美しいと思うこ
はっ
piyopiyo
正直失敗したなー
piyopiyo
piyopiyo
例えばただ素朴に思うだけなんだが、
なぜ同じ人が作っていないものをシリーズとして出す?
例えば人それぞれに真理がある、
というのが真理なら真理はそれ一つだ。
それぞれの真理とやらは真の真理ではない。
なぜそれが唯一の真理がない理由になるんだ?
というようなことは口にするのも恥ずかしい
美しいと思うことがある。
なんて言葉をいきなり書くなんて恥ずかしいにもほどがある。
失敗したなー
すでに確固とした持論がある。
それは主観ではない。最も妥当な唯一なる解である。
それが精神の作用に関する見解だとする。
しかし不意に他の人がそれ以外の見方でもって、
(僕は僕の持論を唯一の排他的最適解だと確信しているにもかかわらず、)
独自の(僕から見れば)不完全な精神の作用を語る時、
不覚にもその多様性と生命力に美しさを感じてしまう。
美しいと思う。
思春期の少年が必死で思い悩み叫ばずにはいられなくなった、
その未熟なありきたりな、しかし部分的に異なりそれが独自であるところの
現象の発露が美しいと思う。生命的だ。
なぜ若輩者はより若い者を馬鹿にするのか。
あるいは逆になぜ老いた者は若さを讃える一方で自分を蔑むのか。
残念でならない。
いかちゃん
失敗したなー
何が失敗したのかというと浅野りんだ。
これ以上書くとバレる。
少なくともこの失敗によって、
浅野りんに関する書けたはずの一つを書く自由を失っちゃった。
失敗したなー
そして少なくともこの失敗がなければ、
一体誰の見解に美しさを感じたかも書けるはずだった。
しかしもう書けぬ。
が、それは僕の失敗なのだ。仕方なーい。
ったく、親の健康素直に喜べるようになったらもう終いだっつの。
もうだいぶ前から終いだった気がするが。
いかちゃん
今日の流れ
ゲーコンスレヲチ
↓
哲学だと!?
↓
よし前々から興味があったユングを調べよう
↓
哲学者じゃなかった
↓
ほう、ユング全書とな?
↓
そういえば世界デジタル図書館ができたとか何とか・・・
↓
なかった
↓
もしかしてプリンキピアとかあるんかしら?
↓
なかった
↓
piyopiyo
↓
いかちゃん
果たして僕は何か作ったことがあっただろうか
作ろうと思って何か作れた例があっただろうか
なかった
なかった、では他の人はどうだろうか
精神と労力についての問題だ
ああ
どうしても作れない
作るのなんて嫌いだ、向いてない
嫌いで向いてないことなんてできなくて当然なんだ
でももしかしたらできる
できないはずはない
精神的な理由がそこまで確定的な制限力をもつはずがない
そうも考えたが、もつようだ
あるいは向いてない
本当に?
いやどうなんだ・・・
怠惰に身を
愛することは重要なことだ
愛することでそれに対する記憶力は上がる
多くを愛することは有用である
またそれは人生を幸せにする
理性に頼りすぎだ
気を抜くとオウムの傀儡になってしまう恐れがあるが
無意識や感性もまた別のものとして存在する
人間の体には飽きた
つぃかに体を動かすことは楽しい
が、もっと自在な体を得てみろ
また初めからその体の練習を始めなくてはいけないが、
その体が可能とする力の導き方、リズム、人ではない未知のもの
すばらしいとは思わないか
重心や打突、筋についてたしなむほど思う
何とすばらしいこ
自由にできたらどんなにすばらしいだろう
厳密には現行の骨格筋のルールを拡張し新たな可能性を楽しむことが
ゴムのボールを腕に当てて遊んでるだけで人の体には飽きることがない!
球の位置、腕のごつごつの把握、その速さ、精度、
それは一つの奥義だ 美しいことよ
なぜ武術をやるかだと!?
より自由を味わ尽くすためだ!自在に動くためよ!
わからんか 地の果てへ行くのも 脳を理解せんとするのも
同じこと 味わいつくし 具えることに他ならない
ああ
ああ
ああ
ユーング、かわいそうに・・・
感情も理性も封じられたらどうすればいい?
祈りなどもはや無意味 いや祈りも感情よ
感情を無意味とするその愚かさ
底なしよ
感情は真理じゃないんだってさ
なら感情に基づくこと全て真理じゃないはずだろ?
