わかるか?
身だしなみを整えるというのは
虚勢や下らない印象操作の為じゃない
自分の姿を自分で認識しているということが大切なのだ
だから実際の格好はどうでもいい
ただ自分の姿を放棄せず、自身を自覚している
それが隙がないということなのだ
うんこをしている
大地震が起こった
家の外に飛び出したら前と後ろに色んなものがブラブラしている
しかしそれを自覚してさえいれば心に隙は生まれないのだ
普段から大衆に見守られているつもりでうんこをする姿勢が
隙をなくす、それが武士道

うんこの話の後で恐縮ですが、
こちらのブログでフリーゲームについて
熱く語られた文章があるのでリンク張ってみます
フリーゲームもゆっくり変わっていってるのかなぁと、しみじみと
http://frgrgnd.blog99.fc2.com/blog-entry-70.html

コメント

nophoto
Subrina
2009年12月31日22:36

こんな熱く語る人がやめちゃうのは惜しいですね。
あ、ご紹介どうもです。

この方のご意見を曲解をおそれず端的にまとめてしまうと、
フリゲは“場”であるということになりそうですけど・・・
失礼ですけどついでに私なりのかんがえを。

なにせフリゲとゆーのはいかに万人受けを狙っても、
どーにも趣味全開の世界でしかなく、
(たとえばSmokingWlof氏だってそうですし)
ある特定作者に対し、特定のファンしかつかない。
なもので、2ちゃんか何かの評論というのは外野であって、
あくまでもフリーゲームという場には参与していない。
(ただしVIPはもしもネタなどを媒介するひとつの場であり強固な地盤を形成している)
私はその意味では、フリクラというのは場に徹しきれないのだとおもってます。
外野の圧力が強すぎるためです。
本来いれるべきではない人や意見がはいってしまっている感があります。

フリゲに限らず、ある分野が発展するには、
内輪だけではなく外部に向かって語られなければならない。
とはいえフリゲとは内部に向かって収束するような場なので、
必然、より大きな場を必要とするのだとおもいます。

フリゲはこれから大きな場の模索をする時期に入るのだとおもいます。
その意味で3分ゲもコンパクも終了してよかったとおもってます。
企業や大手サイトの主導ではどうにも小回りが利かなくなるもので。

で、趣味全開の人というのは往々にして視野狭窄ですから、
こんな作者のこんな作品もあるんだよ、みたいなアナウンスを、
定期的にする必要があるとおもってます。

つまりは何がいいたいかといいますと、
私自身、うつつやデカンスやほねほねパニックをですね、
表現としてより多くの人に触れてもらいたいという欲求がありまして、
ブー太さんにはまた何かツクってくれるといいなとおもってます。

よいおとしをー。

ブー太
2010年1月1日1:00

おお、みっちりありがとうございます
熱く語ってくれる人がいるのは、特にプレイ専で、
いてくれるのは嬉しいですね

僕のフリーゲーム感としては、
やっぱりめちゃくちゃ一括しにくいっていうのが共通として、
とてつもなく個人的っていう感覚がありますね
それだけのキーワードでしかつなげない、それだけでつながっているというか
で往々に個人主義的になりがちで、
そこまでいくと個人的とまた違ってくる気がして
住み分けを自覚的にする人が多い気がするのもちょっと気になってます
もうちょっと自由に人が行き来してもいいのにとは思いますね

年がやっと明けやがりました
ふふふ、今年もエタ神様のご機嫌次第で
tsukuれたりtsukuれなかったりするかと思うとガクガクします