非報酬レベルデザインの解答
2021年6月26日 あんちょこ報酬で釣ると逆にやる気を低下させる現象について、
じゃあ何で釣ればいいのよ?という地味に出せてなかった解答の話
報酬で釣るのは実際はかなり強力、しかしモチベを削ぐのも事実
面白さで釣るのは健康的、しかし引力が弱いのも事実
それぞれの欠点を補いたい
報酬形式で副作用を回避する方法は思いつかない
しかし面白さ主導で、取っ掛かりを補助していく方向はベター
この取っ掛かりを誘導する要素として「気持ちよさ」を導入する
報酬で釣らずに何で釣るの?となった時、
出される案は面白さとかになるが、それは弱い
実際に有効なのは気持ちよさなのではないか?
様々なエンタメを眺めた場合でも、
実は核となる面白さよりもそれを演出する気持ちよさの方が量が多いことが多い
ゲームにおいても同様に考えるべきではないか?
つまり面白いゲームとは全てが面白さで満たされたゲームではない
全てが高いゲーム性で満たされていると疲れてしまう
そうではなく、面白さの質は高く保ちつつその量は減らし、
その代わりに気持ちよさの量を多くする
メイン成分は面白さではなく、気持ちよさ
面白さは量的にはサブ成分となる
これが真の黄金比なのではないか?
これまで面白さ第一信仰でやってきたが、確かにそれでいいのかという違和感はあった
ここにきて新しい配分が見つかったように思う
ともすれば気持ちよさはただの演出、装飾として軽視しがちだった、
というか主力にするのに後ろめたさがあったが、
理論としてそれがベストだと裏付けできたのはありがたい
エンタメに気持ちよさは主成分として必要だ
じゃあ何で釣ればいいのよ?という地味に出せてなかった解答の話
報酬で釣るのは実際はかなり強力、しかしモチベを削ぐのも事実
面白さで釣るのは健康的、しかし引力が弱いのも事実
それぞれの欠点を補いたい
報酬形式で副作用を回避する方法は思いつかない
しかし面白さ主導で、取っ掛かりを補助していく方向はベター
この取っ掛かりを誘導する要素として「気持ちよさ」を導入する
報酬で釣らずに何で釣るの?となった時、
出される案は面白さとかになるが、それは弱い
実際に有効なのは気持ちよさなのではないか?
様々なエンタメを眺めた場合でも、
実は核となる面白さよりもそれを演出する気持ちよさの方が量が多いことが多い
ゲームにおいても同様に考えるべきではないか?
つまり面白いゲームとは全てが面白さで満たされたゲームではない
全てが高いゲーム性で満たされていると疲れてしまう
そうではなく、面白さの質は高く保ちつつその量は減らし、
その代わりに気持ちよさの量を多くする
メイン成分は面白さではなく、気持ちよさ
面白さは量的にはサブ成分となる
これが真の黄金比なのではないか?
これまで面白さ第一信仰でやってきたが、確かにそれでいいのかという違和感はあった
ここにきて新しい配分が見つかったように思う
ともすれば気持ちよさはただの演出、装飾として軽視しがちだった、
というか主力にするのに後ろめたさがあったが、
理論としてそれがベストだと裏付けできたのはありがたい
エンタメに気持ちよさは主成分として必要だ
マスターオブゲームデザイン
2020年11月12日 あんちょこゲームは「難題」を「攻略」して「達成感を得る」のが目的である。
難題はプレイヤーが攻略する価値があると思うものでなければならない。
難題は小分けに達成していくとやる気を維持できる。
「演出」によってやる気を補助する必要がある。
演出には「報酬」と「フレーバー」がある。
報酬はゲームに関与し難易度を緩和する。
フレーバーは「動機付け」を行い、「意義」を与える。
攻略する価値がないと思うプレイヤーに対して、
価値があると思うもので動機付けすることで、
新たな価値感を涵養することは可能である。
難題はプレイヤーが攻略する価値があると思うものでなければならない。
難題は小分けに達成していくとやる気を維持できる。
「演出」によってやる気を補助する必要がある。
演出には「報酬」と「フレーバー」がある。
報酬はゲームに関与し難易度を緩和する。
フレーバーは「動機付け」を行い、「意義」を与える。
攻略する価値がないと思うプレイヤーに対して、
価値があると思うもので動機付けすることで、
新たな価値感を涵養することは可能である。
爆発的ゲーム性の実現について
2019年8月9日 あんちょこeスポーツにも耐えうるゲーム性を確保するにはどうすればいいか?