愛
氷の神と人間諸叡智の全て
どちらを選ぶ?
オーケー、それも感情だ
選択は感情抜きに語れるか、まずそれを明らかにしなきゃだめだね
不可能だ
ゆえに真理は真理でないことが発覚した
ふぉっふぉっふぉ
真理は真理でない これは重要だぞ
つまり真理とは指向的であらざるをえないが
指向的であるなら真理とは呼べない
それは感情生物の限界でもある
では感情以外の主体を持つ思考系は存在しうるか?
思考系とは何か
それは価値付けと論理演算の組み合わせでできる動的な体系のこと
価値付けが失われれば論理演算だけが残り、
それは完全な 0だ
すなわち 世界であり そのままであり 思考以前である
では指向性があるからこそ 思考は尊いと
ああ馬鹿馬鹿しい 意味なんてないんだろ
いやあるさ
ないね
この問いは無意味だぞ 君は一つの思考系でしかない
君は思考系を脱却できない 当然だがなぁ
僕は僕の指向性に基づいている というのか
確かにその通りだ しかしじゃあ それ以上を求めるこの僕の指向性は何なんだ?
無いものねだりか?
指向性そのものが意思だといっていい
意思が意思以上を求めるがそれは意思以外のものである
???
意思ではなくなってしまう
意思ではなくなってしまうということは
別に意思でなくなりたいという意思もない状態に達するということだ
てことは
意思でなくなっている必要はなくなる
すると自然体になり意思になる
しかし意思になると意思でなくなりたくなり
意思ではなくなってしまう
エンドレス
真理平衡とでも呼ぼうか
真理平衡=真理かな?
頭悪いかな
それとも脳ではここまでが限界かな
ちげーな
指向的であることが真理である可能性が残されている
いや違うぞ
指向的は何かに指向的であって
その何かを決めるのは何か という問題だ
そしてそんな何かは特定し得ないとして真理ではない
が 妥当な何か 指向性が特定し得る可能性が残されているならば
指向的な真理が妥当となるエンドもありえる
それは生物学的な路線で考えていっていいものなのか?
いいはずだ 他に何がある?
人間の指向性が何を基準に構築されたのか
そういう考え方でいいはずだ 安易か しかし他に思いつかぬ
だめだ これ以上はない
ふー
はっ
piyopiyo
正直失敗したなー
piyopiyo
piyopiyo
例えばただ素朴に思うだけなんだが、
なぜ同じ人が作っていないものをシリーズとして出す?
例えば人それぞれに真理がある、
というのが真理なら真理はそれ一つだ。
それぞれの真理とやらは真の真理ではない。
なぜそれが唯一の真理がない理由になるんだ?
というようなことは口にするのも恥ずかしい
美しいと思うことがある。
なんて言葉をいきなり書くなんて恥ずかしいにもほどがある。
失敗したなー
すでに確固とした持論がある。
それは主観ではない。最も妥当な唯一なる解である。
それが精神の作用に関する見解だとする。
しかし不意に他の人がそれ以外の見方でもって、
(僕は僕の持論を唯一の排他的最適解だと確信しているにもかかわらず、)
独自の(僕から見れば)不完全な精神の作用を語る時、
不覚にもその多様性と生命力に美しさを感じてしまう。
美しいと思う。
思春期の少年が必死で思い悩み叫ばずにはいられなくなった、
その未熟なありきたりな、しかし部分的に異なりそれが独自であるところの
現象の発露が美しいと思う。生命的だ。
なぜ若輩者はより若い者を馬鹿にするのか。
あるいは逆になぜ老いた者は若さを讃える一方で自分を蔑むのか。
残念でならない。
いかちゃん
失敗したなー
何が失敗したのかというと浅野りんだ。
これ以上書くとバレる。
少なくともこの失敗によって、
浅野りんに関する書けたはずの一つを書く自由を失っちゃった。
失敗したなー
そして少なくともこの失敗がなければ、
一体誰の見解に美しさを感じたかも書けるはずだった。
しかしもう書けぬ。
が、それは僕の失敗なのだ。仕方なーい。
ったく、親の健康素直に喜べるようになったらもう終いだっつの。
もうだいぶ前から終いだった気がするが。
いかちゃん
今日の流れ
ゲーコンスレヲチ
↓
哲学だと!?
↓
よし前々から興味があったユングを調べよう
↓
哲学者じゃなかった
↓
ほう、ユング全書とな?
