私は本日をもってアンディーメンテ、ジェバンニPなど、
その他別名同一人物が行う活動において、
挫折をもってそのファン行動の全てを終了することをここに宣言しま、す

何度か否定したとはいえ、
僕はまぎれもなくAMファンであった
ファン歴は約3年
しかし僕はなおかつ一般ファンであり、
良くも悪くも一般ファンとして線を超えることはなかった
けれどAMがファンに求める忍耐は常に大きく、
僕にはそれが年々負担となり、もはや一般ファンとしても心が折れ、
ついにはファンであることに挫折するまでに至ってしまったのだ

このことについて、当然前日の生放送は無関係であり、
無関係であることを強調しておくべきでもあるだろう
なぜなら何より重要であったのはAM中の人に対する僕の評価であり、
それはファンの始末やらセクハラやらで影響されるはずのないものだからだ
僕が見咎めたのはもっと不可避な結論である

とはいえ理由を挙げることに意味はないかと思う
あえて言うならば、僕は確かにAM中の人に幻想を期待し、
そして徐々にあらわになる実像に対して期待を失ったというだけなのだ
といってもそれは無責任な期待ではなく、僕が持つものと同じ程度のものを期待し、
かついずれ失うと分かっていながらかけた期待だ
つまりいずれ違うことがわかるのは時間の問題であって、
わかった以上、幻想に浸り続けられないことは不可避だったのだ

しかし他に理由がないといえば嘘になる
とりわけそれが挫折に至る実際的な負担である
僕はむしろ中の人よりもファンに対して不信感を感じていた
排他的で敵愾心が強く、悪意を隠す為だけの住み分け主義
だがこれは本当には中の人の性質を正確にファンが反映しているだけ
なのだと僕は気づいた
いつぞやに中の人が生放送の詭弁だというコメントに対して、
どこが詭弁なんだと、証明できるなら言ってみろと言って黙らせていたが、
僕にはすぐに簡潔な指摘が浮かんでいた
つまりそれは、いかなる反論であっても中の人が正しくなるという詭弁であって、
要するに相手が悪いことをすれば悪く、
中の人が悪いことをすればわざとでありネタなので悪くないという論法である
この形式は凡人から見れば全くの詭弁であるが、
だが当然僕にはこれが詭弁の形をした真実であることもわかっていた
天才と凡人は同じ立場にはいない
多くの場合、凡人が悪いことをすれば悪く、
天才が悪いことをしてもわざとでありネタであり悪くないというのは、
本当のことなのだ
しかしそれでも天才は万能でも一番でもない
一年中謙虚であったり、凡人を立て続けるのは非合理的だが、
それゆえに稀に起こりうる己の間違いや真に正しい指摘を拾い上げられるよう
余力を割かなければならない
それをしないならば、天才もまた生まれつきの能力だけしか持たない
驕り高ぶった凡人なのである

素直に言うなら、僕はその片鱗を中の人に見てしまったのだ
数々のファンを遠ざける態度
自虐の中に隠した本当の自虐
ファン歴が何だというのだろう
新しいファンが増えるということは、
昔の自分より力が認められたということじゃないのだろうか
新しいファンとはそのバロメーターでもあるはずなのだ
また生放送コメントの拾い方からもどういったフィルタをかけているのか
何となくわかる気がした
悪意を過剰に評価して目の細かすぎるフィルタをかけている
そこから見える中の人の血は赤い
つまりは血に鉄が流れている僕とは違うのだ
それだけが重要なことだった

最初に遊んだAMゲーはどれだっただろう
姉が勧めてきた自給自足か雑誌のガニュメート・ストレスか
それともネットで落としたジスロフ帝国の興亡か
漠然としたフリーゲーム配布元でしかなかったAMが
僕の心を掴んだのは3年前のラジオの声だった
僕は正確にはジスカルドという音楽家のファンだったのだ
以前どこかのスレでAMを指して音楽の才能だけは認めるという
書き込みがあった
僕はそれに対して憤慨を抑えられなかった
たった一つのことですら他人に認められることのどんなに難しいことか
もちろんAMは優れたフリーゲームサークルでもあったが、
僕の心を動かしたゲームは多いとはいえなかった
それでもプリミティビエイジなどはブログで取り上げて
攻略までした記憶がある
僕は面白いと思ったゲームはブログに書かないことにしている
僕はかなり面白いと思ったものだけ、失礼ながらもブログに書くのだ
中でも電子海のはなしは非常に可能性を感じたゲームで、
僕はとうとう専用のマッピングソフトまで作ってしまった
しかし一方で、rsやGGD、シスターといった手間のかかるものは、
手をつけようとしつつも、結局は手を出せなかった
それにはその炭坑の名はも含まれる

