腰痛

2010年4月26日 ゲーム
賞賛なんてろくでもねえよ

軽視など論外

高揚してりゃいい、賞賛せずに軽視せずに高揚してりゃ
まあ見れる

もっとも最上は冷徹な客観性に基づく無よりの創造に対する挑戦心だが

つまるところ賞賛と軽視は
それを大きく損なう要素だというだけのこと

それに加えて、
うかつに賞賛した分だけ、後で軽視する日が来ることになる

今僕が考えているのは子供と大人の違いについてだ
もちろん超高度な感覚的論理体系としてのそれであるが

もうやだ腰痛い

教えることは簡単だー
それは洗脳でもありゲームでもあるから
しかし教えることは所詮陳腐だよ
体得するというのは、おてて繋いで連れションしたり
お尻叩き係を雇って達成するのとはわけが違う
本当に学ぶというのは何かをやればいいというものとは違う
何にもない所で、自分を、自分で変えるのが、学ぶってことだ

この世は難しくていい
醜くさえなければ

それが運命を変えるってことだ
宿命は自分でしか変えられない
そして運命を変えるのはとてつもなく困難だ
しかし不可能ではない
だがほとんどは不可能だろう
運命は未来視のまま未来を紡ぐ

誰も変えられはしないだろう
誰も学びはすまい
いやそもそも運命を変えられることがおかしいんだよね?

そうこれは自由ですよ
六次元まで行って持って帰ってきた完全な自由意思
誰も変えられるわけがなかった
だって誰も行ってない

コメント