今年のxxを振り返る
2010年12月29日 ゲーム コメント (2)録画・・・音声・・・
なぜか他愛もないことですぐ鬱になる
胎界主は、いい引きで来年も実に楽しみだ
ハッピーチャレンジャー実況は、すごく面白かった
つっぱりシミュも、たっぷり売れた
来年はcubaseが買えるかもしれない
なのに、なぜこんなに心が虚しいのか
これは悪徳ですな
今まで働いた悪徳が返ってきているのだす
そんなものきかんわと言った揺り返しが、
きとるのだすなぁ
きかないけどね
今の僕の頭の中は、いつも言い訳と弱音でいっぱいだ
だがその中で何一つでも僕の意図と関係なく生じた不利益があったか?
全て僕のせいだ
それは誇りであり絶望であり目を背けたくなる現実だ
全て僕が僕に招いたこと
他者の行為ですら己の責任だと強情を張るまでもなく、
純粋に全部直接僕のせいだ
自分一人だけを頼り、何もうまくいかず、人々に蔑まれ、
それらを否定せず、反省せず、そのままでいることの罪だ
この悪徳
こんなしょうもない悪徳すら支えられないほど僕は無力
だからどうしようとか、そういうのはなしにしよう
もう、できることは何もない
僕がね、今最後まで胸の奥に残ってると感じる、
最後の激しい気持ちは、人間が嫌いってことだけだよ
もうどうしようもなく嫌いだ
見るのも、聞くのも、話すのも、認識するのも、
もう本当に嫌だと心から感じる
人間なんて滅べばいい
人間がこの上なく嫌いだ
人間の振舞い方、人間の考え方、人間の発想、人間の解釈、
人間の態度、人間の慣習、人間の能力、人間の・・・
なぜ嫌いか、もっともらしい、作用としての説明をする事も可能かもしれない
けれどそんな事より、もっともっと確からしく感じる
今まで人間が70くらい嫌いだと思っていたけれど、
どうやら99ほど嫌いだったのだと思い直した、いや気づいた
人間を許容する余地など、始めからあるはずもなかったのだ
人間と共存はできないと、心から思う
全身から、嫌悪感が溢れ出るこの感覚を
一体どう表現したらいいだろう
どんなに僕が人間を嫌悪しているか
僕が人間を愛する可能性など兆に一つもない
なぜこんな風に生まれてしまったのか
そう呪うことすらできない
こういう風に、僕の脳を改造したのも僕自身だ
こんなことになるとは、思わなかったんだ・・・
ブー太さんに足りないのは力ですよ
僕は手段を選ばずベストを尽くしているかと言えば、そうとは言いがたい
たくさん思うことがある
たくさんのことを思う・・・
この世の全てがいとおしくて、愛の原理さえ解明した
知の原理も、罪の原理も、あらゆる原理を暴いて、
完全な思慮は完全な徳と区別できないどころか、
完全な理解は完全な無関心と区別できなくなったよ
一つ残らず陳腐と化したわ
これが終着よ
途中で降りたつもりが、実は最後の駅まで乗り過ごしていたのさ
発狂とは何かと最近考える
本来の発狂とは多大な精神的負荷や器質的な作用によって
精神的な構造が正常から逸脱することによる、不可解な反応を指すのだろう
だが正常な知的活動として、本来の発狂反応の全てかあるいはほとんどを
その正常認識の範囲内に捉える状態に達したとしたならば、
それは発狂したと言えるのだろうか
あるいはそれが正常であるとしても、もはや正常であると言えるのか
いや言えるかどうかは問題じゃなく、つまり、
その時、"中身"も発狂状態と同じ働きをしているのでは?という
僕自身、区別がつかないんだよ
僕はきっと何をしても正気を失わない
だとすればもう正気を失っているのと同じ事なのでは?
それ以前に
いや、もうやめよう
こういった話にはもう脳がもたないんだ
本当に気分が悪くなってしまう
苦しくなってしまう
刺激の強いテレビなんかももう駄目だ
脳の解剖写真を見ながらご飯を食べてた僕が
もはや毎日吐き気を抑えて最低限の食料を口にする事しかできないんだ
食の楽しみはない
もちろん酒も飲めなくなった
夜も発狂しないかと苦しみ眠る
発狂率を上げるオナニーも好きにはできない
精通以来幾度となく挑戦し幾度となく失敗してきたオナニーの完全管理が
今やっと達成できている
今月は3日に1回、オナニー指数5以上を常に維持している
快感以上の苦痛があれば何の意志もなくとも耐えられるのだ
当然だがこんなものは克服したとは言わない
いい事など何もない
楽しみは全部なくなった
今なら少し、生きてるより死んだ方がましだと言う人の気持ちもわかる
毎日が苦痛で、何の楽しみも休息も癒しも得られないのなら、
こんなに惜しくない生はない
孤独はもとより、運動もできず、思考も全開できず、
何がある?