攻略には、理想解の導出と理想解を実現する過程の導出の2種がある
理想解はゲームの解であるが、それだけでは考えるだけでゲームが終わってしまう
現実には、理想解を実現する為の過程も攻略の対象となる
実現過程の攻略では主に蓋然性に対する動的な判断の妥当性を追求することになる
どちらの攻略においても、
膨大な選択肢が創造性に変質するほどの選択肢量が必要になる
それには選択機会を多元的に分割し、
その組み合わせの乗数として選択肢数を爆発させるのが望ましい
ここで重要なのは、それらの選択肢が実質的に機能することだろう
明らかに選択する必要のない選択肢は実質的選択肢数に含まれず、
組み合わせ乗数を減ずることになる
悩む価値のある実質的選択肢数の乗数こそが実際の選択肢数であり、
その実質的選択肢数を爆発させなければ爆発的ゲーム性は実現できない
(追記)
特定のゲームデザインにおいて、理想解と過程解の自由度が、
それぞれに反比例する関係が予想されうる
この解決には、それぞれに妥協幅を与えることが適当と思われる
すなわち、理想解に妥協解群を許すことで、
また、過程解に妥協解群を許すことで、それぞれに自由度を与え、
さらにその組み合わせを得ることにより、
反比例性による組み合わせ減少を補完できると考えることができる
攻略には、理想解の導出と理想解を実現する過程の導出の2種がある
理想解はゲームの解であるが、それだけでは考えるだけでゲームが終わってしまう
現実には、理想解を実現する為の過程も攻略の対象となる
実現過程の攻略では主に蓋然性に対する動的な判断の妥当性を追求することになる
どちらの攻略においても、
膨大な選択肢が創造性に変質するほどの選択肢量が必要になる
それには選択機会を多元的に分割し、
その組み合わせの乗数として選択肢数を爆発させるのが望ましい
ここで重要なのは、それらの選択肢が実質的に機能することだろう
明らかに選択する必要のない選択肢は実質的選択肢数に含まれず、
組み合わせ乗数を減ずることになる
悩む価値のある実質的選択肢数の乗数こそが実際の選択肢数であり、
その実質的選択肢数を爆発させなければ爆発的ゲーム性は実現できない
(追記)
特定のゲームデザインにおいて、理想解と過程解の自由度が、
それぞれに反比例する関係が予想されうる
この解決には、それぞれに妥協幅を与えることが適当と思われる
すなわち、理想解に妥協解群を許すことで、
また、過程解に妥協解群を許すことで、それぞれに自由度を与え、
さらにその組み合わせを得ることにより、
反比例性による組み合わせ減少を補完できると考えることができる
ゲームの本質と具象化
2018年12月17日 あんちょこ最近面白いゲームを考えてもまとまらないことが多くて困っていたけど、
それがなぜか考えてみた
おそらく、面白いゲーム像を失ってたからだ
昔のゲームも、今のCSやフリゲやソシャゲにも、理想となる形がないのだ
だから何を基準にしていいのかわからない
ゲーム性の本質とは、
自由度から選択を行い、系を操作し、判定を満たすことだ
これは知的遊戯であり、プレイヤーに序列をつけ、競技である
ゲーム性に特化したゲームは、現代では多く登場している
しかしそれらはどうにもしんどいのだ
リソースをつぎ込み競い合うのもいいが、
それがゲームの全てかというと違う気がする
ゲーム性は、ゲームの一要素でしかない
かといってソシャゲなどをしていると、
こりゃゲーム性が弱すぎてあかんとなる
ゲーム性はどの程度ゲームを占めるべきか
そういう配分の基準がわからず、立ち往生してしまうのである
漠然とした万有引力ではなく、より正確な相対論が必要な段階に来ている
ならばと思い、ゲームをゲーム性とそれ以外とに分けて考えてみる
ゲーム性は知的遊戯として面白い
ならばそれ以外のガワは何が面白いんだろう?
それは疑似体験だと思うのだ
数字がただ増えても面白くない
しかしその数字が腕力や知力なら、増えると楽しくなる
数字の上昇を、強くなるという疑似体験に意味付けしているのだ
ゲームの面白さとはつまるところ、これなのかなと思う
無機質なシステムに意味付けをして、疑似体験を通して面白さを生み出す
もちろん疑似体験だけでは面白さは保証されない
面白い疑似体験を提供する必要がある
それはエンターテイメントの理論だ
そして疑似体験だからこそ、
ゲームは人の経験によって引き起こされるあらゆる面白さを実現できる
面白いゲームの本質とはこれだ
ゲーム性を意味付けし疑似体験を通して面白さを生み出すのだ
それが目指すべき目的地
この本質の根幹である、システムに意味付けする行為を
「具象化」と呼ぶことにする
ゲームデザインにおけるモデリングの逆と考えていい
それがなぜか考えてみた
おそらく、面白いゲーム像を失ってたからだ
昔のゲームも、今のCSやフリゲやソシャゲにも、理想となる形がないのだ
だから何を基準にしていいのかわからない
ゲーム性の本質とは、
自由度から選択を行い、系を操作し、判定を満たすことだ
これは知的遊戯であり、プレイヤーに序列をつけ、競技である
ゲーム性に特化したゲームは、現代では多く登場している
しかしそれらはどうにもしんどいのだ
リソースをつぎ込み競い合うのもいいが、
それがゲームの全てかというと違う気がする
ゲーム性は、ゲームの一要素でしかない
かといってソシャゲなどをしていると、
こりゃゲーム性が弱すぎてあかんとなる
ゲーム性はどの程度ゲームを占めるべきか
そういう配分の基準がわからず、立ち往生してしまうのである
漠然とした万有引力ではなく、より正確な相対論が必要な段階に来ている
ならばと思い、ゲームをゲーム性とそれ以外とに分けて考えてみる
ゲーム性は知的遊戯として面白い
ならばそれ以外のガワは何が面白いんだろう?
