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2011年2月13日 ゲーム
仏教がどこから来たのか
といえばそれは単に知覚する負荷を知覚演算によって
回避する方法を完成させたというだけに過ぎない、と言えなくもない
もう少し言えば、本来生存に全傾される余力が
環境負荷の周期性、つまり氷期周期等によって最適化されるまでの過渡期において、
発揮された為に生産された余興といってもいい
仏教はそれでいいのだが、
しかしはて、大乗仏教はどこから来たのだろうか
苦の回避に社会的共有精神が適用されただけか
まあそうか、そうだろうなあ
陳腐だな
ラスボスのネタには少々不足かもしれん

まあ言っても所詮、仏陀やらキリストなんてのは魔術師の一種、
とりわけ大衆性の高い技巧的困難な魔術の実践者であったというだけで、
それが三流扇動者によって後世にどう布教されたかは
そもそも問題にすらならないわけだが
改めて問うほどの事ですらないが、仮に教えとやらがそこまで力を持つなら
過去10万年以内に生まれたであろう偉大な魔術師の教えが
現在までに完全に失伝しているはずがない
つまりあらゆる教えといえども、その全てはピラミッドにも並ばない力しかないってことだ

いやそうともいえんか
ふむ・・・

僕もこれで一応トート信仰者だしなぁ

恐らく人類の最古において、初めに行われた擬人化は自然災害だっただろう
他にも化膿や病気などが恐れられ祈られたはずだ
なぜなら自然災害とは驚異的変化であって、生物が生存する為に
対外的にはまず最初に観測情報から照合して認知しないといけない現象だからだ
その必要性から自然的驚異は優先的に自我の価値体系に組み込まれていたはずだ
狩猟や交配についてはさらに古くなるだろうが、どうかな?
動物時点で確立されてる機能はそこまで複雑な解析処理を必要としなかったはずだし、
あるいはこういった能力によって人類の移住行為が始まったのかもしれない
とにかく人類は擬人化を行った
通常の因果律や社会機能に照らし合わせて現象を概念化し、
最も古い「錯覚」を体験した
そしてその錯覚を温暖な環境は許したのだ
苛酷な環境であればそういった現実錯誤は淘汰の要因になるが、
それが許容されしかもある程度合理的に社会性に取り込まれた
生贄などが政治的手段として機能したわけだ
そしてその錯誤はさらに育ち、神だの信仰だのが力を持つまでに本能にも刷り込まれた
霊はどこから来たのか
それは・・・

そうか
まず擬人化とは何か
それは人格という枠に現象の性質を組み合わせたものだ
情報処理の効率上、人間は同じ型の情報を多量に処理する事が遺伝的に前提的である場合、
あらかじめ脳内にその情報構造体を作り、積極的にその空白を埋めようとする特性がある
つまるところそれが擬人化の原理であるから、やはり枠自体は重要ではない
なら現象としての霊はどこから来たのか
単純に現象といってしまえばそれまでだが、僕の27ある邪気眼は他の姿も捉えている
すなわち現象、とりわけ人間、生物にとって驚異として認知される現象がなぜ
この世界に存在するか
それは生物が時間軸に沿って活動している事と関連している
現象とは変化であり、時間によって変化は起こる
そして現象とは霊の元だ
現象さえなければ、生物を脅かすような環境の変化さえなければ
生物は現象を認知する能力を持つ必要はなく、また霊も生まれなかった
つまり時間があるが為に霊と共存することになったのだ
生物は情報の処理によって生きている
そして処理という行為には時間という次元が必要だ
てなわけで原理的に生物は同時に強大な現象というものと
同じ次元を共存しなければならないハメになった
それが擬人化という翻訳を経て霊、神、概念などとして現れているのだ
ある意味で彼らは隣人、三次元的空間に共存する物質としての隣人とは異なる
時間に沿って生きるがゆえの四次元の隣人といえるのだろう
ふう

ラスボスにならねーじゃねーか!

何か違う
そう、確かに違う
確かに現象も擬人化の一翼ではあるが、
神霊と呼ばれる一連のオカルティズムの要点ではない
彼らはとりわけ古典的かつ最も強大な神霊であり、例外だ
そして実際に神霊として作用している数々の擬人化の実体とは、
人間の精神作用のはずだ
そう、神霊という擬人化の主たる元とは人間の精神的性質に由来する
つまり人間が人間の特性を擬人化するという再帰性こそが
神霊を神霊と呼ばしめるオカルティクスなのだ
だがさらに遡るのならば、いや遡る必要はないのか?どっちだ!

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