セドナ、鎮まりてあれかしを読む
2010年11月30日 ゲーム読みました
てなわけでめずらしく感想を書きます!
↓この先ネタバレ79AU
「セドナ、鎮まりてあれかし」はAM主催ジスカルドこと泉和良・著のSF小説
まず先に、読了後での評価は100点中50点だった
ぎりぎり次にSFが出てもたぶん読むだろう
読み始めてまず思った事は、文章読みにくい、堅い、テンポ悪いである
断っておくが僕は小説というのは3年に1冊読むか読まないかだし、
SF小説ともなれば下手すれば今までで1冊くらいしか読んだことがない
まあそれはそれとして、さらに僕は泉作品はエレジーしか読んでないけれど、
そういう相対的なものとは別に、読みにくいと思った
この時点でまあ30点である
僕は、ああ、ジスカルドはこういう書き方で行こうとしているのか
こういう書き方が面白いと、小説っぽいと、箔があると
そう思ったのだなと判断した
天下のAMともあろう者が面白さというものが何なのか知らなかったのか嘆かわしい
と思った
この評価はおおむね変わってはいない
途中経過では表現の丁寧さを考慮して40点としたが、
別段後半に劇的な転換があるわけではない
この時点では次回作は読まないつもりだった
が、どうも読み進めていく内に多少読みやすくなってきたので、
ああ、最初は単に筆が重くてテンポ悪かったんですねと解釈を改め
やや強引だが僕はそれを素朴さとして解釈した
セドナはどういう作品だったかといえば、
僕は「無い作品」だと判断した
いわゆる、演出的な展開が「無い」ことでリアリティを出すタイプの表現
僕が以前、無いことでの表現は失敗する、と書いたあの無いだ
しかし僕自身そうした表現を好んでよくしてきたので、そういうやり方は嫌いじゃない
さらには、やはりジスカルド的ロマンチシズムが貫かれていたことから、
最終的には10点足して50点とした
僕はこのセドナは作者の夢のようなものだと感じた
隔絶された世界で難しい事を考えられない頭になり
他人の為に苛酷な環境で土と戯れる毎日
どこか牧歌的であり疲れと癒しを象徴した夢の一面だ
作中の設定は全てその環境のお膳立てなのだと僕は思う
例えば主人公のゴロだが、これが障害によって
好ましいキャラクターとなっているなら他の解釈もできるだろうが、
そうではなく、逐一ゴロが障害がなくても好感が持てる、
ゴロのいいところが本質的な性格に基づいていることが描写されている
つまりゴロは別に頭に障害がなくてもストーリーには問題ないのだ
これをあえて障害として登場させるのは、
まさにセドナという場を構成する為に必要だったからなのではないかと思う
各所で書かれている思想的な面だが、上で書いたとおり
僕は具体的な情勢描写については特に意図した表現はなかったと感じた
あるいは本当に意図があったのかもしれないが、
僕としては思想表現があったとすら思わなかった
恐らくは戦争肯定的?戦後での態度のあり方?みたいな事を指してるんだと思うが、
別に戦時中に国民の為に命懸けで戦うのは道徳の範疇だと思う
作中でも語られているが、戦争で負けるという事は全て奪われ
それからも子々孫々奪われ続けるという事だ
今のような国際社会の目があるのは特別な状況であって、
何の歯止めも無い敗戦では負けるという事は民族の消失にも等しい
その阻止の最前線で戦うことは立派な事でないはずはないし、
そういう意味ではむしろ思想の出やすい設定に対して
できる限り個人的な見かたを抑えて一般化にとどめたという印象を僕は受けた
続いてSF面だが、これは結構AMネタがちょこちょこ入れられていて
AMファンがにやりとできる場面が多くなっていると思う(僕はAMファンではないが
ことによるとオールティアも-iaパロかもしれない
が、やはりSFとしてはそれほど魅力的なことをやっているわけではない
恐らくは作者本人自体SFとしてあまり認識してないんじゃないかな