これらもまた、負担の一つだった
あえてこれはプレイヤーの我が侭と言わないでおく
少し単純なゲーム構造の話をすると、必ずしもLVUPなどの報酬は、
その報酬間隔が長くなっていく必要性はない
ドラクエなどで必要経験値が増えていくのは、より強い敵と
戦うよう誘導する偏差であって、
報酬間隔を長くしていくという構造に報酬系の根拠はないのだ
明らかにAMゲーはこの間隔増大によるプレイ時間上昇を狙っているものがあるが、
これもまた設計の問題というより、より負担を強いることで
従順なプレイヤーでありファンを選別しようとしていると僕は感じた
またしても当然だがそれ自体を僕は批判しているのではない
難易度による振り落としは僕も意図的によくやるから
だがその負担も、程度次第ではやはり不服も言いたくなるものだ
生放送の放送時間もそうだった
僕はこれでもかというほど放送時間についての改善を訴えたが、
まるでそれが当然だろ?といわんばかりに無視され続けた
これに関しては僕も本当に改善される可能性があると、
分があると思っていたと言えば嘘になる
けれどもうこれ以上、深夜に放送を見れないというのも事実だった
僕は一般ファンであったが、熱心な一般ファンでもあった
たとえどうでもいい放送といわれようと、ファンは絶対に見たいのだ
僕はこれ以上、生放送を見ずに一般ファンを続けることに耐えられなかった
僕がAMファンを挫折した理由の大きな一つがこれかもしれない
もちろんコアファンにもなれない
その理由は僕がゲーム作者であるからだ

正直に言って、この記事を書くことはあまり気がすすまなかった
ここに書いたことはほぼ前日の生放送直後に思ったことであって、
後で書こうと思っていたが、いざ書いてみると気が重くなるばかりだった
万が一この記事がじす氏の目に入ったなら酷く傷つけることは疑いなく、
僕の予想としてもここを彼が見る可能性が0ではないというぐらいしかわからない
それでも恐らくこの後を思えば、この挫折宣言は僕にとって
貴重な墓碑銘になると思い長々と記録することにした
始めにも書いたが、この挫折原因を理由を挙げてそれとするのは無意味だ
挙げきれぬ雑多な理由があり、僕は挫折した
挫折という表現がもっとも適切だと思う

こうしてAM関連のリンクを片付けていくと、
いかに最近ではAMに属していたか改めて気付かされる
ニコニコ動画は90%以上がAM関係だ
コミュニティも全てAM関連で、解除した今ではもう生放送に悩まされることもない
つねたんさんの放送はここの所毎日見ていた
ツイッターでも見ていたAM女子のところは多い
というかツイッターもAMクイズ大会に問題を送る為にアカウントを取ったのだ
AMAMAMだらけだ
セドナに始まり本家、自宅鯖、ジェPブログ、小説家ブログ、各種のツイッター
非公開のツイッターにずっとリクエストを出していたがやっぱり許可されなかった
ノベリアスの中の人と疑わしきデッドリンクですら巡回していた
AMは確かに僕の心の支えになっていた
そして支え過ぎだった
僕は人のファンと仲良くなりたいと思ったりなんかして、
どういうつもりだったんだろう?
それが鬼のブー太さんのやることかい
全部消した
ネットで見ていたものの半分が消えた
僕の最新の仮説によれば、人が愛するのは愛する者がいるからじゃなく、
愛する者がいないからだ
AMの穴はきっと僕に他の新しいものを愛せる可能性を
与えてくれるだろう
アンディーメンテありがとう、そしてさようなら

といいつつコミュ入りなおして4時まで生放送聞いてしまった
AMほど居心地のいいコミュニティはない
それと僕の間違いが一つ
じすさんにとって生放送は精神回復でもあったらしい
であるなら放送の有無についてどうこう言おうという気は微塵もない
もちろんいつでもいくらでも元気になって欲しい
というわけでおやすみなさい

コメント

nophoto
名無し
2013年12月10日20:54

私も似たような理由でAMから離れました(単純に新作チェックしても似たようなゲームばかりで飽きたというのもあるけども)
作者主催の公式大会で毎回遅刻するけど謝る気が全くない作者、それを何も言わず笑顔で許すファン
他にも「何やってもファンがちやほやしたり慰めたりしてくれるだろう」とわかっててやってるような言動の多い作者
ブログで強烈なAM信仰を長文で書きまくるファンの人達も怖かった
あと裏でファン同士で揉め事もあったりなんだり…
個人が趣味で無料で公開しているゲームなので、それに対し特に何か文句言いたい訳ではないですけどね
ただ作者が好きなのではなくゲームが好きなだけのフリゲファンには色々と難易度が高かった