いやー某方吹っ切れてるわー
さすが

ベルセルクってもしかして消えたローマ軍ネタも入ってるの頭?
年代的には暗黒時代が舞台・・・なのか・・・?

妻幼児折ったらずぎゅぶっしゃーべずべずごごでばばば・・・!!!
とかいちいちなってたら鬱陶しいだろ?
そういうことだ

藻屑さん

2010年6月8日 ゲーム
やっと前やってたパイレーツオブカリビアン全話見終わったよー
おもしろかった~

フリゲインタビュー、次は氷石彩亜さん・・・だと・・・?
まさか・・・、あの伝説の・・・!!?

ロンド・・・  ロンドーーー!!!

スパローって結構珍しいタイプの主人公だよなー
興味深い精神構成してるわ

10mgsk

2010年6月7日 ゲーム
やあ、時間くん

これよりみんな素敵に見えるサミットを開催する!!

おわった!!!!!
例えば寿司をモチーフにしたゲームを考えたとする

普通に考えれば作る工程がメインとなり、
その手段が増加したり客のバリエーションなどで
システムを進行させることができる

アクションにすることも可能だ
回転寿司にしてRTS化することもできる
しかしそういったことじゃあ、ない

運動生理学的に見れば筋力の肥大に比べて神経の適応は早い
が、それでも1週間前後かかったはずだ
単一の報酬系としては現代としてはシビアといえる

自由度という側面から見ればコマンド選択は一次元、
2D移動は二次元、しかしこれが特定の座標を無制限に選択可能な場合であれば、
1座標あたり2通りだとしても2のA×B乗通りになり、
単一選択の場合のA×B通りからはるかに増大する
この選択量は自由度というより、創造性の余地として別種に分類できる

戦闘という形式が多用されるのは、勝敗という判定がゲーム的に利用しやすいからだ
判定さえあればそのモデルは他のものでも代用できる
しかし結局は善いか悪いかを判定する系に帰着する
それ以外を考えれば、創造性、鑑賞系、・・・ここか
他の新しい着地点を見つければ何か開けるだろうか?

違うなー
帰着のバリエーションもすでに相当数開拓されている
着地点じゃなく、取っ掛かり、インターフェイスか?
と、ここまでは完全に任天堂の後追いか

モチーフを切り取ってモデル化して報酬系と背反性を整える
こういったセオリーから抜け出したい
モチーフから創造してしまうか?
アフォーダンスが崩壊してわけわかめになるだけか
しかしそれだと、まだこの世に存在していないモチーフのゲーム性は
使用できないことになってしまう
まあ実際、使用できないと言ってしまっても正しいんだろうが

そういうことじゃないよなあ
やっぱこれは悪い理詰めなんだよ
いい理詰めは未知の素材から未知の結論を導き出す為のものであって、
既知の素材から未知の組み合わせを導くのは悪い理詰めだ
それは感性で事足りるはずなんだよ
未知の素材がないと始まらない

いやいやそうじゃないぞ
やはりモチーフから創作するべきなのだ

まずい感じ

黒の4号

2010年6月5日 ゲーム
えたなる

黒の1号

2010年6月4日 ゲーム
もはやファンアートすら描けぬというのか・・・
とか思いつつ弟の姉の新曲を聴いてた

ストーリー考えるのは好きなのに、
サブイベント考えるのは苦手なんだよなあ
これってやっぱりゲームの制限が強いからなのかな

いつの間にかここに書けないことなんてできてたのね
基本的には配信は失敗か

というか相手を意識した場と、一人で喋るだけの場の2つが必要なんだろうな
後者が自動的に捨てツイッターに移行した

いつの間にかブー太ってHNが、適当なHNじゃなく個人を表すHNに変化してた
そんな重要なことに気づかないくらい僕は油断してたわけだ

かといってブー太は元々相手を意識したペルソナじゃないわけで、
そこに矛盾がある
そもそもの存在意義が一人で自己満する為の人称だから、
対人用にカスタマイズしたところで意義を失うだけだ
どちらにしろ、もう相手を見ない独り用の「ブー太」なしにはやってけないだろうから

