府が研究題目募集してるってよ!
不老・AI・真空エネルギーまずはこんなとこか・・・(ニョ

情熱を持つ者よ!もっと技術を高めろー!
技術を持つ者よ!もっと情熱を高めんかいー!

        ぎゃうっ!   ぎゃうっ!

  からーん   からーん

いいねえいいねえ、思った以上だ!
傾きも申し分ない。
あの神山の初期のキャラクターを皮肉ったメタ視点は、
平凡と呼べる知性を一歩超えている!
だがドリームチャンスの答えを再度聞く時の、
あれは「では改めて~」ではいかん。
あの状態の本間君はそういう流れを打ち破る感情状態にあったのだから、
ベストな切り出しは「そういえばまだクイズの途中だったな」という、
本来意識的に抑えようとする一歩引いた目線を、
あえてそのまま言ってしまうことで激情を表現するのだ。
それさえあれば満点だった。予告もほとんど見せず、
実に安心させてくれる。よい仕事だ。注目に値するね。

人類のこれまで生まれたのべ人数やっとデータあったと思ったら、
しこたま憶測ですと書きまくってるぽくてがっかり。
まあでもとりあえず1000億人くらいで暫定しとこう。
全然少ないなあ。それとも今が想像以上に途方もない数なだけ?
エロ動画を整理しよう⇒中断⇒また今度にするか
通りで片付かないわけだよ・・・

あんびりばぼー、トリックアート特集なごむわぁ。

ほんのひと欠片ずつの教えをもらいながら、
毎日少しずつ成長してゆく。

ものすごい大雑把なランパーのプレイガイドを書こうと思う。
ランパーとはツール付属の素材だけでゲームを作る、
ツクール系イベントである。現在全74作品。
手をつけるだけでも大変なので、独断と偏見と気分で
ピックアップして、時間とかジャンルとかに触れる。

