ハリポタ1の前半しか見たことなかったけど
最近はこんな萌えキャラ出てたのか!
なぜかお気に入りに入れてしまった桝田氏ツイッターのアイコンを
おっ可愛いなと思ってしまったものの
いやいやこの人は描かない、挿絵?けっ
こんな軽い奴の作品についた絵なんてろくなもんじゃねーよ絵師もかわいそうにな!
と思ってたらピクシブのお気に入り欄に同じ絵が上がっていた・・・
ていうか昔好きで通ってたサイトの人だった・・・
もうわからんのだ僕には絵を見ただけでは誰が描いたかすら。。。
もうずっと取り付かれているこの絵に対する虚脱感は一体なんなんだろうなあ
絵に価値が見い出せない
絵インポである
昨日そういえば面白い仮説を思いついた
ノイマンは脳内に1haのホワイトボードがあると表現したそうだけど、
こういった容量を美術分野に言い換えた場合、
つまり空間想像力の容量に言い換えられるんではないかと
そしてそれは左脳的容量と右脳的容量に定義できるのでは?
と考えた
脳の左右で機能を考えるのは若干前時代的ではあるけれども、
そう考えるといろいろと納得できる部分が多い
つまりノイマンは左脳的容量に秀でていたと解釈すればいい
一方でピカソなんかは右脳的容量に秀でていた
美術的才能における空間認識力が比較的先天性に依存する事は、
左脳的容量がそうである事から類推できる自然さがある
その違いは恐らく次元的なものだろう
左脳型では原理的にその容量は連結的で一次的に制限される
ここから、なぜ万能の数学の天才でも放射的な問題に対応できないかの
原因を見ることができるだろう
通俗的に語られるように僕も何となく数学者より経済学者が下に、
理論物理学者より実験物理学者が下になるんじゃないかと漠然と思っていたけど、
そうじゃなく、一種のタイプの違い、脳のどちらに主となる
ワーキングメモリを持つかという違いだったのではないかという気もする
恐らくアインシュタインなんかも右脳型なはずで、
彼に美術的才能があったかどうかは興味深いところだ(調べりゃすぐわかるだろうけど
どちらかといえば多次元において同時的な思考が求められる物理学は
右脳型の天才の方が相性がいいことになる、生物学もしかりだ
そう考えれば当然次にでてくる疑問は、両脳に超人的容量を持った天才は存在しうるか
という事だけど、どうだろうかなあ
いて欲しいような、いて欲しくないような・・・
ちょっと!アインシュタインも9歳で微積分マスターしてんの!?
話がちがうー!
アインシュタイン、一日の睡眠時間10時間だったらしい
だれかもっと広めてください
アインシュタイン語録
「第三次世界大戦がどのような戦いになるのかなんて、私には分からない。しかし、第四次大戦なら分かる。石と棒で戦うだろう」
その心はなんだろう?
意外とアインシュタインって数学の人だったのか
どっちかっていうと発想の人っていうより物理特化した
数学者って方が正解なのかも
まあユダヤ人ってのがそもそも特殊って所もある気もするが
ある意味では断固とした排他性が存在すると見てもいいだろうか?
いやダビンチなんつー厄介なのもいたな・・・
数学的才能は美術的才能に応用できない
美術的才能は数学的才能に応用できない
いやでもダビンチって数学はできたっけ?
建築もやってるから苦手ではなかっただろうけど、
時代が時代だからよくわからんな
でもこーやって天才の経歴見てると、あんまり面白くない結論だけど、
結構才能的な意味での天才も初期環境に左右されてる部分が大きいのかもしれんなあ
もちろん環境といっても最初期、恐らく4、5歳あたりの環境だろうけど、
その辺の精神発達段階で何らかの偏重的な環境?が劇的な天賦を与えてる感じがする
クローン研究できれば一発なんだがなー
いつかアフリカの奥地にでも非合法の研究所作りたい
僕の考えではもっとこー天才の発生率とかも遺伝子全体が同調的に
制御してると仮定してたのに、環境依存率が高いとものすごく運任せになっちゃう
超個体的に社会内での能力分布をフィードバックして個人が全体的に都合のいい
能力に最適化するというのも、そういった年齢になってからでは実際には変化率が低すぎる
うーん、やっぱり遺伝子はそこまで賢くないのか?つまらん
仮に天才の発生に最低限の環境要因が必要となってくると、
間接的に天才の発現しうる限界値ができてしまうな
結局は完全な遺伝起因でないと限界は存在してしまうわけだが、
例えば天才になりうる遺伝子を持った赤子がいたとして、
一定の期間内に特定の脳野に一定以上の血流量や発火量が必要だとすると、
それで仮に左脳部分を天才化したとしても、
期間や活動総量が限られている以上、脳全体を天才化するには足りず、
天才化できる領域には絶対的な限界値が存在することになる
といってもまあ天才は所詮天才か
魔王にはなれんわな
そういうアプローチとは別にオカルティックに才能を定義する仮説もあるのだが、
まあまだ早い
最近はこんな萌えキャラ出てたのか!