ま、問題だったのはそれを理解してなかったことであって、
別に同一兼用くらいは何とかなるはずだよな
元々からして人間には体が一個しかなかったんだから

二面性、というか2つどころでもないが、
要点はその多面性は他人に許容されるのか、
それともやはり同一人物に見せるペルソナは1つに統一するべきなのか

僕って多重人格なの?会う人によって態度の変わる信用できない奴なの?
って疑問はそれなのかもしれない
僕なりに人からの見え方を統一しようとするけど、
でも、いるものはいる
全部僕でそれを人に見せても混乱させるだけで、きっと同じものに見ることができない

視点と知覚が違う
何でか僕は目玉が10個付きで生まれてきてしまって、
2個の人とはどうしても話が合わないイメージ
あるいは自己同一性保守本能が僕にはない

でもそれって普通じゃない?
なぜ皆察してあげられないの
別の面の20や30あってもいいじゃない
見せる方はきっと不安なんだから、
最初から知っていたって風に少し嘘をついて何でからから笑えないの

というのは都合のいい話で、
実際はほとんど別の面なんてないのが現実だって
加齢と共に自己同一性継続本能が働いて、皆単一のキャラクターが出来あがっていく
そして皆そうだという前提のもとで生活していく
とりあえずひと段落かも

わかってますよー
5回目やる

http://livetube.cc/boota

ハッスルして雑談しーた

前々要旨

2010年6月1日 ゲーム
体調不良4かいめ

http://livetube.cc/boota

今日はど鬱

おしんどにー

2010年5月31日 ゲーム
見えてねーーー!3回目

http://livetube.cc/boota

その日に何やったかだけでも書いといた方がいいかな
今日は完全に雑談ってましたー
2回目ばえおいろm;あせk;

http://livetube.cc/boota
てなわけで、ここらで適当に落書き配信とか
やってくと思いまーす

http://livetube.cc/boota

ちゅわー

2010年5月28日 ゲーム
あー・・・

ヴログ始めてもーた
http://www1.axfc.net/uploader/Si/so/74543.mp3(圧縮した
キーワード:boo
ゲーム思いつかねーー!
ゲーム思いつかねーよーー!
うわあああぼべらぼべらぶばばばべらばあ

感性か・・・

電子海ぱったりやめちゃったな・・・
炭鉱もやってない

斬新なゲームを作ったとしても、気づかれなきゃ斬新でもなんでもない
それは感性だ
面白いゲームを作れば誰でも気づく
それは理性だ

感性の持つ意味は脆い
感性は主観であり、具体物を経由して、注意深く感性を読み取ろうとする
人間にだけ伝わる
というのは優しい幻想で、それだけの感受性は期待できない
ましてそれだけの具体化すら期待できない

感性は作品における搾りカスのようになりつつある
面白くさせる技術、感動させる技術、惹きつける技術
受け手の反応を理想に近づける技術はテクノロジーであって一意のものだ
一意のものなんだよ
そして一意のものは感性とは呼べない

これが何を意味するかわかるだろうか
わざわざ感性を表現する必要がなくなりつつあるってことだ
多大な労力を使って伝わるかどうかもわからない、
受け取ろうとしなければ伝わらないものを作るより、
確実に要点も含めて伝える技術がある
そんな場合、感性はもはや無意味だ

知らず知らずそういう生活をしていて、ふと気づいた
ゲームをしても、音楽を聴いても、ブログを見ても、
前ほど心が揺らがないことに
感性とは何かと最近よく考える

間違いなく感性は生活を豊かにする
しかしその感性の豊かさが、作り手となった時牙をむく
感性が豊かであればあるほど、他の人が何も受け取っていないことに
気づかされることになる
感性とは何か?
感性が心理、情動、論理に含まれるものなら僕にも汲み取れただろう
しかし実際には、心理や情動や論理が感性に含まれるものだ
感性には果てがない
と同時に間接的に共有できないものであり、無意味なものだ
少なくとも高尚と呼ばれるレベルにおいてはそうだ

