アインシュタイン以前の近代世界観が「世界は物質」であるなら、
それ以降は「世界は情報」であると言える。
情報的限界はそのまま物質的限界を決定する。
これは人間が知らないことに世界が対応するわけではなく、
世界自身が世界を知らないという原因に起因する。
それはそのまま物理現象となる。
この必然をアインシュタインが理解できなかったのは、
世代的世界観による不運だろう。

時間は収束によって発生し、進行する。
この時、現在の状態から過去を逆算できるだけの情報は維持されない。
因果関係はジャンプしている。
ゆえに世界は過去を知るすべがなく、
その事実は過去の存在そのものを物理的に否定する。
時間軸という座標系は存在しない。

しかしながら、時間が収束によって発生する以上、
その始まりを推測することは可能だろう。

時間の発生が先か、物質の発生が先かといったら、それは物質だろう。
正確には収束が先だが、それは物質である。
これを機能的な面で収束子と定義し、最初の収束子を起源収束子と呼称する。

普通に考えるなら時空の始まりは起源収束子の発生に起因するはずだ。
起源収束子は、単体において自己完結的に自己定義できる存在だったと考えられる。
自己完結的に収束した起源収束子はさらに「何でもない」周囲を収束させ、
収束した周囲はさらに収束子化していったはずである。
その連鎖的な物質と時間の発生がビッグバンとして観測されていると考えられる。
インフレーションと呼ばれる加速膨張は、
時空化の境界面より我々の時間の流れが遅いからそう見えるという、
見かけの現象であると思われる。

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