土曜の筋トレ始まムピスバイナアアアアアアアア!!!!
今日はノーマルトレーニングの日だが、中止
超能力拳法の稽古を断行する!!
地球くん、つきあえ!
天文単位精密射撃を編み出した!!
線路剣を編み出した!!
新幹線リフティングを編み出した!!
戦車一本背負いを編み出した!!
砂漠一気飲みを編み出した!!
両手間に超高電圧をかけて放電現象を駆使して攻撃する(回りくどい)、
放雷拳を編み出したぞこんちくっしょんめが!!!!
神さまが人間に敗れる気持ちってどんなんだろう
どんなに強力な人間でも質的に神には勝てない
仮に飛び抜けて知恵ある人間がいたとしても、
彼は銃弾の飛び交う戦場をふらふらと歩けない
だが狂人であればどんなに愚鈍でも狂人であるだけで歩くことができる
それは存在の質の違い、存在の意義としての違いだ
人間は神に勝てるか?
少なくとも人間である限りは絶対に勝てない
というより質の違いのベクトルを特別に指して優劣を評価しているだけで、
特に質として絶対的に神が人間を優越しているわけではない
それでもなお何故神が強大であるかといえば、
それは大抵の場合において神は人間を量としても超越しているからだ
その神が負ける?
それでも限られた条件において神が負けることもまた、
珍しいこととは言えないだろう
しかして神が人間より遥かに強大であるのは事実であるとするならば、
人間に負けた神はどんな気持ちになるのだろう?
正直な所、ほとんど想像がつく
僕としては何故人間がそこまで長い間、
人間でい続けることに執着するのかがわからない
とまで言うと少し過激だろうか?
手の平の上に鉄製の球を作り出す
これは実在しているか?
おおむねの人間は実在していないと答えるだろう
しかし勝手に訂正させてもらうなら、
それは正確には、実在すると思い込んでそこに"物理的に"存在することと
混同することを恐れている、という反応に過ぎない
厳密には、「この世に存在していないと思わなければならないものは何一つない」
僕はこれがいわゆる魔術師の初等テクストだと考えているが、
もちろん危険性もある
人間の認識はしばしば混同を起こすし変動的でもあるわけだから、
有効でない情報を有機的な類似性から有効であると混同し、
致命的な不一致を引き起こす可能性も否めない
それゆえの魔術師であって、つまり現実的に安全なレベルで
物理的に存在していないものを認識的に存在するものとして創造できる――
その一線を見れば、魔術師とはむしろより妄想と現実を切り分ける能力に
特化した人種であるはずなのだ
この世の底なんてものは、それこそどこへ行っても見れる
思うに希望というものはそれほど希少なものではないと思うのだ
ただしそれは恐らく物というより場、球のようなものなのだろうと思う
小さな希望でもその中に入っていれば絶望からは守られる
より大きな希望はより多くの人間を絶望から守れるし、
またある程度、希望の内を歩き回ることができる
しかし誰もがどこでも、そこでも見れるように、
希望の外には絶望しかないのだ それは当然のことだ
絶望にまかれた人間は何らかの形で、再び希望を求めるかもしれない
希望は安々と作り出すことができるだろう
しかしその狭さには彼は辟易とするかもしれない
そして今まで包まれていた希望の全貌に恐れ戦くか、
あらん限りに褒め称えるだろうと僕は予想する
だが果たして僕らの敵は絶望だろうか?
僕らはこんなにも簡単に希望を生み出せるというのに
僕が問いたいのはそこだよ
今日はノーマルトレーニングの日だが、中止
超能力拳法の稽古を断行する!!
地球くん、つきあえ!
天文単位精密射撃を編み出した!!
線路剣を編み出した!!
新幹線リフティングを編み出した!!
戦車一本背負いを編み出した!!
砂漠一気飲みを編み出した!!
両手間に超高電圧をかけて放電現象を駆使して攻撃する(回りくどい)、
放雷拳を編み出したぞこんちくっしょんめが!!!!
神さまが人間に敗れる気持ちってどんなんだろう
どんなに強力な人間でも質的に神には勝てない
仮に飛び抜けて知恵ある人間がいたとしても、
彼は銃弾の飛び交う戦場をふらふらと歩けない
だが狂人であればどんなに愚鈍でも狂人であるだけで歩くことができる
それは存在の質の違い、存在の意義としての違いだ
人間は神に勝てるか?
少なくとも人間である限りは絶対に勝てない
というより質の違いのベクトルを特別に指して優劣を評価しているだけで、
特に質として絶対的に神が人間を優越しているわけではない
それでもなお何故神が強大であるかといえば、
それは大抵の場合において神は人間を量としても超越しているからだ
その神が負ける?
それでも限られた条件において神が負けることもまた、
珍しいこととは言えないだろう
しかして神が人間より遥かに強大であるのは事実であるとするならば、
人間に負けた神はどんな気持ちになるのだろう?
正直な所、ほとんど想像がつく
僕としては何故人間がそこまで長い間、
人間でい続けることに執着するのかがわからない
とまで言うと少し過激だろうか?
手の平の上に鉄製の球を作り出す
これは実在しているか?
おおむねの人間は実在していないと答えるだろう
しかし勝手に訂正させてもらうなら、
それは正確には、実在すると思い込んでそこに"物理的に"存在することと
混同することを恐れている、という反応に過ぎない
厳密には、「この世に存在していないと思わなければならないものは何一つない」
僕はこれがいわゆる魔術師の初等テクストだと考えているが、
もちろん危険性もある
人間の認識はしばしば混同を起こすし変動的でもあるわけだから、
有効でない情報を有機的な類似性から有効であると混同し、
致命的な不一致を引き起こす可能性も否めない
それゆえの魔術師であって、つまり現実的に安全なレベルで
物理的に存在していないものを認識的に存在するものとして創造できる――
その一線を見れば、魔術師とはむしろより妄想と現実を切り分ける能力に
特化した人種であるはずなのだ
この世の底なんてものは、それこそどこへ行っても見れる
思うに希望というものはそれほど希少なものではないと思うのだ
ただしそれは恐らく物というより場、球のようなものなのだろうと思う
小さな希望でもその中に入っていれば絶望からは守られる
より大きな希望はより多くの人間を絶望から守れるし、
またある程度、希望の内を歩き回ることができる
しかし誰もがどこでも、そこでも見れるように、
希望の外には絶望しかないのだ それは当然のことだ
絶望にまかれた人間は何らかの形で、再び希望を求めるかもしれない
希望は安々と作り出すことができるだろう
しかしその狭さには彼は辟易とするかもしれない
そして今まで包まれていた希望の全貌に恐れ戦くか、
あらん限りに褒め称えるだろうと僕は予想する
だが果たして僕らの敵は絶望だろうか?
僕らはこんなにも簡単に希望を生み出せるというのに
僕が問いたいのはそこだよ
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