もはやファンアートすら描けぬというのか・・・
とか思いつつ弟の姉の新曲を聴いてた
ストーリー考えるのは好きなのに、
サブイベント考えるのは苦手なんだよなあ
これってやっぱりゲームの制限が強いからなのかな
いつの間にかここに書けないことなんてできてたのね
基本的には配信は失敗か
というか相手を意識した場と、一人で喋るだけの場の2つが必要なんだろうな
後者が自動的に捨てツイッターに移行した
いつの間にかブー太ってHNが、適当なHNじゃなく個人を表すHNに変化してた
そんな重要なことに気づかないくらい僕は油断してたわけだ
かといってブー太は元々相手を意識したペルソナじゃないわけで、
そこに矛盾がある
そもそもの存在意義が一人で自己満する為の人称だから、
対人用にカスタマイズしたところで意義を失うだけだ
どちらにしろ、もう相手を見ない独り用の「ブー太」なしにはやってけないだろうから
ま、問題だったのはそれを理解してなかったことであって、
別に同一兼用くらいは何とかなるはずだよな
元々からして人間には体が一個しかなかったんだから
二面性、というか2つどころでもないが、
要点はその多面性は他人に許容されるのか、
それともやはり同一人物に見せるペルソナは1つに統一するべきなのか
僕って多重人格なの?会う人によって態度の変わる信用できない奴なの?
って疑問はそれなのかもしれない
僕なりに人からの見え方を統一しようとするけど、
でも、いるものはいる
全部僕でそれを人に見せても混乱させるだけで、きっと同じものに見ることができない
視点と知覚が違う
何でか僕は目玉が10個付きで生まれてきてしまって、
2個の人とはどうしても話が合わないイメージ
あるいは自己同一性保守本能が僕にはない
でもそれって普通じゃない?
なぜ皆察してあげられないの
別の面の20や30あってもいいじゃない
見せる方はきっと不安なんだから、
最初から知っていたって風に少し嘘をついて何でからから笑えないの
というのは都合のいい話で、
実際はほとんど別の面なんてないのが現実だって
加齢と共に自己同一性継続本能が働いて、皆単一のキャラクターが出来あがっていく
そして皆そうだという前提のもとで生活していく
とか思いつつ弟の姉の新曲を聴いてた
ストーリー考えるのは好きなのに、
サブイベント考えるのは苦手なんだよなあ
これってやっぱりゲームの制限が強いからなのかな
いつの間にかここに書けないことなんてできてたのね
基本的には配信は失敗か
というか相手を意識した場と、一人で喋るだけの場の2つが必要なんだろうな
後者が自動的に捨てツイッターに移行した
いつの間にかブー太ってHNが、適当なHNじゃなく個人を表すHNに変化してた
そんな重要なことに気づかないくらい僕は油断してたわけだ
かといってブー太は元々相手を意識したペルソナじゃないわけで、
そこに矛盾がある
そもそもの存在意義が一人で自己満する為の人称だから、
対人用にカスタマイズしたところで意義を失うだけだ
どちらにしろ、もう相手を見ない独り用の「ブー太」なしにはやってけないだろうから
ま、問題だったのはそれを理解してなかったことであって、
別に同一兼用くらいは何とかなるはずだよな
元々からして人間には体が一個しかなかったんだから
二面性、というか2つどころでもないが、
要点はその多面性は他人に許容されるのか、
それともやはり同一人物に見せるペルソナは1つに統一するべきなのか
僕って多重人格なの?会う人によって態度の変わる信用できない奴なの?
って疑問はそれなのかもしれない
僕なりに人からの見え方を統一しようとするけど、
でも、いるものはいる
全部僕でそれを人に見せても混乱させるだけで、きっと同じものに見ることができない
視点と知覚が違う
何でか僕は目玉が10個付きで生まれてきてしまって、
2個の人とはどうしても話が合わないイメージ
あるいは自己同一性保守本能が僕にはない
でもそれって普通じゃない?
なぜ皆察してあげられないの
別の面の20や30あってもいいじゃない
見せる方はきっと不安なんだから、
最初から知っていたって風に少し嘘をついて何でからから笑えないの
というのは都合のいい話で、
実際はほとんど別の面なんてないのが現実だって
加齢と共に自己同一性継続本能が働いて、皆単一のキャラクターが出来あがっていく
そして皆そうだという前提のもとで生活していく
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