それは疑似体験だと思うのだ
数字がただ増えても面白くない
しかしその数字が腕力や知力なら、増えると楽しくなる
数字の上昇を、強くなるという疑似体験に意味付けしているのだ
ゲームの面白さとはつまるところ、これなのかなと思う
無機質なシステムに意味付けをして、疑似体験を通して面白さを生み出す
もちろん疑似体験だけでは面白さは保証されない
面白い疑似体験を提供する必要がある
それはエンターテイメントの理論だ
そして疑似体験だからこそ、
ゲームは人の経験によって引き起こされるあらゆる面白さを実現できる
面白いゲームの本質とはこれだ
ゲーム性を意味付けし疑似体験を通して面白さを生み出すのだ
それが目指すべき目的地
この本質の根幹である、システムに意味付けする行為を
「具象化」と呼ぶことにする
ゲームデザインにおけるモデリングの逆と考えていい
面白いレベルデザインの使い回せるセオリーを考える
レベルデザインで重要なのは、驚きと学び
驚きは単に難易度の落差や発想・視点の転換でいいとして、
学びを機械的に生成する方法を考える
学びとは、手段を工夫して問題を解くことだ
学びの生成とは問題作りであるといえる
また、ゲームはできることが有限であるゆえ、
手段の数を用意することは前提となる
問題をどのように作ればいいかというと、
ただ闇雲に試して解くような問題はあまり面白くはない
試すことの閃きやすさに順列を作るべきなのだ
まず最初に試すこと、次に思いつくこと、その次と、
段階的に難しい閃きを要求していく
どのレベルの難易度をクリアとするかは、全体のレベルデザインの問題だ
驚きと問題によって緩急をつけ、
飽きさせないこと、エキサイトできることが肝要と思われる
レベルデザインで重要なのは、驚きと学び
驚きは単に難易度の落差や発想・視点の転換でいいとして、
学びを機械的に生成する方法を考える
学びとは、手段を工夫して問題を解くことだ
学びの生成とは問題作りであるといえる
また、ゲームはできることが有限であるゆえ、
手段の数を用意することは前提となる
問題をどのように作ればいいかというと、
ただ闇雲に試して解くような問題はあまり面白くはない
試すことの閃きやすさに順列を作るべきなのだ
まず最初に試すこと、次に思いつくこと、その次と、
段階的に難しい閃きを要求していく
どのレベルの難易度をクリアとするかは、全体のレベルデザインの問題だ
驚きと問題によって緩急をつけ、
飽きさせないこと、エキサイトできることが肝要と思われる
キャラの掘り下げと親密化→ゲーム的な経過が必要→精神的成長→
最初は未熟な状態→要因たる精神的問題が必要
という理屈
キャラは精神的問題を抱えている。
問題を解決することで内面が大きく変化し、主人公との関係が深まる。
逆説的に、最初のキャラの性格は精神的問題によって歪んだもの。
内面を変えるほどの出来事を経ることで、主人公に対する好感度に説得力を持たせられる。
<精神的問題の例>
未熟さ
幼い精神
優越感
劣等感
身体的特徴
能力の不足
勘違い
生理的に苦手
特殊な境遇
強烈な過去
トラウマ
人間関係
極端な思想
先天的問題と後天的問題が存在する。
これらの問題は現実に存在するものを採用することで、共感とテーマ性が得られる。
精神形成における深い洞察が必要となる。
精神の変化は良くも悪くもありえるが、
今回は良くなることに限定して「精神的問題」「精神的成長」と呼称している。
最初は未熟な状態→要因たる精神的問題が必要
という理屈
キャラは精神的問題を抱えている。
問題を解決することで内面が大きく変化し、主人公との関係が深まる。
逆説的に、最初のキャラの性格は精神的問題によって歪んだもの。
内面を変えるほどの出来事を経ることで、主人公に対する好感度に説得力を持たせられる。
<精神的問題の例>
未熟さ
幼い精神
優越感
劣等感
身体的特徴
能力の不足
勘違い
生理的に苦手
特殊な境遇
強烈な過去
トラウマ
人間関係
極端な思想
先天的問題と後天的問題が存在する。
これらの問題は現実に存在するものを採用することで、共感とテーマ性が得られる。
精神形成における深い洞察が必要となる。
精神の変化は良くも悪くもありえるが、
今回は良くなることに限定して「精神的問題」「精神的成長」と呼称している。
全てのゲームはメタゲームとして解釈できるのではないか。
メタゲーム。
つまり対策をとる。
これの連続がゲームだ。
ゲームは課題を出し、プレイヤーはそれをメタる。対策する。攻略する。
すると、ゲームは次の課題を出す。
その課題は、これまでの攻略法では解決できない。
つまり、今度はゲームがプレイヤーをメタっている。
あらゆるゲームはその繰り返しである。
攻略し、その攻略が通じない課題を出し、さらに攻略する。
プレイヤーは常にメタを続けなければならない。
学習し続ける必要がある。
そして、メタが終わった時、ゲームが終わるのである。
このメタ原理は対人ゲームにも当てはまる。