ランパー
http://crepre.sakura.ne.jp/cp_rtp.html

No.58 勇者の石
いわゆる分ゲーである。2分で終わるといいつつ、
本当に2分で終わる正直なゲーム。石を投げて攻撃する。

No.32 MaRyuTang
ウディタ製。とにかく物を拾って投げつける爽快なゲーム。
そんなに長くはない。

No.53 くろーずど・くえすと
正統派RPG。好感の持てる作りでお気にである。
もっといっぱいプレイされるべきだ。そこそこ長い。

No.69 The marks
丼さんゲー。最先端のハイカラが楽しめる。
すぐ終わるのでやらない選択肢はない。ちょっと目に悪い。

No.59 clubRTP~一日体験入店編~
モエモエさんゲー。RPG風クラブでおじさんをヨイショする。
長くもないし短くもない。

No.46 マッハR.R.
いやゆる避けゲー。しかしストレスなく進む。
時間はミス回数次第。ボリュームはそれなりにある。

No.23 テレプスターシャ
テキストのみ選択肢付きノベル。勇者がお金もらって出発する。
中くらいの長さ。コンプするともう一つ読める。

No.38 魔王と姫
魔王がお姫様をさらって帰る話。見るべき所は少ないが、
作者による天然の罠が存在する。先に掲示板を見てはいけない。

No.24 DoromitiQue.
一本道のクイズバトルゲー。ほのぼの調。
そこそこのボリューム。主人公が萌えキャラ。

No.25 勇者ラウルの冒険殺人事件
うみどりさんゲー。RPG基盤で推理を展開する。
文章ある分、ちょっと長い。

No.15 魔王様万歳!!
魔王様になって色々やる話。ほんのりと燃えを感じさせる。
自由行動が多くボリュームがある。わりと戦闘が多い。

No.43 少女培養
僕ゲー。少女を増やしてお金を稼ぐゲーム。
序盤が辛いという説がある。かなり長い。


いざ改まって視覚心理学に興味があるかと聞かれると、
それほど興味を持つ必要はない事に気づく。
実際それらが絵作りやインターフェースのデザインについて
ヒントを与えてくれる事は、経験上、ほぼないと言ってもいい。
しかしながら、なぜか感覚的には、
集めなければならない知識のように強く感じるのだ。
心理学が昔から無自覚なままに僕を不安にさせてきた理由は、
それが実験中だけでなく、生涯に渡る全ての認識に影響を与えている点だ。
言い換えれば、未知のその法則(の様に見える生理現象)が潜在し続けている限り、
今のこの認識は常に自覚する事のできない錯覚に包まれているという事だ。
あらゆる心理的視覚は存在する全てのその法則の影響を常に受け、
全てに受けているのだ。それは朝も、夜も、友人の顔を見る時も、
地図を見る時も、テレビを見る時も、暗い部屋に入った時も、
つまりそれらの洗脳を解除するのに逆変換する必要があるから、
僕はそれを必要に感じるのだろう。
言い換えれば、面白いものを作るというのは、
多くの人がまだ覚めていない洗脳から先んじて覚め、
それを覚まさせるきっかけを与える事なのだと思う。

人工知能を想定する。
この人工知能は非自我洗脳状態にある。
彼をその洗脳から覚まさせるには、好奇心とやらを組み込む必要があるのである。
物事を分解する事を好む感情だ。いやわからない。
好奇心がなんたるかついて、僕の洗脳は解けていない。
未知のものを知ろうとする好奇心と、
原理を知りたいという探究心は別のものなのかもしれない。
なぜ人は原理を知りたいと思うのだろう。
人、中でも男性は法則を抽出し、それを抽象的なまま考える事を得意とする。
これはそのまま、性差によるゲームの受け取り方の違いに現れている。
しかしこの抽象化の志向は、ある時点で逆行し、
抽象化される未然のものこそが原理的であると見なすようになる。
一般的かどうかはわからないが、それが現在の僕の取っているスタンスである。
問題はその探究心が必ずしも、抽象化とイコールでないらしいという点だ。
探究心も何らかの脳生理作用で実現されているはずだが、
それは抽象化を好ませる事で実現しているのではないらしい。
もしそうであれば、僕は探究心の延長上として、
抽象化の逆行を志向できないはずだからだ。
そうなると、探究心とは何か、ということになる。

真実を好む心といえばそのままだが、
果たしてそれをどのような定義でもって実装しているかが問題なのだ。
言い換えれば、僕達はそれが真実であるか、何によって判断しているのであろう。
論理性の整合性によって判断しているといっていいだろう。
その過程で、多くの論理整合性をクリアした観念は、法則として抽象化されるのだ。
しかしさらに厳しく整合性を吟味し始めると、
あらゆる法則は論理性が破綻し、より具体的な観念へと探究心は向かう。

人はなぜ探究心を獲得したのだろう。
抽象化は人類にとって有用な能力だったが、この結論から考えるに、
論理性を獲得した事によって発生した副次的な能力だったんだろう。
探究心は論理能力を発達させるために施された、
論理が破綻しないものを好む促進回路の結果物だと考えるべきだ。

論理というものの実体は、脳による照合行為に他ならない。
外界のパターンを加工、組み合わせて、その照合を行う。
脳内で作られた概念なら(1と1、○と○など)論理性は保たれるが、
外界の実在物を忠実に観測する限り、あらゆる論理性は成り立たない。
僕が原初を神と同等に崇めたのはこの事によるのだろう。

もうわかっていると思うが、
この世界は何なのか、という問いに対しては、この世界はこの世界である、
と答えるのが最も正しい。
もう少し抽象化するのなら、いや、
先の答えは最悪の答えという事か。
世界を答えるには世界と同じ情報量を記述する必要がある。
それを世界という二文字の単語に抽象化することは、とんでもない抽象化率だ。
極端な抽象化は真実であるどころか、実用にすら達しない。
つまり馬鹿な答えという事だ。
この世界は何なのか?
いや違う。文字数の問題じゃないのか。
確かに僕は世界を抽象化したが、そのすぐ下には実物の世界を意識している。
僕が使う限りは、この答えがやはりベストだ。
この世界はこれだよ、これ、これなのさ、そして全てだ。

もっと探求したい。
しかしここからさらに進むには、世界が世界である、という真実に対して、
その中に論理的な破綻を見つけなくてはいけない。
それは不可能なのではないか?
だとすれば僕のこの人の脳みそでは、
これ以上思索を深めるのは不可能ということか。

思索は終わったのかもしれない。
いや、厳密には世界が何であるか後は調べるだけになっ・・・た、だけ?
おかしいな。これは好奇心の範疇じゃないか?
それに僕は、今何か、世界を世界以下の小さな表現で理解したいと思っていたぞ。
それは抽象化じゃないのか。やはり抽象化は
独立した志向として潜在しているのか?

