書きたいことが多すぎる。
口笛って吹くのは最高なんだけど、
どう転んでも聞く分には不快音以外の何物にもならないのが惜しい。
歌くらいに聴き心地もよければいいのに・・・
7つくらいの人格主体が同時に活性化してる。真っ昼間から。やっかいだなー
技術高めなきゃなー
でもそれほど単純な話じゃない事はわかってきた。
磨くにしても方向性ってのもあるし、
無方向としての方向性もある。
もちろん未熟さゆえの技巧性もある。
つまり、効率的でない面に労力を注ぐという
後からではなかなか自然体でできない魅力だ。
さらに厄介なのはそれぞれ個人が何を好むかだ。
技術ってのは甘いもんじゃねー
修得した技術は武器にもなるし制限にもなる。
修得時間は絶対的に膨大だし、どういった立ち位置からしても膨大だ。
つまり重い。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
ランパゲー、予想以上に褒めてもらって嬉しい。
でもどこか正直に受け取れきれないのは、
自分でちゃんとベストに作れたと思い切れてないからじゃないかなと思う。
これに限らず僕が作るものは全部そうだ。
中途半端でどれも僕は自分で好きとは言い切れない。
完璧だと思えても、それは極端に範囲を狭めて可能にしたことで、
今度はその狭さが気に入らない。全部そうだ。
それがなにより苛立ちを募らせる。
ベストにしようとすると大体挫折する。いや、大体じゃなくて全てだ。
僕のメモリは少ない。最大の弱点の一つだ。
感覚的に同時に把握できる領域の絶対量が少ない。
一つの作品に対して、目を配りきれる絶対量が圧倒的に少ない。
どれだけ技術があっても、同時に適用できる領域はごく小領域にしかならない。
たぶん僕にはRPGは作れないんだろう。
バスケをやってた頃、一対一なら誰とでも対等以上にやれる自信はあったが、
試合となるとまともに勝ったためしがなかった。
小規模ゲーならたぶん結構な相手とも張り合える。
でもちょっと中規模になったらもうだめだ。話にならない。
数学者のメモリは多い。
彼らが傍目に一足飛びに結果を導いているように見えるのは、
過程を全てメモリ上で行っているからだ。
だから「直感的にわかる」という表現になる。正確には過程を全て把握している。
普通はそれを公式とか使って、結論を一時中断して、
新たに中間地点からメモリを働かせる。
しかしそれは本来として美しくない。数の本質に触れているとは言いがたい。
作品に関しても同じだ。
個々に作れても全体を一度に見渡せる目を持っていなければ、
ひとまとまりの作品とは言いがたい。
得がたい才能を持った一人の若者が完全にパクリ道に落ちていた。
お前などダースベイダーの刑だ!
と思わず八つ当りしてしまうほど行き詰っている。
連載形式の何か作れないかな・・・
僕にゃ長期的なゲームやストーリーは作れねえ。
ならいっそ蓄積しないRPGシステムってのを探してみようか?
途中から始めても全然オッケーな奴。
あるいは後から最初の奴やっても全然オッケー。
あるかなーそんな都合のいい着地地点。
むしろゆめにっき的な方が相性はいいのか。
むーやっぱ胡散臭いか。
日常的に多角的創作をする理由付けが欲しい。
もうちょっといえばそれを期待して待ってもらえるような枠組みも。
でも気分次第でやれるやつ。
気合入れるなら完成してから公開しろって話だし。
忘れちゃうもんなー
ドットよりかイラスト側に力入れやすい形式でー
旅感が楽しめるのがいいよね、てことはマップも。
何よりお話とかキャラに重きを置きたい。
でもRPG的データは忘れちゃうよな、やっぱり。
これとこれが強かったりとか、あのアイテムでこうなるとか。
となるとツクールがベストだけど、さすがにそろそろ芸がない気もするし・・・
ウディタで行きたいとこだけど、微妙に重いんだよなー
自作はマップとかセーブとか厄介だし・・・
こういう所でプログラムが手についてないと痛いよなぁ。
前々から考えてた横スクロールRPGもそろそろやってみたいしー、んー
おお!ウディタ、ひっかかりがなくなってる!
たまたま?いや改良したに違いない。
ズームもできるようになってるし、やるなー
おお!DBも大幅に改良されてる!