狂ったところで何が悪い
全て錯覚だ、絶望感も、幸福感も
わかっていながらこんなにも辛い
この海は深過ぎる
それでも願わずにはいられないのだ
この世の者たちの暖かく満たされた幸福なる夜の休息を
なぜか他愛もないことですぐ鬱になる
胎界主は、いい引きで来年も実に楽しみだ
ハッピーチャレンジャー実況は、すごく面白かった
つっぱりシミュも、たっぷり売れた
来年はcubaseが買えるかもしれない
なのに、なぜこんなに心が虚しいのか
これは悪徳ですな
今まで働いた悪徳が返ってきているのだす
そんなものきかんわと言った揺り返しが、
きとるのだすなぁ
きかないけどね
今の僕の頭の中は、いつも言い訳と弱音でいっぱいだ
だがその中で何一つでも僕の意図と関係なく生じた不利益があったか?
全て僕のせいだ
それは誇りであり絶望であり目を背けたくなる現実だ
全て僕が僕に招いたこと
他者の行為ですら己の責任だと強情を張るまでもなく、
純粋に全部直接僕のせいだ
自分一人だけを頼り、何もうまくいかず、人々に蔑まれ、
それらを否定せず、反省せず、そのままでいることの罪だ
この悪徳
こんなしょうもない悪徳すら支えられないほど僕は無力
だからどうしようとか、そういうのはなしにしよう
もう、できることは何もない
僕がね、今最後まで胸の奥に残ってると感じる、
最後の激しい気持ちは、人間が嫌いってことだけだよ
もうどうしようもなく嫌いだ
見るのも、聞くのも、話すのも、認識するのも、
もう本当に嫌だと心から感じる
人間なんて滅べばいい
人間がこの上なく嫌いだ
人間の振舞い方、人間の考え方、人間の発想、人間の解釈、
人間の態度、人間の慣習、人間の能力、人間の・・・
なぜ嫌いか、もっともらしい、作用としての説明をする事も可能かもしれない
けれどそんな事より、もっともっと確からしく感じる
今まで人間が70くらい嫌いだと思っていたけれど、
どうやら99ほど嫌いだったのだと思い直した、いや気づいた
人間を許容する余地など、始めからあるはずもなかったのだ
人間と共存はできないと、心から思う
全身から、嫌悪感が溢れ出るこの感覚を
一体どう表現したらいいだろう
どんなに僕が人間を嫌悪しているか
僕が人間を愛する可能性など兆に一つもない
なぜこんな風に生まれてしまったのか
そう呪うことすらできない
こういう風に、僕の脳を改造したのも僕自身だ
こんなことになるとは、思わなかったんだ・・・
ブー太さんに足りないのは力ですよ
僕は手段を選ばずベストを尽くしているかと言えば、そうとは言いがたい
たくさん思うことがある
たくさんのことを思う・・・
この世の全てがいとおしくて、愛の原理さえ解明した
知の原理も、罪の原理も、あらゆる原理を暴いて、
完全な思慮は完全な徳と区別できないどころか、
完全な理解は完全な無関心と区別できなくなったよ
一つ残らず陳腐と化したわ
これが終着よ
途中で降りたつもりが、実は最後の駅まで乗り過ごしていたのさ
発狂とは何かと最近考える
本来の発狂とは多大な精神的負荷や器質的な作用によって
精神的な構造が正常から逸脱することによる、不可解な反応を指すのだろう
だが正常な知的活動として、本来の発狂反応の全てかあるいはほとんどを
その正常認識の範囲内に捉える状態に達したとしたならば、
それは発狂したと言えるのだろうか
あるいはそれが正常であるとしても、もはや正常であると言えるのか
いや言えるかどうかは問題じゃなく、つまり、
その時、"中身"も発狂状態と同じ働きをしているのでは?という
僕自身、区別がつかないんだよ
僕はきっと何をしても正気を失わない
だとすればもう正気を失っているのと同じ事なのでは?
それ以前に
いや、もうやめよう
こういった話にはもう脳がもたないんだ
本当に気分が悪くなってしまう
苦しくなってしまう
刺激の強いテレビなんかももう駄目だ
脳の解剖写真を見ながらご飯を食べてた僕が
もはや毎日吐き気を抑えて最低限の食料を口にする事しかできないんだ
食の楽しみはない
もちろん酒も飲めなくなった
夜も発狂しないかと苦しみ眠る
発狂率を上げるオナニーも好きにはできない
精通以来幾度となく挑戦し幾度となく失敗してきたオナニーの完全管理が
今やっと達成できている
今月は3日に1回、オナニー指数5以上を常に維持している
快感以上の苦痛があれば何の意志もなくとも耐えられるのだ
当然だがこんなものは克服したとは言わない
いい事など何もない
楽しみは全部なくなった
今なら少し、生きてるより死んだ方がましだと言う人の気持ちもわかる
毎日が苦痛で、何の楽しみも休息も癒しも得られないのなら、
こんなに惜しくない生はない
孤独はもとより、運動もできず、思考も全開できず、
何がある?
狂ったところで何が悪い
全て錯覚だ、絶望感も、幸福感も
わかっていながらこんなにも辛い
この海は深過ぎる
それでも願わずにはいられないのだ
この世の者たちの暖かく満たされた幸福なる夜の休息を
コメント
読める私には不覚はなかったはずだ……