論理性も、抽象化も、好奇心もあるってだけの話だ。
脳も臓器だ。血管や骨の様にただ機能を発揮するためだけに、
進化が大雑把に作ったものでしかない。
精神だけ綺麗に作られているなんてことはあるはずないよね。
脳も肝臓や筋肉の様に、ああいうものと同じ様に扱われて作られた器官なんだから。
報われないなぁ。

あとリンリンダンスが始まる前に終わりました。(お約束

バイオリズム乱れてるなぁ・・・
まあゲーム作った後はしょうがないんだけど。
うう、人と会うの怖いよう・・・
人と喋るの怖いよう・・・
心臓痛いよう・・・
人類めー!

今夜は録画しておいた千と千尋を見る。
運がよければ何かつかめるだろう。
でもたぶん何もつかめないだろうと思う。
なぜ何もつかめないのか、それを探る。

やはり何も得られなかった。
なぜ得られないのかもわからない。
それ以前に、どれが宮崎駿の仕事なのかわからない。

くだらない考察は書けない。
今日カレー食った人多すぎ噴いたw

ミクミクダンス見てて飽きないなぁ。
動画はエロ以外全然見ないけど、
ちゃんとチェック入れるべきか・・・
フラッシュとかもそうだったんだけど、
あんまりにも凄すぎて見るの怖いんだよなぁ・・・
書きたいことが多すぎる。

口笛って吹くのは最高なんだけど、
どう転んでも聞く分には不快音以外の何物にもならないのが惜しい。
歌くらいに聴き心地もよければいいのに・・・

7つくらいの人格主体が同時に活性化してる。真っ昼間から。やっかいだなー

技術高めなきゃなー
でもそれほど単純な話じゃない事はわかってきた。
磨くにしても方向性ってのもあるし、
無方向としての方向性もある。
もちろん未熟さゆえの技巧性もある。
つまり、効率的でない面に労力を注ぐという
後からではなかなか自然体でできない魅力だ。
さらに厄介なのはそれぞれ個人が何を好むかだ。
技術ってのは甘いもんじゃねー
修得した技術は武器にもなるし制限にもなる。
修得時間は絶対的に膨大だし、どういった立ち位置からしても膨大だ。
つまり重い。

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

ランパゲー、予想以上に褒めてもらって嬉しい。
でもどこか正直に受け取れきれないのは、
自分でちゃんとベストに作れたと思い切れてないからじゃないかなと思う。
これに限らず僕が作るものは全部そうだ。
中途半端でどれも僕は自分で好きとは言い切れない。
完璧だと思えても、それは極端に範囲を狭めて可能にしたことで、
今度はその狭さが気に入らない。全部そうだ。
それがなにより苛立ちを募らせる。
ベストにしようとすると大体挫折する。いや、大体じゃなくて全てだ。

僕のメモリは少ない。最大の弱点の一つだ。
感覚的に同時に把握できる領域の絶対量が少ない。
一つの作品に対して、目を配りきれる絶対量が圧倒的に少ない。
どれだけ技術があっても、同時に適用できる領域はごく小領域にしかならない。

たぶん僕にはRPGは作れないんだろう。
バスケをやってた頃、一対一なら誰とでも対等以上にやれる自信はあったが、
試合となるとまともに勝ったためしがなかった。
小規模ゲーならたぶん結構な相手とも張り合える。
でもちょっと中規模になったらもうだめだ。話にならない。

数学者のメモリは多い。
彼らが傍目に一足飛びに結果を導いているように見えるのは、
過程を全てメモリ上で行っているからだ。
だから「直感的にわかる」という表現になる。正確には過程を全て把握している。
普通はそれを公式とか使って、結論を一時中断して、
新たに中間地点からメモリを働かせる。
しかしそれは本来として美しくない。数の本質に触れているとは言いがたい。
作品に関しても同じだ。
個々に作れても全体を一度に見渡せる目を持っていなければ、
ひとまとまりの作品とは言いがたい。

得がたい才能を持った一人の若者が完全にパクリ道に落ちていた。
お前などダースベイダーの刑だ!