むしろ対人ゲームから着想を得た。
対人ゲームの奥深さは、このメタが対人によって半永久的に回ることにある。
だからこそ長く深く遊べる。
ゲームデザインにおいて、メタの概念を意識するのは、
また新たな視点を与えてくれるかもしれない。
メタゲーム。
つまり対策をとる。
これの連続がゲームだ。
ゲームは課題を出し、プレイヤーはそれをメタる。対策する。攻略する。
すると、ゲームは次の課題を出す。
その課題は、これまでの攻略法では解決できない。
つまり、今度はゲームがプレイヤーをメタっている。
あらゆるゲームはその繰り返しである。
攻略し、その攻略が通じない課題を出し、さらに攻略する。
プレイヤーは常にメタを続けなければならない。
学習し続ける必要がある。
そして、メタが終わった時、ゲームが終わるのである。
このメタ原理は対人ゲームにも当てはまる。
むしろ対人ゲームから着想を得た。
対人ゲームの奥深さは、このメタが対人によって半永久的に回ることにある。
だからこそ長く深く遊べる。
ゲームデザインにおいて、メタの概念を意識するのは、
また新たな視点を与えてくれるかもしれない。
何が面白いのかずっと考えていた
宮崎作品が面白いのは「生きること」を描いているからだろう
その生き様に、感化され、嫉妬し、感動するのだ
生きるなんぞくそくらえだが、認めねばなるまい
心を動かす物語とは、生きる物語なのだ
生きる以上、いろいろある
しかし生きるのだ
いいことや悪いことやどうにもならないことがある
その中を生きることに、人は「生きる」を見るのだ
そういう意味で、「生きること」を描いてきたのだ
生きるところにはドラマが生じる
そのドラマを作るのが技術だ
ドラマが生きることに彩りを添える
それは否定できない
ではドラマのない物語で生きることはできないのか
生きるとはドラマの有無なのか
違うと思う
生きるとはなんだろう
一生懸命であることだろうか
進むことだろうか
目的に一途なことだろうか
どちらにしても、物語とは「理想の生きる」なのだ
より生きる
より生きている物語がいい物語なのだろう
生きるの意味をずっと勘違いしていた気がする
ずっと死の反対の生を生きるだと思っていた
けれど、生と生きるはイコールではない
生きていると生きるは違うのだ
生きるの反対に死はない
むしろ生きるの反対は、生きているだけなのだ
生きているだけでは駄目なのだ
生きねばならない
それが物語の本質だろう
宮崎作品が面白いのは「生きること」を描いているからだろう
その生き様に、感化され、嫉妬し、感動するのだ
生きるなんぞくそくらえだが、認めねばなるまい
心を動かす物語とは、生きる物語なのだ
生きる以上、いろいろある
しかし生きるのだ
いいことや悪いことやどうにもならないことがある
その中を生きることに、人は「生きる」を見るのだ
そういう意味で、「生きること」を描いてきたのだ
生きるところにはドラマが生じる
そのドラマを作るのが技術だ
ドラマが生きることに彩りを添える
それは否定できない
ではドラマのない物語で生きることはできないのか
生きるとはドラマの有無なのか
違うと思う
生きるとはなんだろう
一生懸命であることだろうか
進むことだろうか
目的に一途なことだろうか
どちらにしても、物語とは「理想の生きる」なのだ
より生きる
より生きている物語がいい物語なのだろう
生きるの意味をずっと勘違いしていた気がする
ずっと死の反対の生を生きるだと思っていた
けれど、生と生きるはイコールではない
生きていると生きるは違うのだ
生きるの反対に死はない
むしろ生きるの反対は、生きているだけなのだ
生きているだけでは駄目なのだ
生きねばならない
それが物語の本質だろう
勉強
この世のもので知らぬものはないというほど勉強する姿勢が必要である
実践
実践によってのみ熟達できるものがあり、作らなければ上達しない
吸収
古今東西あらゆる作品を吸収することこそ潤沢な想像力の根源である
この世のもので知らぬものはないというほど勉強する姿勢が必要である
実践
実践によってのみ熟達できるものがあり、作らなければ上達しない
吸収
古今東西あらゆる作品を吸収することこそ潤沢な想像力の根源である
追不止不告不決不諦不励不
2012年8月18日 あんちょこ開始直後ゲーム評価条件
・各種インターフェイス周りが独自、オリジナリティを感じさせる
・情報が多すぎない、ずらずら意味不明の数値が並んでない
・平凡な自動オープニングが始まらない
・開始直後から動ける
・メニューを開いてもずらっと装備欄とかはない
・少し動かしてから、ちょっとしたイベントが入る
・とにかくやれることの期待感を膨らませる、既存の予想通りでないと思わせる
・台詞のセンスを初回からぶつける、これによって期待が段違い
ゲーム中盤評価条件
・一旦ゲームを中断した後、続きがしたくなるかどうか
・つまり、中断中もゲームのことを考えている、攻略方法や、成長方法など
・プレイ外思考の余地が大きいことが重要?
