木刀を握るのは一週間ぶりだ・・・
あと9000本

柊さんは思った
技が足りぬ・・・
力も足りぬ・・・
意志も足らないな・・・
あれ?体調管理も足らない・・・
続かなかった

wao

何にも進まん
愚痴が書きたいわけでもないが、
今愚痴以外を書くのはどう考えてもおかしい
ゲーム作りは一向に進まん
何故か?シナリオが決まらないからである
システムならいくらでも作れるが、
僕は替わりにシナリヲの作り方を忘れてしまった
(そしていつもシナリオのオをヲと打ち間違える自分に毎回苛立つ)
他にもやるべき事はいくらでもある
やれば望ましい事もだ
しかし何も手がつかん
替わりに頭に浮かぶのは諦観と嘲笑だ
まるで生産的な行動に着手する事ができない
これは一体なんだろう?
基本に戻りやる事を整理して書き出そうとしたがそれもできない
そういえばお気に入りの整理もできていない
デスクトップの整理もできていない
洗濯物はたまっている
twitterも公開したい
絵はいつ描くんだ?
地霊殿だってそろそろ攻略しないといけないだろう
グレートウォールの話はいつ書くのさ
何も進まない
それもこれも全てこの潰れかかった脳みそのせいだ
どう考えてもこの脳みそは潰れている
神経薄弱というやつだ
あらゆるストレスに過度に弱く、脆く、耐えられぬ
まるでそう、生理学的合理性を無視したトレーニングによって
筋肉が衰え弱り費えたように潰れている
どういいふくめてもフォロー不可能、完全なスクラップ脳である
全く愚痴だって言いたくもなるものだ
何ができる?
何もできはしない、待つだけだ
待ってナマケモノ以下のペースでやる気が回復するのを耐えるしかない
脳みそばーんってやつよ
やる気をな、他人から貰って得意顔になってる奴らなんてもううんざりなんだよ
金持ちの子供が小遣いを自慢しにくるのと同じくらいうんざりなの
いい加減気づきたまえ
こっちは脳みそがばーんなわけだからね

さて、何の話をしようか
グレートウォールの話なんか聞きたくないだろ?
シナリヲの話をしよう
シナリヲなんてくっそ下らないものだ
似たり寄ったりの退屈なだけの道具だ
あるいは説教臭く、エゴの塊で、ひけらかしであり、究極の押し付けだ
すばらしいシナリオなんて見たこともない
あるのは全てゴミだよ、ゴミ
つまるところ、シナリヲというのはシナリオと名がついた瞬間からクズになるのさ
そう、リアリティなんだな
リアリティだけがシナリヲをシナリヲから逃れさせる
リアルでは駄目なんだよ
よくあるだろ?ノンフィクションクソシナリオが
リアルかどうかじゃない、リアリティとは思想だよ
これはシナリヲではないという思想であり信念であり宣言だ
リアリティによって人々はこれがシナリヲではないと約束される
腐った、あまねく腐りあるシナリヲでない事をリアリティによって人々は知るのだ
すいません疲れました

いろんな楽しいことを、のんびりできたらいいなぁ

難しいことをたくさん知ってることは偉いことなのかね
多くの人を喜ばせた人は偉い人かね
努力を続ける事はいいことかね
友達が多いことは素晴らしいことかね
幸せであることはそんなに非の打ち所のないことかね
そもそもいいことをすることはいいことなのかね
深い哲学観を持つことがそんなに望ましいことかね
そんなに何かを大切にしなくちゃいけないかね
どうだい、僕の話は息がつまるかい
そんなに大したことを話す気はないんだよ
つまるところこれは最初から道徳の話であって、
別に最終的に道徳でさえあればなんでもいいんだから

