2011年3月21日 ゲーム コメント (2)
発作で死んでたけどジブリのドキュがあるときいて!
どうせ大したことやらないでしょうけど!
ありゃ ありゃありゃ ふぁ

お、おれの魂がふるえている・・・

ぽぽぽぽーんはポーンさん弄りなので控えましょう

簡単に人を嫌いになれる時代だなんて
知ったようなことをゆってくれますな

明日からまたしばらく上を目指す
いや、先を目指す
いや、奥を目指す
いや、新しいところを目指す
いやいや、新しい見方を目指す
いやいやいや、ぽぽぽぽーん

これだけの才能があって宮崎駿は周りの人間が憎くならないのか?
周りの人間が自分の発想に追いつけないことを自覚せずにいられないだろ?
周りの人間が自分より圧倒的に情熱を欠いていることに気がつかないか?
憎くならないか?イラ立ちを感じないのか?
自分と周りの人間の決定的な違いにどう折り合いをつけているんだ?
気にしないのか?気にしないようにしてるのか?
人間性に関係ないと誤魔化しているのか?慣れか?
それとも親しい別の何かを感じているのか?憎くならないか?
誰とも理解を共有できない事に気づかないか?
伝わらないんでも感性の違いでもなく自分の感性を受け取る容量が
周りの人間に足りないのだと悟らないのか?
そう思わないか?隠してるのか?隠すのが普通になったのか?
それとも言い飽きたのか?最初から思ったことすらないのか?
虚しくならないか?
それでも上を目指す自分の向上心に嫌気がささないか?
遠ざかることに恐れや躊躇を感じないか?感じないのか?
無視したのか?無視しても差とイラ立ちと虚しさが増すだけじゃないか?
どうなんだ?どうだった?やっぱり駄目だったか?
やる価値はあったか?やる価値はあるか?わからないか?わかる可能性はありそうか?

コメント

nophoto
匿名
2011年5月13日15:06

簡単に人を嫌いになれる時代というのを思い出して、どういう意味かスッキリした答えがわからなかったので検索してみたところこの記事を見つけました。

簡単に人を嫌いになれる時代とはどういう意味だと考えましたか?
よかったら意見を聞かせて下さい。

それから、これだけの才能があって〜のところを読んでいて思ったのですが
才能のある人間がおおやけに仕事をしていれば
同じように才能のある人間が集まってくると思います。
また、人間は多面的だと思うのでそこまで極端な発想にはならないのでは、
と思いました。

ブー太
2011年5月14日0:19

どうも、書き込みありがとうございます。

私は実はそんなに深い意味で受け取っていないんですよね。
宮崎さんもどちらかというと、
シンプルな皮肉といった意味が強いんじゃないでしょうか。
手近な所に嫌える要素がいくらでも見つけられる時代、
言外に、それは安易で容易だとたしなめるような感じを受けました。
もしくは自分も含めてという意味かもしれませんが。

分析的な意味を考えると少しニュアンスが変わってしまうかもしれません。
まず人を嫌いになりにくかった時代があったのかという話になってしまいますし、
実際に今が簡単に嫌える時代だとして、
その原因の追求と改善を示唆しているわけでもないと思います。

ただ私自身の感覚としては、簡単に人を嫌いになれる時代というのは、
目の前の相手よりどこか知らない誰かの決めた決まりを大事にする、
そういうことをほとんど全員が自覚し、明言し、実行する、
それが個人の利益を超えて、種の存続の為の本能として共有されつつある、
しかしその価値観はかつての仁義と多くの点で相反する、
そんな時代のことではないかと感じています。

才能に関しては、当然ですが実際のところは私は何も知りません。
類推できる環境からすらほど遠いですし、あるいはその通り、
不満を感じさせない才能を持つ人たちを得られているのかもしれませんね。