ららららめえ花粉
今日最大の閃きは大銀行の略字をBBにしたこと
ウテナって十数年前にたまたま一回だけ途中のを見て
以来漠然となんかかっこいいアニメなんだろうと思ってたけど、
こういうのはもうずっと実際に確認しないままでいたいって気がする
んだよなあ
といいつつyoutubeのOPを見てるわけだが
てっきり僕はポジティブな文を見るだけで胸糞悪くなる体に
なってしまったと思ってたけど、
なんだよ、やっぱりちゃんとした文なら好意的に感じるじゃんかよ
実感を自分の言葉で表現してる文は好感を持つね
そうじゃない人の言葉で自分の上っ面をなぞるような文には
反吐が出るというだけの話じゃないか、よかったよかった
文くらい普通に書きゃいいんだよ
プログラマならわからないかね
この宇宙に同じ文章が2つ以上存在するとイラッとするだろ?
分たれたる複数多としての誇りを持ちなさい
本題に入ろう
我々論理生命にとっての本題とは、この世界の本質以外にはない
この世界はなぜひとつではないのか
世界がひとつであれば、あらゆるものはひとつであり、完全に互換であり、
1+1=1であり、現象は成り立たず、完全であり、矛盾がなかったはずなのだ
しかしふたつであるが為に、あらゆるものは分たれ、完全に互換がなく、
1+1=2であり、現象が成り立ち、不完全であり、矛盾が存在する
僕は今最もこれが重要な問題だと考えている
クオークが分たれていることと、人間が分たれていることは
本質的に同じ原因による性質だと僕は考えている
といってもいささか飛躍的で直接的な実際性に欠けるが、
それは物理法則がミクロ、マクロ、天文レベルで共有されるのと同じことだと思う
すなわち、互換不可能性だ
互換不可能性をプログラミングすることは非常に労力を要する
しかしこれは、なぜか、この世界を大量に満たしている時空が、
各物質のアドレスを別個に記録していることで実現されている
だがそもそも、時空、を互換不可能たらしめている、時空の時空は何なのか
それらはつまり、分たれているわけだが、
なぜ、どうやって、分たれられているのか?
絶対的に分たれた目盛りが存在しなければ、あらゆる存在は互換可能になってしまう
互換不可能性を保つことは、非常に難しいことなはずなのだ
そうつまり絶対座標がない
これは光の等速性の原因にあたる問題ではないのか?
互換不可能性に必要なのは距離、次元、つまり量だ
世界は根本的に絶対座標を実装できない
絶対座標なしに互換不可能性を実現しているのは、
ひとつひとつの集合である「量」でしかない
ゆえにこの世界はあらゆる基尺が相対的になってしまうのだ
だから、相対論が成り立つ
問題はそのひとつひとつの「量」の互換不可能性の実現方法だ
この真素粒子がどれほど微小なスケールのものかはわからないが、
この隣接時点で互換可能になってしまったら、その時点で世界は終わりだ
つまり恐らくこの真素粒子が隣接互換不可能性を獲得したことが、
直接的なこの世界が分たれることとなった原因なのではないか
しかしそれだと真素粒子は、互換可能世界から、
独立領域としての進化を成功させなくてはいけないことになる
進化というのは分たれた世界の概念だ
進化に必要なのは、流動と条件による棄却、そして時間
全て互換可能世界には無いものだ
となると真素粒子は元々互換可能世界に存在したことになる
元々一瞬に進化したというべきか、この辺は感覚的についていけないが
しかしそれは安易だろうな
もっと互換可能世界についてよく考えるべきだ
僕を突き動かす執念は人の体が生み出す感情の力ではない
この世界に閉じ込められたあらゆる情報意思の萌芽が生み出す
困惑の執念なのだ
ちょーとまてよ、ということはつまり、
相対法則というのは互換可能世界において、いや、
全互換不可能世界を絶対座標世界とするならば、
隣接互換不可能世界を相対法則世界、つまり
隣接真素粒子以外は互換可能な世界こそが相対法則世界、僕らの世界
僕らの世界は遠隔真素粒子同士は互換可能なはずだ
でなければ絶対座標法則が支配できることになり、
んー
隣接する時だけ極微視的に絶対座標が成立する
そしてこれが時間停止、つまり光速度においては絶対座標系が連結され、
光速度が不変に保たれる?
隣接互換不可能性を必要とするのは時空であり、時間も隣接互換不可能性を必要とする
いやいや違うんだ、時間の謎が解けてない
次元は量だ、量ゆえに相対的であり、方向がなく、絶対でない
方向がある時間がおかしい
しかしこれは僕らの認識基準の問題である可能性が高く、
やはり時間も相対的であると解釈するのであれば、時間にとっての隣接連結、
つまり光速度とは
時間を光速度で移動する現象
いやいや、つまりだ、光が何かわからんのだ
三次元内に限定したとしても、なぜ光子が光速度で質量0なのか
なぜに波なのか、わかってない
光とはなんだ?