・ゲーム性以外で引っぱるには、ストーリーの先を気にさせる
・主人公展開はプレイヤー次第なので、サブキャラを選択状態に立たせる方が望ましい
・中盤は条件付け的な没頭状態にする、これによって没入感が高まる
・上記の達成について、報酬の放出は許容する
ゲーム後半評価条件
・一転テンポを削ぎ、難易度を高く、やり応えを与える
・しかし作業ではなく、謎解きを主とする、ギリギリ解けるその境を最大限注意する
・また、ストーリーは奇抜な展開を入れ、雰囲気を一転させる
ゲーム終盤評価条件
・たしなみとして、ストーリーはどんでん返しを入れる
・ゲームはイベントとのセットを多くし、手間をかける
・また、疾走間と同時に価値観の広がりも確保するよう、小ネタも挟むようにする
・ラスボスは強く、美しく、とてつもなく
・エンディングは叙情深く
・各種インターフェイス周りが独自、オリジナリティを感じさせる
・情報が多すぎない、ずらずら意味不明の数値が並んでない
・平凡な自動オープニングが始まらない
・開始直後から動ける
・メニューを開いてもずらっと装備欄とかはない
・少し動かしてから、ちょっとしたイベントが入る
・とにかくやれることの期待感を膨らませる、既存の予想通りでないと思わせる
・台詞のセンスを初回からぶつける、これによって期待が段違い
ゲーム中盤評価条件
・一旦ゲームを中断した後、続きがしたくなるかどうか
・つまり、中断中もゲームのことを考えている、攻略方法や、成長方法など
・プレイ外思考の余地が大きいことが重要?
・ゲーム性以外で引っぱるには、ストーリーの先を気にさせる
・主人公展開はプレイヤー次第なので、サブキャラを選択状態に立たせる方が望ましい
・中盤は条件付け的な没頭状態にする、これによって没入感が高まる
・上記の達成について、報酬の放出は許容する
ゲーム後半評価条件
・一転テンポを削ぎ、難易度を高く、やり応えを与える
・しかし作業ではなく、謎解きを主とする、ギリギリ解けるその境を最大限注意する
・また、ストーリーは奇抜な展開を入れ、雰囲気を一転させる
ゲーム終盤評価条件
・たしなみとして、ストーリーはどんでん返しを入れる
・ゲームはイベントとのセットを多くし、手間をかける
・また、疾走間と同時に価値観の広がりも確保するよう、小ネタも挟むようにする
・ラスボスは強く、美しく、とてつもなく
・エンディングは叙情深く
RPG仲間成長型類型
2012年3月3日 あんちょこ・不可逆固有成長
・不可逆自由成長
・不可逆固有自由成長
・可逆自由成長
・可逆固有自由成長
RPGにおいて仲間の育成は特殊に意味を持つ
不可逆成長と可逆成長の比をグロウセット比と名付ける
・不可逆自由成長
・不可逆固有自由成長
・可逆自由成長
・可逆固有自由成長
RPGにおいて仲間の育成は特殊に意味を持つ
不可逆成長と可逆成長の比をグロウセット比と名付ける
≪対技術攻略草案≫
考えない。時間を使う。
土台作りに意志の力を使わない。
右脳と体と習慣と思い出にすり込む。
いいものを見る。真似を恐れない。むしろ楽しむ方向で。
訓練と集中を分ける。
集中は一つにする。好きなこと、今やりたいこと。
やりたくない時にやる必要の出そうなものは自己評価を訓練レベルに見積もる。
どうでもいい時間を技術のために使う。
一番いい時間を好きなことをするのに使う。
好きなことには技術を使う。遠慮もごまかしも叩き回避も無用。
ガチ。
ああ!読みたくない!読みたくないけど
読んじゃうー!
なにこの究極のネタバレ。
なんっかこうものすごく不親切なRPGが作りたくなってきたっす。
いつものことさ・・・
年甲斐もなくはまったピクシブ・・・
主に見る側のほうで。あうあう
考えない。時間を使う。
土台作りに意志の力を使わない。
右脳と体と習慣と思い出にすり込む。
いいものを見る。真似を恐れない。むしろ楽しむ方向で。
訓練と集中を分ける。
集中は一つにする。好きなこと、今やりたいこと。
やりたくない時にやる必要の出そうなものは自己評価を訓練レベルに見積もる。
どうでもいい時間を技術のために使う。
一番いい時間を好きなことをするのに使う。
好きなことには技術を使う。遠慮もごまかしも叩き回避も無用。
ガチ。
ああ!読みたくない!読みたくないけど
読んじゃうー!