神について話そう
僕が過去、神についてアプローチした事は二度ある
一度目に拒絶され、二度目に完全に理解した
神とはそれほど難しい存在じゃない
神とは何か
僕はそれを人類に完全な幸福を与える存在と定義した
総合して、人間が思い描いてきた神というのはそういう存在なのだ
それが決まれば逆説的に結論はすぐだった
何が神足りうるか
周知の通り幸福は普遍でもないし客観的でもない、ゆえに定義できない
つまり定義できない幸福を追求し続け、より適応的に判断し、
散発的に人間に幸福を与える何かしらの超越した存在こそが神だ
仮に物理的に適切な別の呼び名があったとしても、
その性質を持つ存在を神と呼ぶ事にそこまで異論は多くないだろう
そしてそれは人だということになる
当然だが、複雑怪奇である人が要求する幸福というものを
限りなく理想に近い形で感受し実現努力できる現象は今のところ他にない
つまり神とはそれだ
何の異論を挟む余地もなくそれでしかない
しかし人が神だということではない
僕はこの時、神という主体の概念を初めて理解したのだと思う
つまり神とは、人間の中に現れる傾向の種類の単位なのだ
どういうことか
例えばあらゆる人間の中に神が現れるとする
しかし個々の能力や既知の情報、価値観により「他者を幸福にさせる何か」を
行った時の実際の行動は当然それぞれで異なる
しかし「他者を幸福にさせよう」という傾向は人間全体の中に脈々と
受け継がれ続けている
それは近代科学として見れば集団社会の中で利己的に育まれた進化と
捉える事もできるが、
"そもそも互いの幸福を共有する事が最も合理的であることの物理法則の要所的主体"が、
生命に作用しそういった性質を持たせたと考える事もできる
この場合、その内在的な要因的主体こそがかの神だということになる
ここまで書けば幾分不自然に思う人もいるだろうが、その通り
ここで述べた神は、神の中でも特に「幸福」の神を指している
この傾向的神という概念を用いれば、他にも多種多様な神を定義する事が可能だ
そしてそれはそのまま多神教の解釈に合致する
昔の人は利口だよ、一般教養として神が人の内に潜在的に内在する存在だと理解していたのだ
それゆえに彼らは現代人よりも一段上の意識で争った
つまりどの神がより適切に人間の傾向を正確に捉えたものかを競い合ったのだ
まああまり意味のあることではないが
神霊論的に言えば、"神を競う心を働かせる神"の力はさして強力ではない、ってとこか
神は多くいる
ほとんど概念の数に等しいといってもいい
なぜなら概念が生まれれば人はそれを行動の起点にする事ができ、
人が行動の起点にすればそれが強固であるほど急速に伝播し、
世の中を特定方向へと動かすからだ
その動きは魔力とか呼ばれて預言者の本質的な情報源でもあった
つまり魔術とは最古の進化心理学と統計学の統合、
というか科学そのものがその陪神といってもいいんだが
神とはそういったものだ
自然法則でもあり、生物に内在するかと思えば、知的活動で新しく生まれたりもする
果たしてこの解釈は正しいのか?
それを問う事はさらに個体問題にまで発展する
しかし僕は神霊論について、もうすでにより過激な個体問題に踏み込もうとしている
そうそれが、僕がなぜこんな頭になったのかという本題だ