後はエフェクトツールかー
DBフォーマット公開してくれれば、各自でHSPなんかで
エフェクトエディタくらい作れそうな気がするけど、
そういう要望はまだ来てないのかなぁ。
おーDBファイルのexcel→ウディタツールは作られてるのか。
うーむ、やっぱりツール関係の思考はとめどない上に埒があかん。
ビジョンがないことには始まらない事だし。
いくらキャラを好きになっても、イベント、キャラグラ、顔グラ、
あってもバストアップor半身ってのは、なんか世知辛いんだよなー
かといって全身モデリング+モーションとかありえん話だし。
アニメ-マンガ-イラストなら、もちっとマンガ-イラスト寄りの形式、
申し訳程度のアニメ分ってとこか。かーむずい!
マンガゲーは結局、選択肢のあるマンガにしかならないしなー
面白さ二倍、労力二倍じゃアイデアになってねーし。
物書き、絵描きなら二次創作で楽しめるが、他の人には
いくら好きになってもその作品内のキャラで全てなんだよな。
だからグッズが売れる、ってその辺は置いとくにしても。
今時動くだけじゃ生きてるとはいえねー
クソみたいな作品のキャラクターも動き回ってるからな。
もう一手、命を吹き込む表現方法。
ruinaの挿絵は秀逸だったなぁ。あの人は絵上手かった・・・
話の作りもとんでもねー。塔の上から入ってくるとか、やばすぎ。
まあそれはそれとして、挿絵はありだわ。
が、その場合、基本的な表現はテキストか、
単純なグラフィックじゃないと逆効果だろうな。
メリハリ。表現精度に幅を開けることで、逆に調和が可能になるってことか?
その理屈を発展させて何か出せないかしら。
数字だけの戦闘+挿絵イラスト。うーん、大したネタじゃないなぁ。
チープ+リアル音楽。いけそうだけど今はパス。
単純ゲーム+大規模環境ゲーム。ピンと来ないなー
む!そうか!自分褒め称え用の完全受け手専用人格を作ればいいんだ!
この子にいろいろ客観的ないい感じとか悪い感じとか判断してもらおう!
多人格的な認識もっと使われてもいいのにな。
他人も多数の人格として認識すれば、あの人のA人格死ねよと思うけど、
B人格ちょっと好きだからいっか、とかなってかなり平和的だと思うんだけど。
昔のRPG案見たらキャラが若すぎて笑ったw
17歳活躍しすぎ。はー、でもそんなもんかもなぁ。
名前もひどいなあ。
ここだけの話、名前の付け方4つくらい見たら殆どの力量は測れると思う。
知識量と脳みその分解率が逆算できるのだ。
うへえ、懐かしい。
当時、ない知恵絞っていろいろ考えてたんだろうなあ。
ゲームシステムは変な拘り持たずに、面白さに素直だった気がする。
デカンス考えたのもほとんど同じ時期のはず。
ありがちなゲーム性衰退論に反発して、より面白いRPG案とやらを、
一生懸命探していた。今は何かもう違うものを考えている気がする。
でも何となく、この頃の方が面白いシステムを考えられていた気がする。
作り方や作り手のことなんか考えずに、ただ単純にやる側にとって、
面白いものだけを考えていたから。ある意味、最上の境地だ。
が、技術的困難と作業量の困難を知らないからこその妄言でもある。
でも今必要なのはこの心だな。
長編型のRPGでボツったのいくつもあるけど、
でもキャラはよーく覚えてるなあ。これはいいことだ。
パーソナリティーを得て記憶に残ってるのは、
やっぱりストーリーや格好や性格を考えたからこそで、
それは重要な事だ。ボツったとしても意味がある。生きている。
ちょくちょく長編想定のRPG案は考えるべきかもね。
っつーか、ただの話でもいいんだろうな。
ゲームでもテキストですらない、作品にならないけど作る長編っていうのは。
創作ってそういうものが主体なんだと思う。
すなわち心の中の森って奴か。
よーし、なんかまたでっかい話考えるかー
口笛って吹くのは最高なんだけど、
どう転んでも聞く分には不快音以外の何物にもならないのが惜しい。
歌くらいに聴き心地もよければいいのに・・・
7つくらいの人格主体が同時に活性化してる。真っ昼間から。やっかいだなー
技術高めなきゃなー
でもそれほど単純な話じゃない事はわかってきた。
磨くにしても方向性ってのもあるし、
無方向としての方向性もある。
もちろん未熟さゆえの技巧性もある。
つまり、効率的でない面に労力を注ぐという
後からではなかなか自然体でできない魅力だ。