と思わず八つ当りしてしまうほど行き詰っている。

連載形式の何か作れないかな・・・

僕にゃ長期的なゲームやストーリーは作れねえ。
ならいっそ蓄積しないRPGシステムってのを探してみようか?
途中から始めても全然オッケーな奴。
あるいは後から最初の奴やっても全然オッケー。
あるかなーそんな都合のいい着地地点。

むしろゆめにっき的な方が相性はいいのか。
むーやっぱ胡散臭いか。

日常的に多角的創作をする理由付けが欲しい。
もうちょっといえばそれを期待して待ってもらえるような枠組みも。
でも気分次第でやれるやつ。
気合入れるなら完成してから公開しろって話だし。

忘れちゃうもんなー
ドットよりかイラスト側に力入れやすい形式でー
旅感が楽しめるのがいいよね、てことはマップも。
何よりお話とかキャラに重きを置きたい。
でもRPG的データは忘れちゃうよな、やっぱり。
これとこれが強かったりとか、あのアイテムでこうなるとか。

となるとツクールがベストだけど、さすがにそろそろ芸がない気もするし・・・
ウディタで行きたいとこだけど、微妙に重いんだよなー
自作はマップとかセーブとか厄介だし・・・
こういう所でプログラムが手についてないと痛いよなぁ。
前々から考えてた横スクロールRPGもそろそろやってみたいしー、んー

おお!ウディタ、ひっかかりがなくなってる!
たまたま?いや改良したに違いない。
ズームもできるようになってるし、やるなー
おお!DBも大幅に改良されてる!
後はエフェクトツールかー
DBフォーマット公開してくれれば、各自でHSPなんかで
エフェクトエディタくらい作れそうな気がするけど、
そういう要望はまだ来てないのかなぁ。

おーDBファイルのexcel→ウディタツールは作られてるのか。

うーむ、やっぱりツール関係の思考はとめどない上に埒があかん。
ビジョンがないことには始まらない事だし。

いくらキャラを好きになっても、イベント、キャラグラ、顔グラ、
あってもバストアップor半身ってのは、なんか世知辛いんだよなー
かといって全身モデリング+モーションとかありえん話だし。
アニメ-マンガ-イラストなら、もちっとマンガ-イラスト寄りの形式、
申し訳程度のアニメ分ってとこか。かーむずい!

マンガゲーは結局、選択肢のあるマンガにしかならないしなー
面白さ二倍、労力二倍じゃアイデアになってねーし。

物書き、絵描きなら二次創作で楽しめるが、他の人には
いくら好きになってもその作品内のキャラで全てなんだよな。
だからグッズが売れる、ってその辺は置いとくにしても。
今時動くだけじゃ生きてるとはいえねー
クソみたいな作品のキャラクターも動き回ってるからな。
もう一手、命を吹き込む表現方法。

ruinaの挿絵は秀逸だったなぁ。あの人は絵上手かった・・・
話の作りもとんでもねー。塔の上から入ってくるとか、やばすぎ。
まあそれはそれとして、挿絵はありだわ。
が、その場合、基本的な表現はテキストか、
単純なグラフィックじゃないと逆効果だろうな。
メリハリ。表現精度に幅を開けることで、逆に調和が可能になるってことか?
その理屈を発展させて何か出せないかしら。

数字だけの戦闘+挿絵イラスト。うーん、大したネタじゃないなぁ。
チープ+リアル音楽。いけそうだけど今はパス。
単純ゲーム+大規模環境ゲーム。ピンと来ないなー

む!そうか!自分褒め称え用の完全受け手専用人格を作ればいいんだ!
この子にいろいろ客観的ないい感じとか悪い感じとか判断してもらおう!