なぜかお気に入りに入れてしまった桝田氏ツイッターのアイコンを
おっ可愛いなと思ってしまったものの
いやいやこの人は描かない、挿絵?けっ
こんな軽い奴の作品についた絵なんてろくなもんじゃねーよ絵師もかわいそうにな!
と思ってたらピクシブのお気に入り欄に同じ絵が上がっていた・・・
ていうか昔好きで通ってたサイトの人だった・・・
もうわからんのだ僕には絵を見ただけでは誰が描いたかすら。。。
もうずっと取り付かれているこの絵に対する虚脱感は一体なんなんだろうなあ
絵に価値が見い出せない
絵インポである
昨日そういえば面白い仮説を思いついた
ノイマンは脳内に1haのホワイトボードがあると表現したそうだけど、
こういった容量を美術分野に言い換えた場合、
つまり空間想像力の容量に言い換えられるんではないかと
そしてそれは左脳的容量と右脳的容量に定義できるのでは?
と考えた
脳の左右で機能を考えるのは若干前時代的ではあるけれども、
そう考えるといろいろと納得できる部分が多い
つまりノイマンは左脳的容量に秀でていたと解釈すればいい
一方でピカソなんかは右脳的容量に秀でていた
美術的才能における空間認識力が比較的先天性に依存する事は、
左脳的容量がそうである事から類推できる自然さがある
その違いは恐らく次元的なものだろう
左脳型では原理的にその容量は連結的で一次的に制限される
ここから、なぜ万能の数学の天才でも放射的な問題に対応できないかの
原因を見ることができるだろう
通俗的に語られるように僕も何となく数学者より経済学者が下に、
理論物理学者より実験物理学者が下になるんじゃないかと漠然と思っていたけど、
そうじゃなく、一種のタイプの違い、脳のどちらに主となる
ワーキングメモリを持つかという違いだったのではないかという気もする
恐らくアインシュタインなんかも右脳型なはずで、
彼に美術的才能があったかどうかは興味深いところだ(調べりゃすぐわかるだろうけど
どちらかといえば多次元において同時的な思考が求められる物理学は
右脳型の天才の方が相性がいいことになる、生物学もしかりだ
そう考えれば当然次にでてくる疑問は、両脳に超人的容量を持った天才は存在しうるか
という事だけど、どうだろうかなあ
いて欲しいような、いて欲しくないような・・・
ちょっと!アインシュタインも9歳で微積分マスターしてんの!?
話がちがうー!
アインシュタイン、一日の睡眠時間10時間だったらしい
だれかもっと広めてください
アインシュタイン語録
「第三次世界大戦がどのような戦いになるのかなんて、私には分からない。しかし、第四次大戦なら分かる。石と棒で戦うだろう」
その心はなんだろう?
意外とアインシュタインって数学の人だったのか
どっちかっていうと発想の人っていうより物理特化した
数学者って方が正解なのかも
まあユダヤ人ってのがそもそも特殊って所もある気もするが
ある意味では断固とした排他性が存在すると見てもいいだろうか?
いやダビンチなんつー厄介なのもいたな・・・
数学的才能は美術的才能に応用できない
美術的才能は数学的才能に応用できない
いやでもダビンチって数学はできたっけ?
建築もやってるから苦手ではなかっただろうけど、
時代が時代だからよくわからんな
でもこーやって天才の経歴見てると、あんまり面白くない結論だけど、
結構才能的な意味での天才も初期環境に左右されてる部分が大きいのかもしれんなあ
もちろん環境といっても最初期、恐らく4、5歳あたりの環境だろうけど、
その辺の精神発達段階で何らかの偏重的な環境?が劇的な天賦を与えてる感じがする
クローン研究できれば一発なんだがなー
いつかアフリカの奥地にでも非合法の研究所作りたい
僕の考えではもっとこー天才の発生率とかも遺伝子全体が同調的に
制御してると仮定してたのに、環境依存率が高いとものすごく運任せになっちゃう
超個体的に社会内での能力分布をフィードバックして個人が全体的に都合のいい
能力に最適化するというのも、そういった年齢になってからでは実際には変化率が低すぎる
うーん、やっぱり遺伝子はそこまで賢くないのか?つまらん
仮に天才の発生に最低限の環境要因が必要となってくると、
間接的に天才の発現しうる限界値ができてしまうな
結局は完全な遺伝起因でないと限界は存在してしまうわけだが、
例えば天才になりうる遺伝子を持った赤子がいたとして、
一定の期間内に特定の脳野に一定以上の血流量や発火量が必要だとすると、
それで仮に左脳部分を天才化したとしても、
期間や活動総量が限られている以上、脳全体を天才化するには足りず、
天才化できる領域には絶対的な限界値が存在することになる
といってもまあ天才は所詮天才か
魔王にはなれんわな
そういうアプローチとは別にオカルティックに才能を定義する仮説もあるのだが、
まあまだ早い
コメント