さらに厄介なのはそれぞれ個人が何を好むかだ。
技術ってのは甘いもんじゃねー
修得した技術は武器にもなるし制限にもなる。
修得時間は絶対的に膨大だし、どういった立ち位置からしても膨大だ。
つまり重い。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
ランパゲー、予想以上に褒めてもらって嬉しい。
でもどこか正直に受け取れきれないのは、
自分でちゃんとベストに作れたと思い切れてないからじゃないかなと思う。
これに限らず僕が作るものは全部そうだ。
中途半端でどれも僕は自分で好きとは言い切れない。
完璧だと思えても、それは極端に範囲を狭めて可能にしたことで、
今度はその狭さが気に入らない。全部そうだ。
それがなにより苛立ちを募らせる。
ベストにしようとすると大体挫折する。いや、大体じゃなくて全てだ。
僕のメモリは少ない。最大の弱点の一つだ。
感覚的に同時に把握できる領域の絶対量が少ない。
一つの作品に対して、目を配りきれる絶対量が圧倒的に少ない。
どれだけ技術があっても、同時に適用できる領域はごく小領域にしかならない。
たぶん僕にはRPGは作れないんだろう。
バスケをやってた頃、一対一なら誰とでも対等以上にやれる自信はあったが、
試合となるとまともに勝ったためしがなかった。
小規模ゲーならたぶん結構な相手とも張り合える。
でもちょっと中規模になったらもうだめだ。話にならない。
数学者のメモリは多い。
彼らが傍目に一足飛びに結果を導いているように見えるのは、
過程を全てメモリ上で行っているからだ。
だから「直感的にわかる」という表現になる。正確には過程を全て把握している。
普通はそれを公式とか使って、結論を一時中断して、
新たに中間地点からメモリを働かせる。
しかしそれは本来として美しくない。数の本質に触れているとは言いがたい。
作品に関しても同じだ。
個々に作れても全体を一度に見渡せる目を持っていなければ、
ひとまとまりの作品とは言いがたい。
得がたい才能を持った一人の若者が完全にパクリ道に落ちていた。
お前などダースベイダーの刑だ!
と思わず八つ当りしてしまうほど行き詰っている。
連載形式の何か作れないかな・・・
僕にゃ長期的なゲームやストーリーは作れねえ。
ならいっそ蓄積しないRPGシステムってのを探してみようか?
途中から始めても全然オッケーな奴。
あるいは後から最初の奴やっても全然オッケー。
あるかなーそんな都合のいい着地地点。
むしろゆめにっき的な方が相性はいいのか。
むーやっぱ胡散臭いか。
日常的に多角的創作をする理由付けが欲しい。
もうちょっといえばそれを期待して待ってもらえるような枠組みも。
でも気分次第でやれるやつ。
気合入れるなら完成してから公開しろって話だし。
忘れちゃうもんなー
ドットよりかイラスト側に力入れやすい形式でー
旅感が楽しめるのがいいよね、てことはマップも。
何よりお話とかキャラに重きを置きたい。
でもRPG的データは忘れちゃうよな、やっぱり。
これとこれが強かったりとか、あのアイテムでこうなるとか。
となるとツクールがベストだけど、さすがにそろそろ芸がない気もするし・・・
ウディタで行きたいとこだけど、微妙に重いんだよなー
自作はマップとかセーブとか厄介だし・・・
こういう所でプログラムが手についてないと痛いよなぁ。
前々から考えてた横スクロールRPGもそろそろやってみたいしー、んー
おお!ウディタ、ひっかかりがなくなってる!
たまたま?いや改良したに違いない。
ズームもできるようになってるし、やるなー
おお!DBも大幅に改良されてる!
後はエフェクトツールかー
DBフォーマット公開してくれれば、各自でHSPなんかで
エフェクトエディタくらい作れそうな気がするけど、
そういう要望はまだ来てないのかなぁ。
おーDBファイルのexcel→ウディタツールは作られてるのか。
うーむ、やっぱりツール関係の思考はとめどない上に埒があかん。
ビジョンがないことには始まらない事だし。
いくらキャラを好きになっても、イベント、キャラグラ、顔グラ、
あってもバストアップor半身ってのは、なんか世知辛いんだよなー
かといって全身モデリング+モーションとかありえん話だし。
アニメ-マンガ-イラストなら、もちっとマンガ-イラスト寄りの形式、
申し訳程度のアニメ分ってとこか。かーむずい!