多人格的な認識もっと使われてもいいのにな。
他人も多数の人格として認識すれば、あの人のA人格死ねよと思うけど、
B人格ちょっと好きだからいっか、とかなってかなり平和的だと思うんだけど。

昔のRPG案見たらキャラが若すぎて笑ったw
17歳活躍しすぎ。はー、でもそんなもんかもなぁ。
名前もひどいなあ。
ここだけの話、名前の付け方4つくらい見たら殆どの力量は測れると思う。
知識量と脳みその分解率が逆算できるのだ。

うへえ、懐かしい。
当時、ない知恵絞っていろいろ考えてたんだろうなあ。
ゲームシステムは変な拘り持たずに、面白さに素直だった気がする。
デカンス考えたのもほとんど同じ時期のはず。
ありがちなゲーム性衰退論に反発して、より面白いRPG案とやらを、
一生懸命探していた。今は何かもう違うものを考えている気がする。
でも何となく、この頃の方が面白いシステムを考えられていた気がする。
作り方や作り手のことなんか考えずに、ただ単純にやる側にとって、
面白いものだけを考えていたから。ある意味、最上の境地だ。
が、技術的困難と作業量の困難を知らないからこその妄言でもある。
でも今必要なのはこの心だな。

長編型のRPGでボツったのいくつもあるけど、
でもキャラはよーく覚えてるなあ。これはいいことだ。
パーソナリティーを得て記憶に残ってるのは、
やっぱりストーリーや格好や性格を考えたからこそで、
それは重要な事だ。ボツったとしても意味がある。生きている。
ちょくちょく長編想定のRPG案は考えるべきかもね。
っつーか、ただの話でもいいんだろうな。
ゲームでもテキストですらない、作品にならないけど作る長編っていうのは。
創作ってそういうものが主体なんだと思う。
すなわち心の中の森って奴か。
よーし、なんかまたでっかい話考えるかー

銀善銀善銀善

2009年6月6日 ゲーム
ドルルルルルルルルルリィムチャァァァァァンス!

本間くん輝いてるわー
子宮がびくびくしちゃううう
うほ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7152344

ほえー顔筋は笑顔よりしかめ面の方が二倍以上動くのかー
怒りかたの精度を上げることが進化的に重要だった?

10%とか5%とかの人にしかない筋肉ありすぎ!
神話視点スペースオペラ しかし主人公がガチホモ はっ

最初、なにこの色黒ノッポめーワカちゃんのタラコリップを返せー!
と思ってたイズミールが最近もう可愛くてしょうがない。しょうがないんです!

死にたくない死にたくない

死にたくないけど死を和らげられるものはもう全てやり終わってしまった。
これはつまりこれから死にますと言われた時、
もう焦ることすらできないということなのだと気づいた。
死にたくない
が、やれることはもうない。少なくとも考えつく限りではもうなにもない
死は逃れられない
もう僕はだから他の死も悲しめないことに気づいた
たとえ自分のことのように共感しても、自分が無念でないのだから
何も思えない。どうすればよかったとか、
なんて事だとかいう、いう思いが沸き起こらない。つまり悲しくない。
死は恐ろしいぞ
ふるえが来るほどだ
死を想像した
両足を引きちぎり、熱湯を飲まされ、脊髄を切り出され、目をえぐられ、
死ぬそれを骨、筋、腱、神経レベルで時間的感覚を省略することなく、
できる限り正確に想像した。死は恐ろしいぞ、しかし
どうにもできぬ。
死にたくない。
クローン脳移植を成功させるしかない。
無脳クローン、脳移植、免疫機能の完全抑制、これらが可能になれば、
重症患者を対象に移植実験を重ねる事が可能になる。
まず第三者の無脳クローンを常備し、肉体を放棄せねば助からない患者を
免疫機能を完全に抑制した状態でその無脳クローンに脳移植する。
そして本人の無脳クローンを作成し、さらにそこへ脳移植する。
本来死ぬしかない命ならいくらでも実験できるぞ。
そして僕はあと100年ぐらい安全に延命できるんだ。
しかしそれは無理だ
死にたくない

この死の猛威に対してやりたい事とやらのぬるさはどうだ!?
美少女としっぽりしたり地球征服したり宇宙の果てへ行ったり
やりたいが所詮それらは楽しいことよ
つまり暇つぶしにすぎん 死を和らげられるか
美少女としっぽりしたり地球征服したり宇宙の果てへ行ったりするぐらいで
死がほんの少しでも和らげられるか そんなものハナクソほどもない
わああああああああああああああああああああああああ


ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


これだけ生きたのに死に匹敵するほど重要なものが何一つない
恥ずべき事だ
苛立たしいことだ わかっている 誰よりもわかっているぞ
何より望んで探してきたのは僕自身なんだからな!!!
学ばねばならない 作らねばならない 楽しまねばならない
ならないのにまるで死に 歯がたたん
見つけたのはまるでゴミだ!そう呼ぶしかないではないか!通用しないのだから!
もう少しで重要な何かが分かりそうだという所で
もう少しで 創るという事の 根本的な何かが掴めそうだという所で

