フロントノーズ

2009年11月10日 ゲーム
ネるヨン

ぼくは過去からにげてきたにんげんだ
過去がわずらわしくてしょうがなかった
ぼくは誰も必要としていないのに
永遠でないにんげんなんてもとからちかくにおく気なんてないのに
にんげんは永久じゃないから
えいえんのもの以外ぼくはなにもしんじていないから

ひさしぶりにじぇばんにP曲をじゅんかいしてみた
いつもあまりこめんとに目をとおさないので
すこしこめんとにちゅうもくしてみた
せつなてきなこめんとといえども
これらはみなおおくの人たちののうがはたらいたけっかとして
しゅつりょくされている
これらをぼくののうでぎゃくけいさんして
すべてのこめんと主ののうをふくげんしてやれば
とてもたかいみつどのじょうほうのながれのなかに身をゆだねられる
ひとりひとりだいじなのうがある
ひとびとがいきている
それがこめんとである

ぼくもさっぱり向上心を失ってしまっただら
すごい人の巨大な柱がばっこむずっこむぼくをもちつきのように
はね飛ばしていくよ
もうあきらめてつかれていたのに
今度はさんかくちゅうが横からぼくをたたくのさ
それも何とかやり過ごしたと思ったら
こんどはえんすいが突き刺さってきてからだの中でバクハツしたよ
もうだめなんだなっておもった
そのあいだずっとぼくは落ち続けているのだけれど
その落下はまるでぼくを責めるかのようにながい
それでもさいごには底にげきとつするってんだから
はははっこのむねん なににあらわしあがないうるべや

うんしょうんしょ

真理は常に妥当
だが真理が認知されることは常に妥当ではない

真理を認知できるもの は真理を認知でき
真理を認知できないもの は真理を認知できないことが真理

知識は真理ではない
しかし知識は真理ではないという知識は真理だ
つまり知識は真理ではないという知識は知識ではない

これらのヒントから考えられるのは
知識の形式の中に真理になりうる抜け道が存在するか
あるいは知識は本当は真理であるか
のどちらかだろう

真理は脳の外にある
真理が脳の内に解釈された時それは知識になる
真理は定義ゆえ意味と名目は常に正しい
知識はその正しさを証明するすべを持たない
ゆえに知識は真理ではないという知識は真理ではなく知識だ

これは言語、ひいては人間認識の性能限界に由来するのだろう
つまり人が真理と呼ぶ時、それは実在の真理を指すことができていない
しかし脳の中の真理を実在の真理に近づける事は意味のあることではないかと思う
この脳の中の真理を仮想真理と呼ぶことにする
実在の真理はもう秘密の名前をつけてあるからいいや

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