マンガゲーは結局、選択肢のあるマンガにしかならないしなー
面白さ二倍、労力二倍じゃアイデアになってねーし。
物書き、絵描きなら二次創作で楽しめるが、他の人には
いくら好きになってもその作品内のキャラで全てなんだよな。
だからグッズが売れる、ってその辺は置いとくにしても。
今時動くだけじゃ生きてるとはいえねー
クソみたいな作品のキャラクターも動き回ってるからな。
もう一手、命を吹き込む表現方法。
ruinaの挿絵は秀逸だったなぁ。あの人は絵上手かった・・・
話の作りもとんでもねー。塔の上から入ってくるとか、やばすぎ。
まあそれはそれとして、挿絵はありだわ。
が、その場合、基本的な表現はテキストか、
単純なグラフィックじゃないと逆効果だろうな。
メリハリ。表現精度に幅を開けることで、逆に調和が可能になるってことか?
その理屈を発展させて何か出せないかしら。
数字だけの戦闘+挿絵イラスト。うーん、大したネタじゃないなぁ。
チープ+リアル音楽。いけそうだけど今はパス。
単純ゲーム+大規模環境ゲーム。ピンと来ないなー
む!そうか!自分褒め称え用の完全受け手専用人格を作ればいいんだ!
この子にいろいろ客観的ないい感じとか悪い感じとか判断してもらおう!
多人格的な認識もっと使われてもいいのにな。
他人も多数の人格として認識すれば、あの人のA人格死ねよと思うけど、
B人格ちょっと好きだからいっか、とかなってかなり平和的だと思うんだけど。
昔のRPG案見たらキャラが若すぎて笑ったw
17歳活躍しすぎ。はー、でもそんなもんかもなぁ。
名前もひどいなあ。
ここだけの話、名前の付け方4つくらい見たら殆どの力量は測れると思う。
知識量と脳みその分解率が逆算できるのだ。
うへえ、懐かしい。
当時、ない知恵絞っていろいろ考えてたんだろうなあ。
ゲームシステムは変な拘り持たずに、面白さに素直だった気がする。
デカンス考えたのもほとんど同じ時期のはず。
ありがちなゲーム性衰退論に反発して、より面白いRPG案とやらを、
一生懸命探していた。今は何かもう違うものを考えている気がする。
でも何となく、この頃の方が面白いシステムを考えられていた気がする。
作り方や作り手のことなんか考えずに、ただ単純にやる側にとって、
面白いものだけを考えていたから。ある意味、最上の境地だ。
が、技術的困難と作業量の困難を知らないからこその妄言でもある。
でも今必要なのはこの心だな。
長編型のRPGでボツったのいくつもあるけど、
でもキャラはよーく覚えてるなあ。これはいいことだ。
パーソナリティーを得て記憶に残ってるのは、
やっぱりストーリーや格好や性格を考えたからこそで、
それは重要な事だ。ボツったとしても意味がある。生きている。
ちょくちょく長編想定のRPG案は考えるべきかもね。
っつーか、ただの話でもいいんだろうな。
ゲームでもテキストですらない、作品にならないけど作る長編っていうのは。
創作ってそういうものが主体なんだと思う。
すなわち心の中の森って奴か。
よーし、なんかまたでっかい話考えるかー
コメント
>日常的に多角的創作をする理由付けが欲しい。
>もうちょっといえばそれを期待して待ってもらえるような枠組みも。
これ大切ですよね。モチベーションを維持するもの。
イルカが泳ぐのを助ける、海のようななにか。
>名前の付け方4つくらい見たら殆どの力量は測れると思う。
>知識量と脳みその分解率が逆算できるのだ。
良いこと言った。ほんとそうです。
知識の量と深さ、重さと密度、そういうのが表れる。
あと「心に森を作れ!」って名言になりそう。
シリーズみたいなものは結構懐疑的な見かたしてるんですが、
継続としての力は強いなあと思いますね。
あと、同じものへ愛着を持ち続けられるのも憧れます。
名前はでもこれある意味ブーメランで、
少なくとも未来の自分からはダサッと思われるってことなんですよね・・・w
やはりあまり大っぴらには言えない事です。
心の森はマイバイブル、漫画版ナウシカでの言い回しをお借りしたんですよ。
心の森を豊かに持つっていうのは、やっぱり一つの目標になってますね。
ついついよく伐採しちゃいそうにもなるんですがー