今からチャクラを開いて20分で素振りを終わらす。
この渇き、奥義・無形百段突きでしか癒せぬと悟ったわ!
創作禁断症状。何かをでっち上げられずにはいられない。
能力として、僕はこの後何と続けようとした・・・?
今は全部の補助メモリをツール設計に回している。
何か作れる余地なんてあるわけない。
ネタはそれなりにメモってある。
しかし以前のものを使って作る、何ていう可愛げが僕にあるかどうか。
褒められたいって思うけど、褒められてもあんまり嬉しくない。
何かが違うんだ・・・
感情と意識が乖離している人ってのはそれなりにいる。
それが悪化して、今それが三重みたいな状態にある。
ものすごい保険でもあるわけだ。
僕、をプレイする僕、を見る僕、を指図している僕、
にまで影響を及ぼすものでないと僕自身はダメージを食わない。
そのかわりそれくらい影響の強いものでないと、美味しくも感じない。
褒められてもぜんぜん嬉しくない。なぜだろう。
褒められるって特別な事でもなんでもなくて、
いいもの作れば褒められるし、よくなければ褒められない。
それだけのもので、ただの因果律として僕の中で終わっちゃってる。
なぜいいものを作りたいのかって話。
どうせ自分自身は受け手として楽しめないのだし。
褒められたい、のじゃなくて、感じてほしい、のだよね。
リアクションじゃなくて、アクションそのものが目的。
でもそれって、ただ他人に思い通りの影響を与えたいっていう
支配欲でしかないんじゃないの?
与えたい感じ?というよりやっぱ、僕を理解してほしい感じ?
でもそれだと創るってことへの動機にはならないか・・・
絵とか描いてた時は、その構図や色をそういうのもあるよ!
っていうのを感じてほしくて描いてた気もする。
ただでも僕が早く見つけた、っていう自慢したい気持ちもあったのは確か。
第三者に意識を広げてほしい。
ある近似かもしれないけど、一つの作り手の思惑ではあると思う。
けど広げてどうすんだって話でもある。
もう一般人の気持ちなんてわからない。
日常にあくせくしながら、クリエイターの作品でたまに
はっとさせられる立場で一生を過ごす事が、本当にいいことなのかわからない。
それってそもそも広がってるのか?という気もする。
結局それが手応えの無さでもあるんじゃないのか?
本当に広がったのなら人は作り始めずにはいられないはずだ。
いやそうでもねえか。
そういう手応えがあれば嬉しいかなあ・・・
いまいちピンと来ないなあ・・・
褒められる事は大してどうでもいい。
それより僕が作ったもので何かいろいろ新しく得たり、
考えるきっかけなんかになったりする方が嬉しいのは確かだとは思う。
そこんところだよな。
喜んでもらう事=褒められる事、と認識してるとおかしな錯誤をする。
どう糧になってるか、そこを単純化しないで目的にしないとややこしい。
そういう作り方してないよなぁ・・・
コンセプトはあっても仕組みの中へ組み込むだけで、
内容として受け手が意識できるような所へは置かない作り方をしてる。
そういうのがかっこいいと思ってたし。
でも誰も気づきもしないのじゃ、やっぱり意味ないよな・・・
そしてそれに対してリアクションが貰えないから、
いまいち喜びきれないんだろう。
いや、そういう風な作りじゃないから当たり前なんだけどさ。
ちょっとそういう風なこと気にしてみよかなあ~
それとやっぱりまだまだ入れるものも未熟だしね。
学ばねばな。
たかが一作品を長々と時間をかけて考察して貰うなんてのは、
正しい事じゃねー
自然とコンセプトヘ導く仕掛けが必要だ。考える必要がある。
しかもこのコンセプトは、ゲームシステムやその辺で使われるような
ありがちなコンセプトじゃなく、正魔術師だけが扱うようなぐっと濃い奴だ。
これをあえて表面にもってきて、なおかつ常識的に見せかける。
そして面白さと混合する。これができれば宮崎駿を超えられる!