居住環境としてのSF設定にとどまっている
一番気になったのは雲人の出生だが、やはり作中では説明されなかった
確か3000年頃という表現があった気がするが、
1000年でオールトの雲に人類が移住して大国家を築くのはちょっと難しい気がするし、
(それでも5世紀前に人工太陽が作られたりと、西暦換算でも矛盾しないようになっているが)
1000年内に太陽系外へ移住した人類がもう一度今度は太陽系を占領しようとするのは
いささか動機が不自然な気もする
雲人がそもそも太陽系外で発生したという可能性もあるが、
セドナでの作業を見る限り身体的特徴では太陽系人と区別がつかないようなので、
地球派生の人類であるということはほとんど間違いないだろう
となるとそもそも西暦換算ではないか、
こちらの宇宙とは異なる歴史を辿った世界なのか、
まあどちらにしろ緩い設定ということだろう
ちなみにタガナックについてだが、これはもう最序盤で予想がついてしまった
奇跡の扉的ノリを感じたので恐らく血縁者だろうと思ったが、
あっさり当たってしまった
この件に関しては全く弁護できないので、作者は以後気をつけること
余談だが某氏が気にしていたアサルトライフルは、むしろファンサービスであろう
AMといえばAK-47であり、ここでも恐らくはAK-47と
表現したかったのではないかと邪推するのだが、
そこは時代考証に配慮してアサルトライフルとしたのだろう
突撃銃よりも微妙なパロディ感がありニュアンスとしては最適かと思う
ここで凡人ならSF的に独自のメカニズムを搭載した○○社のロングセラー銃などと
表現したりするのだろうが、そのあたりは腐ってもAMと評価しておきたい
つまりまず間違いなくあのアサルトライフルはAK-47である
最後に総合的な評価だが、
最終的にはジスカルド的空気が感じられてファンは安心できる作品
でも前半退屈、次はちょっと派手なのがいいな♪
となる
てなわけでめずらしく感想を書きます!
↓この先ネタバレ79AU
「セドナ、鎮まりてあれかし」はAM主催ジスカルドこと泉和良・著のSF小説
まず先に、読了後での評価は100点中50点だった
ぎりぎり次にSFが出てもたぶん読むだろう
読み始めてまず思った事は、文章読みにくい、堅い、テンポ悪いである
断っておくが僕は小説というのは3年に1冊読むか読まないかだし、
SF小説ともなれば下手すれば今までで1冊くらいしか読んだことがない
まあそれはそれとして、さらに僕は泉作品はエレジーしか読んでないけれど、
そういう相対的なものとは別に、読みにくいと思った
この時点でまあ30点である
僕は、ああ、ジスカルドはこういう書き方で行こうとしているのか
こういう書き方が面白いと、小説っぽいと、箔があると
そう思ったのだなと判断した
天下のAMともあろう者が面白さというものが何なのか知らなかったのか嘆かわしい
と思った
この評価はおおむね変わってはいない
途中経過では表現の丁寧さを考慮して40点としたが、
別段後半に劇的な転換があるわけではない
この時点では次回作は読まないつもりだった
が、どうも読み進めていく内に多少読みやすくなってきたので、
ああ、最初は単に筆が重くてテンポ悪かったんですねと解釈を改め
やや強引だが僕はそれを素朴さとして解釈した
セドナはどういう作品だったかといえば、
僕は「無い作品」だと判断した
いわゆる、演出的な展開が「無い」ことでリアリティを出すタイプの表現
僕が以前、無いことでの表現は失敗する、と書いたあの無いだ
しかし僕自身そうした表現を好んでよくしてきたので、そういうやり方は嫌いじゃない
さらには、やはりジスカルド的ロマンチシズムが貫かれていたことから、
最終的には10点足して50点とした
僕はこのセドナは作者の夢のようなものだと感じた
隔絶された世界で難しい事を考えられない頭になり
他人の為に苛酷な環境で土と戯れる毎日