絵は死ぬ 技術はいつかは死ぬ
が創るということは 想像するということは 切り開くことは
わかるか 作り出すことは そうとは違うのだ
今までにないものを創るとき その切り開く感覚
それはどこかに向かっていて 惹かれる何かがある
芸術だとか今までにないとかそんな名前はどうでもいいのだ
ああ、死にたくない
動かねば
死を何も和らげられぬが 動かねば 動かねば
何も得られないが 動かねば 友が動くように
動かねば 人々が動くように動かねば 動いてやりたい
しかし何も和らがぬ 何も報われぬ 何の為に動けというのだ
僕にボランティアをしろというのか この僕に
あの最悪なる 忌まわしき ボランティアを 霊貨を稼げというのか
それこそ最大の裏切りではないのか?
本心でなく 憐れみと情で何の足しにもならないボランティアを?
いいや違うぞ それは違う そんなことをしてもまとめて死ぬだけだ
無意味な事はするな それこそが最大の無力感よ
まだだ まだまだ まだじゃ まだなり・・・

たまにごく拙い作品に、濃厚な創造性を見出せる事がある
多くの人はそれが中二だと思っているが、
それがくだらない中二と一線を画す事は僕にはわかっている
何が創造性かを探している
創造性とは知識ではない
個々人から湧き出るわがままな神話のようなものだ
だがそれは濃厚な創造性で、それを飲める形にするには
それを薄める事もまた正当な事だと僕は思う。
しかし死にはかなわぬ
ダーシュかっこええわ~ぬれちゃうううううう

(死

むしゃくしゃした時、まずそれがどんなものにも例えられないぐらい
強烈なものであることを表現することが重要だった。
ものを知らぬ頃は十分満足を得て表現できたものが、
今では何をやっても巨大な枠のみみっちい程度の表現にしかなっていない事がわかる。
すなわち...

人々が溢れかえった。
これは分析抜きに、苛立たしいことだ。
まとわりつく作業感。
これはもう誰かがやっている。
それどころか、この程度はほとんどの人間がやっている。
ならやめよう。
そうか、ならもうやることなくなっちゃうね。
全部そうだから。苛立たしい。
あるいは同じ条件に立たなければよかった。
条件が違うなら、あの人たちは長く生きてるから、才能があるから、
もうそんな迷信を信じることもできない。
わからなくなる時がある。
僕は一体ものを作る動機に、
ストレス解消以外のものを持ちあわせているのだろうか?
深い深ーい妄想の穴の底で、それが何より深いことを人々に触れ回っている。
大した深さでないことなんて、もう皆が知っているのに。

小指の先をちょいと動かしたその軌道だけで、
全ての人々を驚嘆させることができたらどんなに爽快だろうか。
そういうことだ。
そういうことなのだよ、ちっくしょうめが。

僕は誰も作ったことのないゲームを作ることが難しいとは思わない。
少なくとも絵や音楽よりはずっと簡単だろう。
絵は最悪だ。最悪になった。もう絵は終わりかもしれない。
なぜこんなに人々が絵を好むのか理解できない。
もう絵は終わっている。
人類によってもう絵は終わらされたのだ。
音楽は知らん。

この傲慢ささえ改善できれば何とでもなるんだろうになぁ・・・

今日も早く人類滅ぼさなきゃと考えた。
理想は50年以内だ。それ以上はもう希少動物がもたない。
人類の心構えも悪くはないが、
これはもう善い悪いの話ではなく、
人間がいる限り現生生物は生き残れないという不可避の方程式が
存在するというだけの話だ。
果たして人以外の種が人類60億を犠牲にしてでも
残るべき価値があるのかも、悩ましいところだ。
動植物の姿や生態は美しいが、人間の脳の中身もとても美しい。
もう少し地球が大きければ良かったのだが。
僕はブランカになりたかった。
でも皆は僕をダルシムと呼んだんだ!

田んぼの乾いた土に水が入ってだんだん湿っていく光景は
非日常的でほわわ~となっていいわあ~
イネ花粉地獄の幕開けを知らせる光景でもあるがな。

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