なにこの究極のネタバレ。
なんっかこうものすごく不親切なRPGが作りたくなってきたっす。
いつものことさ・・・
年甲斐もなくはまったピクシブ・・・
主に見る側のほうで。あうあう
くそ、されてるようでされてないなゲーム系理論。
特殊な判定って多次元の当たり判定くらいなのか?
それ以上は人間じゃゲームにならないのか。
モデルが存在しないんだな。
非線形判定になると職人が判断してるような
技術がモデルになっちゃう。
純粋系で人間工学に引っかかってくるのは、
成功表現、緩急、公開される要素数、速度。
とりあえず要素数以外は無視る。
パラメータ形式の網羅
ストラクチャ的パラメータ集合。
各構造体要素に繰り返し判定を行うとき、
それぞれ自身のパラメータ集合を参照する。
カウンタパラメータ。
ある範囲内をカウントする。
フラグ。
過去の判定を常に参照可能に記録しておくもの。
判定の種類
等号不等号。
確率。
定数演算。
これが厄介か。
確率の定数調整は自動化できん。
判定周期。
不定期判定とかはありなのか?
ステート管理。
判定ステートが可変である判定はありか?
それぞれの論理和、論理積。
基本的に条件重複は低く抑えられる傾向にある。
座標判定は無機的に重複する特殊な判定。
しかしその決めつけは危険か。
10要素中1要素が落ちた場合という判定はよくありうる。
数値変動の種類
脳が足らん。
レイアウトの抽象化もいるなー
手作りの方がはええ。
ああ!数字の向こうにまだ人間が触れたことのない
未踏系があるはずなんだ。
しかし人間神経系から正攻法で挑んでも無理だ。
仮想的な人間外神経系から投影する形で、
概念をこっちに引っ張ってくるしかない。
お兄さん社会の視線にマケナイヨッ
こっち見んなwww
特殊な判定って多次元の当たり判定くらいなのか?
それ以上は人間じゃゲームにならないのか。
モデルが存在しないんだな。
非線形判定になると職人が判断してるような
技術がモデルになっちゃう。
純粋系で人間工学に引っかかってくるのは、
成功表現、緩急、公開される要素数、速度。
とりあえず要素数以外は無視る。
パラメータ形式の網羅
ストラクチャ的パラメータ集合。
各構造体要素に繰り返し判定を行うとき、
それぞれ自身のパラメータ集合を参照する。
カウンタパラメータ。
ある範囲内をカウントする。
フラグ。
過去の判定を常に参照可能に記録しておくもの。
判定の種類
等号不等号。
確率。
定数演算。
これが厄介か。
確率の定数調整は自動化できん。
判定周期。
不定期判定とかはありなのか?
ステート管理。
判定ステートが可変である判定はありか?
それぞれの論理和、論理積。
基本的に条件重複は低く抑えられる傾向にある。
座標判定は無機的に重複する特殊な判定。
しかしその決めつけは危険か。
10要素中1要素が落ちた場合という判定はよくありうる。
数値変動の種類
脳が足らん。
レイアウトの抽象化もいるなー
手作りの方がはええ。
ああ!数字の向こうにまだ人間が触れたことのない
未踏系があるはずなんだ。
しかし人間神経系から正攻法で挑んでも無理だ。
仮想的な人間外神経系から投影する形で、
概念をこっちに引っ張ってくるしかない。
お兄さん社会の視線にマケナイヨッ
こっち見んなwww
ゲームあんちょこ(トーナメント法)
2006年12月5日 あんちょこはぐるま
かたんかたん
中断不可能
途中下車
何度も失敗している
やる気
なぜやる気になったか?
気質的な部分
最も重要なのはカタンカタンであり、
歯車的それらの道のりである。
それ全体はつまり、いくつもの判定を内含し、
それが一瞬でなく順に判定されていく事に意味がある。
さらに各判定の難度は高くは無いが低くも無く、
集中せずとも一つくらいは突破できても、
やる気無しに全ては突破できず、
さらに難度は後になるほど厳しくなる。
このゲームデザインをトーナメント法と名付ける。
それはよかった〜
この文は東方ノーコンやシル幻防衛戦などの
ゲームドキドキのメカニズムを思索したものである。
かたんかたん
中断不可能
途中下車
何度も失敗している
やる気
なぜやる気になったか?