この渇き、奥義・無形百段突きでしか癒せぬと悟ったわ!
創作禁断症状。何かをでっち上げられずにはいられない。
能力として、僕はこの後何と続けようとした・・・?
今は全部の補助メモリをツール設計に回している。
何か作れる余地なんてあるわけない。
ネタはそれなりにメモってある。
しかし以前のものを使って作る、何ていう可愛げが僕にあるかどうか。
褒められたいって思うけど、褒められてもあんまり嬉しくない。
何かが違うんだ・・・
感情と意識が乖離している人ってのはそれなりにいる。
それが悪化して、今それが三重みたいな状態にある。
ものすごい保険でもあるわけだ。
僕、をプレイする僕、を見る僕、を指図している僕、
にまで影響を及ぼすものでないと僕自身はダメージを食わない。
そのかわりそれくらい影響の強いものでないと、美味しくも感じない。
褒められてもぜんぜん嬉しくない。なぜだろう。
褒められるって特別な事でもなんでもなくて、
いいもの作れば褒められるし、よくなければ褒められない。
それだけのもので、ただの因果律として僕の中で終わっちゃってる。
なぜいいものを作りたいのかって話。
どうせ自分自身は受け手として楽しめないのだし。
褒められたい、のじゃなくて、感じてほしい、のだよね。
リアクションじゃなくて、アクションそのものが目的。
でもそれって、ただ他人に思い通りの影響を与えたいっていう
支配欲でしかないんじゃないの?
与えたい感じ?というよりやっぱ、僕を理解してほしい感じ?
でもそれだと創るってことへの動機にはならないか・・・
絵とか描いてた時は、その構図や色をそういうのもあるよ!
っていうのを感じてほしくて描いてた気もする。
ただでも僕が早く見つけた、っていう自慢したい気持ちもあったのは確か。
第三者に意識を広げてほしい。
ある近似かもしれないけど、一つの作り手の思惑ではあると思う。
けど広げてどうすんだって話でもある。
もう一般人の気持ちなんてわからない。
日常にあくせくしながら、クリエイターの作品でたまに
はっとさせられる立場で一生を過ごす事が、本当にいいことなのかわからない。
それってそもそも広がってるのか?という気もする。
結局それが手応えの無さでもあるんじゃないのか?
本当に広がったのなら人は作り始めずにはいられないはずだ。
いやそうでもねえか。
そういう手応えがあれば嬉しいかなあ・・・
いまいちピンと来ないなあ・・・
褒められる事は大してどうでもいい。
それより僕が作ったもので何かいろいろ新しく得たり、
考えるきっかけなんかになったりする方が嬉しいのは確かだとは思う。
そこんところだよな。
喜んでもらう事=褒められる事、と認識してるとおかしな錯誤をする。
どう糧になってるか、そこを単純化しないで目的にしないとややこしい。
そういう作り方してないよなぁ・・・
コンセプトはあっても仕組みの中へ組み込むだけで、
内容として受け手が意識できるような所へは置かない作り方をしてる。
そういうのがかっこいいと思ってたし。
でも誰も気づきもしないのじゃ、やっぱり意味ないよな・・・
そしてそれに対してリアクションが貰えないから、
いまいち喜びきれないんだろう。
いや、そういう風な作りじゃないから当たり前なんだけどさ。
ちょっとそういう風なこと気にしてみよかなあ~
それとやっぱりまだまだ入れるものも未熟だしね。
学ばねばな。
たかが一作品を長々と時間をかけて考察して貰うなんてのは、
正しい事じゃねー
自然とコンセプトヘ導く仕掛けが必要だ。考える必要がある。
しかもこのコンセプトは、ゲームシステムやその辺で使われるような
ありがちなコンセプトじゃなく、正魔術師だけが扱うようなぐっと濃い奴だ。
これをあえて表面にもってきて、なおかつ常識的に見せかける。
そして面白さと混合する。これができれば宮崎駿を超えられる!
コメント