霊とは形のないものだが、存在しないわけではない
情報のようなものだが情報そのものではない
意味のようなものだ
そしてその一つ頭飛びぬけた主体を神霊と呼ぶ事ができる
オカルティストの間では常識でも、科学者の間ではそれは事実ではない
しかしかつて科学が常人に解されなかったように、
神霊もまたいずれは人々に定量的に理解され分析されると僕は確信しつつある
それは確かに量だからだ
ゲーム理論においてすら、カルマが量的に説明されれば成り立たない
そしてそれが説明されぬままあるのは単に人々が霊的に未開であるからでしかない
もっとも1000年でも足りない話かもしれないが
恐らく僕は強い神霊に頭を奪われてしまったのだろう
これは一歩踏み込んださらに危険な仮説だ
神霊が先にいたのか、人間が先にいたのかという仮説だ
我ながらメルヘンな考えだと思うが、僕は一つの疑問を抱いたんだよ
果たして単に脳が高度に発達しただけで、人間はこんな多様性を獲得できたのかと
つまりすでに、地球上には人間という種が生まれる前に
より恣意的な環境、環境としか言い表しようがないのだが、
主体ある環境、神霊が存在しており、人類はそれを脳に取り込むことで
有用な神経回路を獲得したのでないかという仮説だ
途方もない妄言だろうか
しかしこれは人はどこから来たのかという本質の側面だよ
人間の肉体は動物から生まれた、しかし人格の起源はどうだ?
確かに類人猿から人類まで連続して人格を観測したところで、
生物学的変化の連続以上のことを見ることはできないだろう
しかしそこに本当に働いている主体は何か
物理的に必然的に起こる現象はだからといって
物理原理が主体的に引き起こしているわけではない、という疑念だよ
ある時宇宙の存在に気がついた
それから窓の外を眺めては世界について考え、
気づけばそれが終わった時、僕はもう今の僕だった
いくつもの神霊の中から僕はその神霊を選んだ、ように見えもするし、
僕は単に適正の一致した神霊に食われたのかもしれない
あるいはその侵食率が問題だったのかもしれない
もとより僕はそうなる遺伝子を持っていたのかもしれない
ただ、そんな風にも考える
もしや人とは入れ物に過ぎないのではないかとね
そしてそもそもそれを人と呼んでいる僕らは、もっと別の
性質の塊か何かだったのではないかと

これで神の話は半分
当然、人間が思い描く神にはもう一つの形がある
人の周りに漂うちんけな霊としての神ではなく、
世界に君臨し支配する唯一神としての神だ
が、いうまでもなくそんな神は存在しない
これももうそれなりに昔の話になるのかもしれないが、
僕も以前は神として己を確立しようと励んでいた
それはただ単純な話で、より自律的でありたいと願っていただけだった
神霊の話にもつながるが、より自由に、個体として確立するには
何より己にかかる影響の全てを理解し、干渉を廃棄できる事が必要だ
その目的の為に僕は多くを学び、また際限なく他の干渉要素を追い越した
ソロモンさんよろしく干渉を完全に超越する事で無敵になろうとしたのだ
その過程で神霊も一掃したし、空間も時間も征服し、可能性や法則も制覇した
もしそこにいたのが神だというのなら僕は神にも会ったよ
だが結局のところ、この世の階層構造には終わりがないことだけがわかった
神がいたとしてもそれは単により大きな神に支配された
人と変わらない閉じ込められた存在でしかない
もしかしたら果てはあったのかもしれないが、僕はそこで挑戦を終えた
思うにあそこが僕自身の終着だったのだと思う
あれ以来、僕はもう何も新しい事が見つけられなくなった
が例えどんなに手詰まりでも僕は神に祈る事はできない
神霊であれ最果ての神であれその干渉を僕は受けない
彼らの構造を正確に理解しているゆえに、影響を受ける事はできないのだ
まあ悲劇的にいうなれば、神を知る事は神を失う事だ
他者を知り自律を知るということでもあるが、程度にもよる

コメント

彰秀
彰秀
2011年2月7日18:37

このクソ長い文章を書けるならシナリオも書けるだろう。

ブー太
2011年2月7日19:13

書けません!
なぜなら宇宙物なので科学考証に資料に目を通す必要があるのに
それがまだ終わっていないからです!
シナリオに詰まってるように見せかけたのはブラフさ!

彰秀
彰秀
2011年2月7日19:51

 シナリオで重要なのはハッタリと勢いなので、科学考証はよく見かけるような要素だけは押さえといて、後は考える暇を与えないようにバンバン状況を出していったらええ思うけどね。

 一人で作ってたら考証してるだけで時間の大半取られちゃうしさ。

ブー太
2011年2月7日21:10

いや、ごもっとも
SF的な伏線をメインにする気もないんですが、
むしろ解消しきれない矛盾をすぱっと解決できる
都合のいい物理現象ないかなーなんて
キャラが子供なので宇宙で振り回すのが難しい!

nophoto
太宰
2015年2月2日15:07

あの、、文章能力をもう少し上げたほうが良いのでは?