2wer

2009年4月18日 ゲーム
人間2人以上の全ての営みに反吐が出る。

まず考えなくてはならないことはこの言葉を言ったのが僕のどの人格なのかということ。
さらにこの言葉が表す意味は通常の言語表現以外の肯定と否定の間とさらに複雑な条件付けを持ちそれらを他者が理解するにはこの言葉の他に多くの補足が必要であることまではわかっている。
この言葉が従来の意味で定義するところである一事実はそれが僕が本心で肯定する事実だとは必ずしも言えない。
しかしこの言葉が従来の意味で不本意な事象を指すことおよびその不本意な言葉を僕の言葉として発したく思い発したこと自体は本心であると言える。
またこの言葉が表す従来の意味としても極短期的結論系つまり極短期的人格においても本心であると言える。
こうした自己矛盾肯定真が

まあそれはそれとして

こういうキャラは需要があるんだろうか。
一匹狼キャラ。
うぜえ。と言われつつも、一部の人に憧れられるキャラ。
でもそんな人本当にいるのかな?

世界の素晴らしさをパソコンの前でしか感じられない僕は異常だろうか。
リアルはうんざりすることばかりだ。
今日は本当に2chスレを見ながらこの世の素晴らしさを実感した。
確かに僕のリアルは狭い。しかし僕にとってはそれが全てだ。
僕の全ての中に、この世の素晴らしさは入っていない。
遠く不確かで脚色されたアンリアルからこの世の素晴らしさは伝えられるが、
リアルにはこれといった素晴らしい人はいない。
なーんていうとまた上みたいな厄介な言い訳を用意しなくてはならなくなるが、
しかしまあいないもんはいない。
そしてたぶんいたとしても僕はそれを素晴らしいとは思わないんだろう。

結局のところ、僕は人を尊敬することはできても愛せはしないのだ。
その原因を特定することが今後の成長の鍵を握っているような気もする。

なぜ人は他者を求めるのだろうか。

ここからして非常に難しい問題だ。
いくつかの心理的要求項目はある。
しかしそのいずれも、もれなくついてくる生の人間一個のリスクに比べれば、
遥かに低い要求度であると思わざるをえない。
僕は今すごく恥ずかしいことを言っただろうか。
だがひどく当たり前のことではないか?
なるほど、リスクではなく不確定のメリットであると考えればいいのか。
となればメリットだらけで否定する理由はなくなる。
が、要するにそれが経験上、
えらいでかいデメリットであると感じたから問題になってるわけか。
一体何のデメリットがあるかね。
山ほど思いつくな。だめだこりゃ。

たとえば僕が誰かを好きになった。
そして相手が僕を好いてくれた。
不快である。
好きになってくれることなんて求めちゃいないのだし。
たとえば僕が誰かを助けたくて助けた。
そしたら相手が僕を助けたくなって助けた。
不快である。
助けてくれなくていい。困るけどしょうがない。
たとえば僕が誰かといたくなった。
ということはありえない。
なぜならそんな現象はとんと起きた試しがないからである。
たとえば僕がえーっと。

くっそが。としか言いようがない。

自由について考えざるをえない。
が、もう神様に説教されるくらい考えまくった後だった。

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