すまごらうよ

2009年8月2日 ゲーム
すまごらうよ
持続可能な開発スタイルでないと意味がない。
がそれは限界を認めるということでもある。
あーあ、まさか僕に限界があったとはなぁ・・・

別のアプローチで考えてみようかな。
最速でゲームをリリースし続けるには、どういう手段を用いればいいか。

クオリティのかかる部分を使いまわし。
一番面白いところだけを新規に作る。
具体的に最短何ヶ月で作れるか。
バイオリズム的に考えれば、一月半以上の連続した開発は無理だろう。
それもあんまりなので、それを二期。
休憩二週間とすれば、完成後にも二週間とって、
1サイクル4ヶ月、1年で3作のローテーションが組める。

プログラムは個人の行動限界を超えるデジタル手段の一つだと思う。
つまり産業革命相当のパラダイムシフトを引き起こしているはずなのだ。

構想二週間、素材三週間、製作四週間、デバグ一週間、調整二週間、
無謀そのものとしかいえない数字。
構想三週は絶対欲しいし、追加製作も一週は欲しい、つーか二週欲しい。
音楽入ったら素材三週で終わるわけないし、
製作そのものは不確定要素が多過ぎる。
しかし人は慣れることができるはずだ。
望む慣れを実現する事こそ、夢と呼ばれるものの実体ではないかね。

最小限で見栄えを確保するには、絵と幾何系エフェクトってことか。
東方とかAMはそういう風に収束してる見方もあるのかなぁ。
あと音楽ね。ひー

キャラ絵、エフェクト、音楽、この三点を最低限とする。
残りの労力が新しいものを作る為に使える。
と考えると、まずこの三点を劣化なく効率化させることが重要。
どれもセンス依存かぁ・・・
右脳活性必須だと、左脳活動への切替えをどれだけロスなくできるか
っつーのも重要になってくるなあ。

問題なのはゲームを作る際にどれだけ汎用可能なパーツを
作り置きできるかってところなんだよな。
HSP並にまとめるとしても、あれでもまだ作りにくい。
しかしウディタレベルまで固める必要があるのかもわからん。
マップフォーマット管理ツールって考え方はどうだ?
自由度が大き過ぎるか。フォーマットを決めるだけで一週間以上かかりそうだ。
ある程度のクリエイティビティの制限は、
求められる開発速度と反比例して必要不可欠になってくるか。
今は致し方ない。というか、やっぱ創作は続けられて何ぼという気がしないでもない。
大作を一つ二つ作ってもいまいち満足度低いっぽい気がする。

はっきりいってドットはもう切ってもいいんじゃないかと思ってる。
ディテールが欲しい。
デフォルメが蔓延した今、もはや受け手に想像力を求められなくなっているとも思う。
となるとマップの必要性もさしてなくなってくる。
でも地形的な見栄えはなくすのは惜しいよなぁ。
けど一枚絵じゃゲーム的にできる事少ないし、やっぱ3D欲しいけど、
まじしんどい。
3Dはまじねえわ。もーうちっと時代進んでくれると助かる。

でもま、ちびキャラは悪くないか。
一枚絵背景の上を疑似遠近法で拡大縮小できれば、
なかなか面白そうではある。
アニメしなくていいや。大変だから。
絵背景、静止ちびキャラ、イベント配置でいきゃあいい。
うむ、簡単で自由度もある。見栄えも悪くない。
マウス統一しちゃおっかな、いっそのこと。
マウスメインでの致命的な問題って何かあったっけ?

そういや画面内では必ずなにかしら動かしとけっつー古典もあったな。
んじゃちびキャラは静止アニメってことで。背景も多少ゆらゆらできるっしょ。

んー、マウスが駄目な理由ってなんだー
何かでも没入度がちょっと下がるイメージはあるかなぁ。
マウスカーソルそのものががつんがつん当たり判定あれば、
感触は悪くないと思う。
クリックするまで反応がないから、浮いた感じがしちゃうって事だろうな。

僕が一番好きなゲームのジャンルって何かなあ・・・

こんな感じがベストかな?
仲間見えねーな。
仲間非想定設計。うむ、ロックだ。

カーソルは主人公の人形アイコンとかにするとかわいいかな。
それならカーソルの動きにNPCが反応しても自然だし。

当たり判定はいろいろ考えられるな。
そのキャラに重ねたり、近づいたりはもちろん、
特定の場所をカーソルが通ったり、移動速度をトリガーにしても面白い。
この辺の自由度は残しときたいな~
反応イベントと判定イベントを分けるってのはありかな。
一個の反応イベントと複数の判定イベントを作れば、
先のようなイベントは楽に作れる。
でも逆に通常イベントがいちいち設定しないといけないのがめいどいか。むむ。

それらしく見せるだけならこれでいい。
しかしこれは本当に注目に値するゲームになるのか。
所詮フリーゲーム、なんて言われてそりゃそうだなんて笑ってるのは僕はいやだ。
作るに値するか?勝負できるのか。
しかしたぶんゲーム性だけでは勝負はできないのだ。
仮に運良く良いものができても、それは一時で過ぎ去ってしまう。
そしてそれは個人では数も作れないしボリュームも増やせない。
かといって・・・

フリーゲームのよさは、それを各人が初めて作ってるって事に依存してる。
慣れてないからいちいち考えてる。そこがクリエイティブなんだ。
慣れた範囲で作ることに終始してしまったら、
きっとフリーゲームの良さは失われてしまう。
そうだとしてもゲームとして、勝負できるだけの価値を作り出すことができれば、
そこにこだわる必要もないと思う。
最も恐れる事は何の良さも持たないものが出来上がることだ。

世のゲームクリエイターは無能じゃない。
快適な画面構成も作れるし、奇抜なアイデアくらいばんばん出せる。
セオリーも熟知してるし、ボリュームの増やし方も決して並以下ではない。
しかしおいそれと負けを認めてやれるほど、僕も自分を諦めているわけじゃない。
つーか勝つ。でも今はまだ足りない。どこを攻めれば勝てる?
同じ場所にすら立ちたくない。一線を画したい。
だから同じでは駄目なんだ。しかし無視はできない。
思いもよらなかった、なおかつ王道となりうるような、そういう手段。

これはなんか違うって思わせる力。
要するにカリスマ。しかしんなものはこれっぽっちもねえ。
「カリスマのない有名なゲーム製作者」って誰がいる?
見習うべきはその人のスタイルだ。

なんという自由度の高さだよゲーム・・・

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