内部的幻覚について書き留めておく。

僕が木刀での素振りを日課にして半年が過ぎたかという頃、
木刀を持たずに木刀を持っている感覚を維持できる事に気づいた。
それは一年近く続いたが、いつからかその非肉体的幻肢というような現象は、
やろうとしてもできないようになっていた。
これを僕は内部幻覚と名づけ、恐らく学習過程での錯覚の一種であり、
最終的には消滅する、生理機能からは望ましくないと評価されている現象だと仮定した。

さらに素晴らしいアニメ映画や漫画について、
時間の経過によってその作品の世界空間が狭まったような印象を受ける時がある。
初めに見た時は広々とした世界観が広がっていたのに、
時を空けて改めて見ると、描写されていない場所や時間や可能性については、
そこに何もなく、作品はやはり描写されたその部分だけしかない事に気づく。
逆に言えば、初めて見た時は描写されていない部分を、
勝手にあるものとして錯覚を起こしていたのだと気づく。
そしてこれは前述の内部幻覚として一括して説明できる現象なのではないだろうか。
と僕は思うのだ。

わしゃ今日はがんばった・・・
しかしまだ足りなかったのじゃ・・・

じすさんはまるまる一個動画作っとった。
昨日ニコ生で別の動画作ってたばっかなのに・・・もういやー!

寝る!最大戦速で寝る!

コメント

nophoto
111
2009年10月19日14:41

いつもこっそり見ております、
今回のアニメに対する妄想っていうのは、まさに思い当たる所があったので、やっぱりブー太さんはすごいと思いました!

ブー太
2009年10月19日19:16

こっそりありがとうございまーす!
でもこれ、脳内補完ですむ話じゃ・・・とか、
自分つっこみしたりしなかったりしてました。

作品楽しむ視点としては、むしろ大いに錯覚して欲しいところなんですけどね。
特に体験した事のないものに対して、こういう事がよく起こる気がします。
だから人が新しいものを好むのも、
こういう錯覚に無意識に惹かれてるからなんじゃないかなぁとか。
でも時間がたって、好きだったものが少なからずしぼんで感じてしまうのは
やっぱり寂しいですね。