気質的な部分
最も重要なのはカタンカタンであり、
歯車的それらの道のりである。
それ全体はつまり、いくつもの判定を内含し、
それが一瞬でなく順に判定されていく事に意味がある。
さらに各判定の難度は高くは無いが低くも無く、
集中せずとも一つくらいは突破できても、
やる気無しに全ては突破できず、
さらに難度は後になるほど厳しくなる。
このゲームデザインをトーナメント法と名付ける。
それはよかった〜
この文は東方ノーコンやシル幻防衛戦などの
ゲームドキドキのメカニズムを思索したものである。
ゲームあんちょこ(いろいろ)
2006年10月13日 あんちょこストーリー
クリアすると進行するのでなく、
自動的に進むとゲーム性になりうる。マルチ。
何を参照に進行するか。
自由度の深度
ゲーム性ストーリーを展開すると、
必然的にストーリーの進行度合いによって
自由度が変化する。
これは特にマルチ化に特化した多プレイゲームにおいて、
作業化の一因になる。
クリア進行型ストーリーで自由度が変化するのは最悪。
発見と全知
発見はアドベンチャーの基本的面白さであるが、
発見を含むほどゲーム性は低下する。
(国産RPGは基本的にアドベンチャー+戦闘の複合ゲーム)
ゲーム性的には全知に近ければ近いほどよい。
発見は消費されるので、そこにゲーム的恒常性は無い。
しかし、発見は非常に重要な要素だと思われるので、
必然としてRPGからは恒常性が失われる。
この対策として、
未発見を前提とした発見物(=裏技)の導入があり、
擬似的に恒常的な未発見状態を実現していたが、
現代のネットと攻略本によって無意味化し
ゲームの消費速度が高速化した。
ここに来てゲーム性が叫ばれるようになったのは
発見が陳腐化し、
プレイヤーの全知化が進んだ結果とも考えられる。
//
クリアすると進行するのでなく、
自動的に進むとゲーム性になりうる。マルチ。
何を参照に進行するか。
自由度の深度
ゲーム性ストーリーを展開すると、
必然的にストーリーの進行度合いによって
自由度が変化する。
これは特にマルチ化に特化した多プレイゲームにおいて、
作業化の一因になる。
クリア進行型ストーリーで自由度が変化するのは最悪。
発見と全知
発見はアドベンチャーの基本的面白さであるが、
発見を含むほどゲーム性は低下する。
(国産RPGは基本的にアドベンチャー+戦闘の複合ゲーム)
ゲーム性的には全知に近ければ近いほどよい。
発見は消費されるので、そこにゲーム的恒常性は無い。
しかし、発見は非常に重要な要素だと思われるので、
必然としてRPGからは恒常性が失われる。
この対策として、
未発見を前提とした発見物(=裏技)の導入があり、
擬似的に恒常的な未発見状態を実現していたが、
現代のネットと攻略本によって無意味化し
ゲームの消費速度が高速化した。
ここに来てゲーム性が叫ばれるようになったのは
発見が陳腐化し、
プレイヤーの全知化が進んだ結果とも考えられる。
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ゲームあんちょこ(基系)
2006年9月27日 あんちょここれがゲーム性のセントラルドグマだー!
http://members4.tsukaeru.net/boo/dgm.jpg
効果は数値
違うな。
情報の複雑化のサイクルとしては妥当だが、
人間の思考はまた違う。
選択の先を見ている。
判定を抜け、数値を抜け、次の選択肢まで思慮している。
ほとんどの場合そこで思考が止まるのは、
"自分が次に何を選ぶのか"の導出がゲームの系とは
ある程度、独立に複雑だからだ。
将棋や囲碁はこれも読む。
思考の流れを追う。
まず選択肢は選びたいものを選べるか自問する。
これはリアルタイムゲームで問題になる。
次に判定の結果がどうなるか予測する。
予測できないものが、いわゆる、
やってみないと分からない系。死にゲー。
判定の結果が完全に予測でき、
数値の変動が予測される。
予測される数値が有利か不利かを判断する。
そこで"絶対有利"、デメリットの無いメリットが
確保されなければ、さらに次、
次の選択肢の結果を"今"予測する意義が生まれる。
もちろんそのサイクルを気まぐれにどこで止めても良い。
それには頭を休めるというメリットがある。
その間も数値は変動を続け、それを元に
選択肢と判定も変化する。
ドグマの重要な示唆は、数値が他の二つに
影響するということではなく、
判定が他の二つから影響されるということである。
ゆえに一般に最もゲーム性が高まる点は判定にある。
http://members4.tsukaeru.net/boo/dgm.jpg
効果は数値
違うな。
情報の複雑化のサイクルとしては妥当だが、
人間の思考はまた違う。
選択の先を見ている。
判定を抜け、数値を抜け、次の選択肢まで思慮している。
ほとんどの場合そこで思考が止まるのは、
"自分が次に何を選ぶのか"の導出がゲームの系とは
ある程度、独立に複雑だからだ。
将棋や囲碁はこれも読む。
思考の流れを追う。
まず選択肢は選びたいものを選べるか自問する。
これはリアルタイムゲームで問題になる。
次に判定の結果がどうなるか予測する。
予測できないものが、いわゆる、
やってみないと分からない系。死にゲー。
判定の結果が完全に予測でき、
数値の変動が予測される。
予測される数値が有利か不利かを判断する。
そこで"絶対有利"、デメリットの無いメリットが
確保されなければ、さらに次、
次の選択肢の結果を"今"予測する意義が生まれる。
もちろんそのサイクルを気まぐれにどこで止めても良い。
それには頭を休めるというメリットがある。
その間も数値は変動を続け、それを元に
選択肢と判定も変化する。
ドグマの重要な示唆は、数値が他の二つに
影響するということではなく、
判定が他の二つから影響されるということである。
ゆえに一般に最もゲーム性が高まる点は判定にある。
ゲームあんちょこ(難易度調整編)
2006年7月30日 あんちょこ冷静に考えよう。
100人中100人が通過する課題はゲームではない。
100人通過するのがザコ。
99人以下通過するのがボス。
ゲームを通してボスの難易度の順序は
何が最も最適なのか。
ボスは何回あるのが良いのか。
ボスが選択可能であるのはどういった効果を持つのか。
例えばSLGにおいて資金が底をつくと
ゲームオーバーなのは、決算がボス。
そのターンに特殊な支出イベントがあれば
それがボスの実体。
無ければボスの難易度は一定であったことになる。
それはつまるところ、"面白いのか?"
