多胞体

2009年9月10日 ゲーム
マイブームで最近、多胞体を追ってるんだけど、
純粋に難し過ぎて困った。
面白いページがあったので無断リンクを張る。
立体視できるみたい。(視点をうにょーんとするやつ
超酔う。だがこれは四次元の酔いなのだと知れ!ほんとかいな。

4次元図形の3次元表示
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mt_home/fourd/fourh.htm

僕は昔、人間を聖なるものと考えていた。
しかし色々な人間と会い戸惑いを覚えるにつれて、
そうではないことに気づいた。
僕は人間には善なる人間と邪悪な人間がいるのではないかと考えた。
しかしそれも違った。多くの人間は邪悪にも、
善にも成り切っていないことがわかってきた。
では、巷で言われるように、割り切れない価値観を多様に判断しながら、
などという理想的な性質を、人間は持っているのではないかと僕は考えた。
しかし残念ながらそれも違った。
人間は多様な価値判断などせずに、流されるだけのただの腑抜けだった。
しかし腑抜けとも言い切れないところがあった。
人間は時に目立った行動判断をすることもあったからだ。
そこで僕は人間を、自分のことにだけ興味を持つ腑抜けと定義した。
それ以来僕は人間に戸惑わされることはなくなった。

全ては真に価値あるものを見つける為だった。
素粒子も宇宙物理もその解を与えてくれず、
僕は脳の中の感情にその答えがあることに気づいた。
長い模索の中で僕は感情の成り立ちと創造方法を見い出し、
より高度な感情の創造と実現を目指し、この世界の構造の関係性、
すなわち感情フォーマットに認識されうる世界形態そのものを学ぶことに専念した。
その中で神秘学的領域に踏み込み神々の実体を暴くようなこともしたが、
最終的に僕は最後の神に敗れ、進化学にも辛酸を嘗めさせられることになった。
僕には信仰だけが残された。が、信仰は僕から感情を奪った。
僕は慌てて感情、つまり複雑深遠なる世界構造を取り戻そうとしたが、
もはやそこに何の複雑さも深遠さも感じられないことに気づいた。
僕はすでに感情が、それを構成する成分すら、見渡せてしまっていることに気づいた。
僕は価値というものを克服するところに到達していた。
かつて僕はこう言ったのである。
人間が神より優れているところは思いこめるところである。
全知でないからこそ、思い込みによって幸福になれる力がある、と。
だからその幸福を増やす行為には最高の価値があるとも言った。
しかし僕は全知を獲得する代わりに、その幸せになれる力を失ってしまったのだ。
いつの間にか僕は神の一人になってしまっていた。

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