一体誰が芸術など理解できるだろう
もしできるとすれば、それはそれ以上の芸術家だけだ
感性が追いついていないのに、どうやってその芸術を評価できるというのか
それが錯覚感性だ
錯覚感性を作り手が肯定することは、嘘をつくことに等しいと僕は思うよ
かといって感性の正誤なんて照合できるものでもない

僕はふとそこに壁があることに気づいたよ
絵を見て音楽を聴いて、ふとそこにある感性を読み取れそうな感覚を受ける
どんな風に作り始め、どんな目的で、特別な思いがあったのか、
それともさして思い入れはなかったのか、自分ではどんな感想を持っていたのか、
全てシミュレートして、感性というものを引き出そうとする
でも駄目だ
これこそ僕の感性だが、そこには壁があるんだ
しかもその壁は僕自身が作っている壁だ
理由はわからないがそう感じる

なにより受け手は感性の正誤に無関心だ
それは当然でもあり、受け手が受けるのは自分がよりよい豊かさを得る為だからだ
何事も考え方次第で楽しいものになる
だが仮にもしもその何事が、
作り手が心血注いで苦しさを表現したものだったとしたらどうする?
受け手はさも善人そうにそういった無関心を披露してくれる
でもそれは注がれた心血のほどに残酷だと、僕はそう思うのですよ

鳥なし

2010年5月25日 ゲーム
感性というのは馬鹿らしいもんだ
まず何の役にも立たない
一部、他人の創作をありがたがるおめでたい連中に対しては、
わずかに影響力を持つが、所詮そんなものは気持ちの悪い仲良しごっこだ

つまり感性というのは、本当に完全なる自己満足なんだと思うんだよね

翼をあげる

2010年5月24日 ゲーム
嫁さんは4人欲しい
そんでもって1人あたり4人子供生んでもらって、
女の子2対男の子1くらい
嫁さんどうしでランチでも行って退屈しないでほしい
あと旦那も極上の男がもう1人いて、
子供の半分は彼の子供
異父兄弟はそれぞれタッグを組んでライバル意識を持って育ってほしい
最終的に家族日替わりで自分で考えた紙芝居を
夕食後に発表して朗読する最高のひと時をすごしたい
おつかれ
おやすみ

くくあぱぱ

2010年5月22日 ゲーム
・タイトなゲーム性を維持しつつ
・十分にボリュームがあり
・目的は大義名分
・かつキャラクター性の高いゲーム

大義名分ってのが気に入らんが、これはよーするに
大規模な発展性を無理なく得る為の間接的な条件なんだよね
マイナー名分で大河級のボリュームを引っぱるのは不可能、
でもない気もするがどうかねー

銃夢なんか結構マイナー名分で続いてる気がするけど、
やっぱそういう意味じゃマニアック(受け手を限定する名分)ではあるよな
ギミックが限りなく主流(格闘アクション)だからいいようなものの

逆に言えば、ギミックがメジャーであればマイナー名分が使えるってことだ
というかメジャー名分を使うのは、ギミックにマイナーな変り種を仕込む為とも見れるかも
マイナー名分にマイナーギミックだと純血のマイナー作品ができるが、
いずれかにメジャー成分があればそれが主軸を引き受けて、
他方の自由な展開を許容してくれるってわけか

Mm理論いっちょ上がり

ああー、どっちも変り種仕込みたい

まあでも身もフタもないけど、
ゲームは十分面白けりゃそれがメジャーの免罪符になったりするからなー

それよりやっかいなのは、やっぱボリュームか

ゲームの汎用処理と個別処理の二元性は、限りなく原理なんだよ

イラストやらストーリーやら(ボイスやら実写やら・・・)は別に邪道ってわけじゃない
ただ、それが単品であればあるほどボリュームに対してコストが上がる
ボイスを2つに切り分けて組み合せるだけで、汎用処理としてのボリュームは上がるが、
個別性としての人間味というものはそれだけ減じる
キャラクターのイラストを背景と組み合せれば汎用性は上がるが、
構図や光の変化といった個別性の高い演出は一切諦めなくてはならない
いわゆるストーリーとゲーム性の背反問題もここに起因しているわけで、
決して精神論やスタンスの違いで片付けられる問題じゃないのだ