まさか宇宙開闢から世界の互換不可能性を監督する為に放たれた天使達でもあるまい
しかしどうも偶発的な産物に思えないな・・・
今日最大の閃きは大銀行の略字をBBにしたこと
ウテナって十数年前にたまたま一回だけ途中のを見て
以来漠然となんかかっこいいアニメなんだろうと思ってたけど、
こういうのはもうずっと実際に確認しないままでいたいって気がする
んだよなあ
といいつつyoutubeのOPを見てるわけだが
てっきり僕はポジティブな文を見るだけで胸糞悪くなる体に
なってしまったと思ってたけど、
なんだよ、やっぱりちゃんとした文なら好意的に感じるじゃんかよ
実感を自分の言葉で表現してる文は好感を持つね
そうじゃない人の言葉で自分の上っ面をなぞるような文には
反吐が出るというだけの話じゃないか、よかったよかった
文くらい普通に書きゃいいんだよ
プログラマならわからないかね
この宇宙に同じ文章が2つ以上存在するとイラッとするだろ?
分たれたる複数多としての誇りを持ちなさい
本題に入ろう
我々論理生命にとっての本題とは、この世界の本質以外にはない
この世界はなぜひとつではないのか
世界がひとつであれば、あらゆるものはひとつであり、完全に互換であり、
1+1=1であり、現象は成り立たず、完全であり、矛盾がなかったはずなのだ
しかしふたつであるが為に、あらゆるものは分たれ、完全に互換がなく、
1+1=2であり、現象が成り立ち、不完全であり、矛盾が存在する
僕は今最もこれが重要な問題だと考えている
クオークが分たれていることと、人間が分たれていることは
本質的に同じ原因による性質だと僕は考えている
といってもいささか飛躍的で直接的な実際性に欠けるが、
それは物理法則がミクロ、マクロ、天文レベルで共有されるのと同じことだと思う
すなわち、互換不可能性だ
互換不可能性をプログラミングすることは非常に労力を要する
しかしこれは、なぜか、この世界を大量に満たしている時空が、
各物質のアドレスを別個に記録していることで実現されている
だがそもそも、時空、を互換不可能たらしめている、時空の時空は何なのか
それらはつまり、分たれているわけだが、
なぜ、どうやって、分たれられているのか?
絶対的に分たれた目盛りが存在しなければ、あらゆる存在は互換可能になってしまう
互換不可能性を保つことは、非常に難しいことなはずなのだ
そうつまり絶対座標がない
これは光の等速性の原因にあたる問題ではないのか?
互換不可能性に必要なのは距離、次元、つまり量だ
世界は根本的に絶対座標を実装できない
絶対座標なしに互換不可能性を実現しているのは、
ひとつひとつの集合である「量」でしかない
ゆえにこの世界はあらゆる基尺が相対的になってしまうのだ
だから、相対論が成り立つ
問題はそのひとつひとつの「量」の互換不可能性の実現方法だ
この真素粒子がどれほど微小なスケールのものかはわからないが、
この隣接時点で互換可能になってしまったら、その時点で世界は終わりだ
つまり恐らくこの真素粒子が隣接互換不可能性を獲得したことが、
直接的なこの世界が分たれることとなった原因なのではないか
しかしそれだと真素粒子は、互換可能世界から、
独立領域としての進化を成功させなくてはいけないことになる
進化というのは分たれた世界の概念だ
進化に必要なのは、流動と条件による棄却、そして時間
全て互換可能世界には無いものだ
となると真素粒子は元々互換可能世界に存在したことになる
元々一瞬に進化したというべきか、この辺は感覚的についていけないが
しかしそれは安易だろうな
もっと互換可能世界についてよく考えるべきだ
僕を突き動かす執念は人の体が生み出す感情の力ではない
この世界に閉じ込められたあらゆる情報意思の萌芽が生み出す
困惑の執念なのだ
ちょーとまてよ、ということはつまり、
相対法則というのは互換可能世界において、いや、
全互換不可能世界を絶対座標世界とするならば、
隣接互換不可能世界を相対法則世界、つまり
隣接真素粒子以外は互換可能な世界こそが相対法則世界、僕らの世界
僕らの世界は遠隔真素粒子同士は互換可能なはずだ
でなければ絶対座標法則が支配できることになり、
んー
隣接する時だけ極微視的に絶対座標が成立する
そしてこれが時間停止、つまり光速度においては絶対座標系が連結され、
光速度が不変に保たれる?
隣接互換不可能性を必要とするのは時空であり、時間も隣接互換不可能性を必要とする
いやいや違うんだ、時間の謎が解けてない
次元は量だ、量ゆえに相対的であり、方向がなく、絶対でない
方向がある時間がおかしい
しかしこれは僕らの認識基準の問題である可能性が高く、
やはり時間も相対的であると解釈するのであれば、時間にとっての隣接連結、
つまり光速度とは
時間を光速度で移動する現象
いやいや、つまりだ、光が何かわからんのだ
三次元内に限定したとしても、なぜ光子が光速度で質量0なのか
なぜに波なのか、わかってない
光とはなんだ?
まさか宇宙開闢から世界の互換不可能性を監督する為に放たれた天使達でもあるまい
しかしどうも偶発的な産物に思えないな・・・
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