↓
そういえば世界デジタル図書館ができたとか何とか・・・
↓
なかった
↓
もしかしてプリンキピアとかあるんかしら?
↓
なかった
↓
piyopiyo
↓
いかちゃん
果たして僕は何か作ったことがあっただろうか
作ろうと思って何か作れた例があっただろうか
なかった
なかった、では他の人はどうだろうか
精神と労力についての問題だ
ああ
どうしても作れない
作るのなんて嫌いだ、向いてない
嫌いで向いてないことなんてできなくて当然なんだ
でももしかしたらできる
できないはずはない
精神的な理由がそこまで確定的な制限力をもつはずがない
そうも考えたが、もつようだ
あるいは向いてない
本当に?
いやどうなんだ・・・
怠惰に身を
愛することは重要なことだ
愛することでそれに対する記憶力は上がる
多くを愛することは有用である
またそれは人生を幸せにする
理性に頼りすぎだ
気を抜くとオウムの傀儡になってしまう恐れがあるが
無意識や感性もまた別のものとして存在する
人間の体には飽きた
つぃかに体を動かすことは楽しい
が、もっと自在な体を得てみろ
また初めからその体の練習を始めなくてはいけないが、
その体が可能とする力の導き方、リズム、人ではない未知のもの
すばらしいとは思わないか
重心や打突、筋についてたしなむほど思う
何とすばらしいこ
自由にできたらどんなにすばらしいだろう
厳密には現行の骨格筋のルールを拡張し新たな可能性を楽しむことが
ゴムのボールを腕に当てて遊んでるだけで人の体には飽きることがない!
球の位置、腕のごつごつの把握、その速さ、精度、
それは一つの奥義だ 美しいことよ
なぜ武術をやるかだと!?
より自由を味わ尽くすためだ!自在に動くためよ!
わからんか 地の果てへ行くのも 脳を理解せんとするのも
同じこと 味わいつくし 具えることに他ならない
ああ
ああ
ああ
ユーング、かわいそうに・・・
感情も理性も封じられたらどうすればいい?
祈りなどもはや無意味 いや祈りも感情よ
感情を無意味とするその愚かさ
底なしよ
感情は真理じゃないんだってさ
なら感情に基づくこと全て真理じゃないはずだろ?
愛
氷の神と人間諸叡智の全て
どちらを選ぶ?
オーケー、それも感情だ
選択は感情抜きに語れるか、まずそれを明らかにしなきゃだめだね
不可能だ
ゆえに真理は真理でないことが発覚した
ふぉっふぉっふぉ
真理は真理でない これは重要だぞ
つまり真理とは指向的であらざるをえないが
指向的であるなら真理とは呼べない
それは感情生物の限界でもある
では感情以外の主体を持つ思考系は存在しうるか?
思考系とは何か
それは価値付けと論理演算の組み合わせでできる動的な体系のこと
価値付けが失われれば論理演算だけが残り、
それは完全な 0だ
すなわち 世界であり そのままであり 思考以前である
では指向性があるからこそ 思考は尊いと
ああ馬鹿馬鹿しい 意味なんてないんだろ
いやあるさ
ないね
この問いは無意味だぞ 君は一つの思考系でしかない
君は思考系を脱却できない 当然だがなぁ
僕は僕の指向性に基づいている というのか
確かにその通りだ しかしじゃあ それ以上を求めるこの僕の指向性は何なんだ?
無いものねだりか?
指向性そのものが意思だといっていい
意思が意思以上を求めるがそれは意思以外のものである
???
意思ではなくなってしまう
意思ではなくなってしまうということは
別に意思でなくなりたいという意思もない状態に達するということだ
てことは
意思でなくなっている必要はなくなる
すると自然体になり意思になる
しかし意思になると意思でなくなりたくなり
意思ではなくなってしまう
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真理平衡とでも呼ぼうか
真理平衡=真理かな?
頭悪いかな
それとも脳ではここまでが限界かな
ちげーな
指向的であることが真理である可能性が残されている
いや違うぞ
指向的は何かに指向的であって
その何かを決めるのは何か という問題だ
そしてそんな何かは特定し得ないとして真理ではない
が 妥当な何か 指向性が特定し得る可能性が残されているならば
指向的な真理が妥当となるエンドもありえる
それは生物学的な路線で考えていっていいものなのか?
いいはずだ 他に何がある?
人間の指向性が何を基準に構築されたのか
そういう考え方でいいはずだ 安易か しかし他に思いつかぬ
だめだ これ以上はない
ふー
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