どこか牧歌的であり疲れと癒しを象徴した夢の一面だ
作中の設定は全てその環境のお膳立てなのだと僕は思う
例えば主人公のゴロだが、これが障害によって
好ましいキャラクターとなっているなら他の解釈もできるだろうが、
そうではなく、逐一ゴロが障害がなくても好感が持てる、
ゴロのいいところが本質的な性格に基づいていることが描写されている
つまりゴロは別に頭に障害がなくてもストーリーには問題ないのだ
これをあえて障害として登場させるのは、
まさにセドナという場を構成する為に必要だったからなのではないかと思う
各所で書かれている思想的な面だが、上で書いたとおり
僕は具体的な情勢描写については特に意図した表現はなかったと感じた
あるいは本当に意図があったのかもしれないが、
僕としては思想表現があったとすら思わなかった
恐らくは戦争肯定的?戦後での態度のあり方?みたいな事を指してるんだと思うが、
別に戦時中に国民の為に命懸けで戦うのは道徳の範疇だと思う
作中でも語られているが、戦争で負けるという事は全て奪われ
それからも子々孫々奪われ続けるという事だ
今のような国際社会の目があるのは特別な状況であって、
何の歯止めも無い敗戦では負けるという事は民族の消失にも等しい
その阻止の最前線で戦うことは立派な事でないはずはないし、
そういう意味ではむしろ思想の出やすい設定に対して
できる限り個人的な見かたを抑えて一般化にとどめたという印象を僕は受けた
続いてSF面だが、これは結構AMネタがちょこちょこ入れられていて
AMファンがにやりとできる場面が多くなっていると思う(僕はAMファンではないが
ことによるとオールティアも-iaパロかもしれない
が、やはりSFとしてはそれほど魅力的なことをやっているわけではない
恐らくは作者本人自体SFとしてあまり認識してないんじゃないかな
居住環境としてのSF設定にとどまっている
一番気になったのは雲人の出生だが、やはり作中では説明されなかった
確か3000年頃という表現があった気がするが、
1000年でオールトの雲に人類が移住して大国家を築くのはちょっと難しい気がするし、
(それでも5世紀前に人工太陽が作られたりと、西暦換算でも矛盾しないようになっているが)
1000年内に太陽系外へ移住した人類がもう一度今度は太陽系を占領しようとするのは
いささか動機が不自然な気もする
雲人がそもそも太陽系外で発生したという可能性もあるが、
セドナでの作業を見る限り身体的特徴では太陽系人と区別がつかないようなので、
地球派生の人類であるということはほとんど間違いないだろう
となるとそもそも西暦換算ではないか、
こちらの宇宙とは異なる歴史を辿った世界なのか、
まあどちらにしろ緩い設定ということだろう
ちなみにタガナックについてだが、これはもう最序盤で予想がついてしまった
奇跡の扉的ノリを感じたので恐らく血縁者だろうと思ったが、
あっさり当たってしまった
この件に関しては全く弁護できないので、作者は以後気をつけること
余談だが某氏が気にしていたアサルトライフルは、むしろファンサービスであろう
AMといえばAK-47であり、ここでも恐らくはAK-47と
表現したかったのではないかと邪推するのだが、
そこは時代考証に配慮してアサルトライフルとしたのだろう
突撃銃よりも微妙なパロディ感がありニュアンスとしては最適かと思う
ここで凡人ならSF的に独自のメカニズムを搭載した○○社のロングセラー銃などと
表現したりするのだろうが、そのあたりは腐ってもAMと評価しておきたい
つまりまず間違いなくあのアサルトライフルはAK-47である
最後に総合的な評価だが、
最終的にはジスカルド的空気が感じられてファンは安心できる作品
でも前半退屈、次はちょっと派手なのがいいな♪
となる
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