決算はゲーム中に1回がいいのか10回がいいのか、
難易度は上昇すればいいのか下降すればいいのか
波であればいいのか。
もしくは難易度をプレイヤーの選択に委ねればいいのか。
ゲーム学会こーゆの研究せいや。
100人中100人が通過する課題はゲームではない。
100人通過するのがザコ。
99人以下通過するのがボス。
ゲームを通してボスの難易度の順序は
何が最も最適なのか。
ボスは何回あるのが良いのか。
ボスが選択可能であるのはどういった効果を持つのか。
例えばSLGにおいて資金が底をつくと
ゲームオーバーなのは、決算がボス。
そのターンに特殊な支出イベントがあれば
それがボスの実体。
無ければボスの難易度は一定であったことになる。
それはつまるところ、"面白いのか?"
決算はゲーム中に1回がいいのか10回がいいのか、
難易度は上昇すればいいのか下降すればいいのか
波であればいいのか。
もしくは難易度をプレイヤーの選択に委ねればいいのか。
ゲーム学会こーゆの研究せいや。
ゲームあんちょこ(メカニズム編)
2006年7月29日 あんちょこ『ゲーム性とは』
ある課題(条件)のクリアの困難性。
『単純作業とは』
クリアの容易な課題をクリアし続けること。
ゲームのメカニズムはこの二つによって構成されている。
二つの要素は各個に優れているべき点を持つ。
ゲーム性は…
・より単純なルールであること
・より振る舞いの予測が複雑であること
単純作業は…
・継続を促す優れた報酬システムを持つこと
正しいゲームの構成とは、
ゲーム性に親しむ為にうまく単純作業を織り込むことである。
つまり、ルールに親しむ為や、
より複雑な思考ができるよう、脳に時間を与えてやることが
単純作業の本来の仕事である。
同じことを繰り返すことはより高位の思考や動作を
する為には欠かせないステップである。
これを誤り、報酬と報酬システムに大きな比重をかけると
単純作業に特化したゲーム脳を育てるゲームとなってしまう。
これは皮肉にも労働の解釈にも根が深い。
すなわち、優秀な労働とは困難なゲーム性の攻略だが、
その結果ほどこされるのが給与である。
しかし報酬は被報酬者の単純作業者化を促すのだ。
そうこれは創作労働者にとって極めて重要な問題で、
報酬を目的にすることで、
創造性、発想力、洞察力、柔軟性が著しく減退することが
多くの実験で明らかになっている。
報酬に頓着が無い人間ほど優れた創造性を発揮するのは、
科学的にすでに根拠が証明されているのだ。
ええ、だ か ら なんです・・・
ある課題(条件)のクリアの困難性。
『単純作業とは』
クリアの容易な課題をクリアし続けること。
ゲームのメカニズムはこの二つによって構成されている。
二つの要素は各個に優れているべき点を持つ。
ゲーム性は…
・より単純なルールであること
・より振る舞いの予測が複雑であること
単純作業は…
・継続を促す優れた報酬システムを持つこと
正しいゲームの構成とは、
ゲーム性に親しむ為にうまく単純作業を織り込むことである。
つまり、ルールに親しむ為や、
より複雑な思考ができるよう、脳に時間を与えてやることが
単純作業の本来の仕事である。
同じことを繰り返すことはより高位の思考や動作を
する為には欠かせないステップである。
これを誤り、報酬と報酬システムに大きな比重をかけると
単純作業に特化したゲーム脳を育てるゲームとなってしまう。
これは皮肉にも労働の解釈にも根が深い。
すなわち、優秀な労働とは困難なゲーム性の攻略だが、
その結果ほどこされるのが給与である。
しかし報酬は被報酬者の単純作業者化を促すのだ。
そうこれは創作労働者にとって極めて重要な問題で、
報酬を目的にすることで、
創造性、発想力、洞察力、柔軟性が著しく減退することが
多くの実験で明らかになっている。
報酬に頓着が無い人間ほど優れた創造性を発揮するのは、
科学的にすでに根拠が証明されているのだ。
ええ、だ か ら なんです・・・
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