脳みその深部へ行くのにある程度までなら音楽は役に立つが
それ以上はやはり邪魔で役に立たないとしか思えない。
もちろんそんなもの関係ないつもりでやるけど、
このゲームは三線以上向こうののりで基盤はつくるので
やはり音楽は入れないほうがいいのかなぁ・・・
いやそれとも音楽の可能性は無限大で力が足りないだけなのかしら。

僕がコンピューターゲームに見ている可能性というのは
実は面白いというものの範囲の中にあるものではない。
人という土台の対象がある以上、物事のあるべき可能性というのは
必ず制限される。ここで発想の転換から見てみると、
実はいわゆる面白くするための最低限のルールを一つ無視するごとに
ゲームでできることは増えていくのだ。

作りたいものと作ってる形が一致してないんだよな。
もう僕の中身は変わっちゃったんだ。
それなのに以前の好みと同じものを作ろうとして認識が食い違う。
形にすることが何か違うって感じがする。
照合の正否にすごく神経質になっていて
でも感性と創作物というのは極厳密には別物なのは当たり前なんだ。
意味付けやモチーフといったところでそれが意味そのものを
表現するのに足りていないのは明白だ。
創作物は創作物独立のそれでしかなく
それ以外の意味をもたせるなどただの茶番ではないか。
確かに創作物は意味を付加するがしかしそれは単純なものだ。
単純では足らなくなる時は来るし創作物は人の趣とは別の道へと進み始める。

どうでもいいけどネット活動始めた頃の理由って
特殊な部分をリアルから隠しておきたかったからなんだよなあ。
基本的にアピールとは無縁の活動なんだよ。忘れてたけど。

たまに誇ってる人とか見て思うけれど、なぜかわからないが
それが良いことであっても皆と自分が違うことにいつも負い目がある。
最先端を追っている時に、とんでもなくローカルな方たちに会うと
自分のやっていることをまとめて足げにして
一切気取られることなくローカルを絶対真として崇めなくてはならないと思ってしまう。
僕は気質が真面目な生徒だ。これではいけないと思う。
でも生徒に看破されて気落ちする教師の顔を見るのは死ぬほど嫌いなんだ。
何かで勝ることを誇る気にはどうしてもなれない。
そしてどうやらこの性質は他のと比べてもかなりのマイノリティーらしい。

死ねる・・・

延々と自分がいかに特別であるかを書き連ねた。
完全なる自己完結を打ち壊せるものなどない。
もはや祈ること以外にできることがあろうか?

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