これに対する今の僕の常策が、先の組み合せ後例外配置なんだけど、
王道と呼べるボリュームを一人で作るにはまだまだ無理がある
労力はもちろんにしてもモチベーションとしても非現実的と言わざるを得ない
だろうなぁ、現状では

低コストに圧倒的な効率でボリュームを構築できる唯一の方法はテキストかもしれない
ラノベの挿絵のそれ一枚が何千字ものテキストに想像力を働かせる軸になっているのなら、
それはテキストという縦軸にイラストの横軸で面積のボリュームを確保できる掛け算の効率だ
同じようにゲームとテキストの掛け算ができれば、理想的なスタイルが見い出せる
可能性があるかもしれない
面白いゲーム考え中

いまだに既存のジャンルって観点から作ったことない気がするなぁ

やりこみ需要はグレード理論で対応できるだろ
ゲーム性はクソゲー消去法と組み合せ後例外配置、
さらに強化スケジュールまで考慮すれば十分対応できる
対戦戦略性については全然甘いんだけど、
そもそも僕自身そっちはあまり興味ないし・・・
ゲーム的な部分は問題ない
恥ずかしながら、今足りないのはゲーム的以外の部分なんだよなぁ

静的ゲームのご褒美が馬鹿らしいというのも少しわかる
ゲーム内の報酬の閾値というのは、全く外部に依存しない独立系だ
何の意味もない簡単なことに好きなように報酬で方向付けすることができる
これは現実的報酬感覚との乖離でもあり、報酬感覚の代替というゲームの主目的でもある

迫真に迫るストーリーっていっても、今さら世界系ってわけでもないだろうし、
あんまり最後に切なくなる話っていうのも個人的にはしんどくて辛い
作者自身はそうでもないかもしれないけど、キャラが生きてる作品ほど
なんか終わる時が切ないよね
最近もうそういうの辛くてしんどいから、
僕もなるべくそういうのは作らないようにしようと思ってる

こういうと恥ずかしいけど、やっぱり僕は宮崎駿の生徒だと思うんだよね
あの人は謎でストーリーを引っぱらないように意識して作ってると思う
だから僕も謎を主力にシナリオを考えないようにしている
実際、謎というのは中身という中身がなくて日持ちのしないものだと僕は考えてる

世界観というものについてもしばらく考えていた
結論としては結局世界観というのは、
世界全体が特殊なものと視点の当て方が特殊なものの2タイプしかないのだ、たぶん
その2種類で世界の見え方をやりくりすることになる
しかしこれもまた、ほとんど娯楽的な要素だと思うんだよね

本当に幸せな創作っていうのはどういう形なのかなぁ

この世の根幹は幸せからできてるんだよって
そういうのをほんのり伝えられる作り方ができればいいんだけどね・・・

世界の根幹を思い出すだけで嘔吐いてる現状じゃなあ

他にも考慮しなくてはいけない問題点は山ほどある
技術的な問題から現実的な問題、性格的な問題、
とりわけこれらが重要かどうかという問題
僕自身はもっと媚びたいんだけれど、
どう媚びればいいかの受け手の声をもっとたくさん聞きたい
悩ましいな

手持ちの理論でやりくりする、っていうのは地に足ついてるわな
でもどんなに面白いゲームでもやっぱり変わっていかなくちゃいけないんだと思う
表面的な形式は変えずに、中身の動きだけ変えまくろう
というのが僕の最近の方針だった

というか表面もあれか
もしかして僕のゲームの表面って何か小ネタ臭いのかな
ぴりりと捻りのきいた王道の作り方かー
そっち方面で考えてみるか

出オチ気味のゲームは安心してプレイできない
ってのはあるのかもしれない

そして明かされる出オチに頼りまくった僕のゲーム製作人生

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