思いつけ
思いつけ
思いつけ
何でもいいから思いつけ
とてもベストとはいえない
必ず甘さが残る
イメージは分業可能か
ゲームは数値に過ぎない
手品だからこそ表からの見え方に意味がある
ベストな自由度は保証できない
気づかれずにベストを引き下げる囲い込み
実際の広がり
アイデアと実装
出来レースとまとまりのない迷路
全体を見る目は必要か
リズム、モチベーション、データ作成、どの点においても役に立たない
ゲームはデータの塊、イメージで語ると痛い目にあう
プレイヤーから見て不足を感じない自由度はどの程度か

侘しきこと限りなし

何とかなるもんだ
初期装備を増やして言葉狩り
説明のあるなしが根底に作用している
つまり立て札のある山を登るのと
ない山を登るのでは全く意味が違う
説明のあるなしが存在意味を決定的に意味付ける
言葉で説明するというのは
ゲームでは最終最悪の手段だ
そして言葉は少なければ少ないほどいい
認識不足だったが
これは最も重要な事項の一つだ

ふと思うに
このスイッチで管理されるRPGというのは
ある意味人工知能と同じ程度は低いものの人工世界の一種なんじゃないだろうか
なぜ人工知能を作るのかという問いに答えられないように
僕はたぶんこれからも理由なくRPGは作り続ける気がする
では膨大なパラメータで動くRPGが上等かというとそうでもない
実際にそれは方程式の中で極めて精巧に動くだろうが
そこには致命的な例外というものが欠けている
例外であるほど強い影響力を持つというリアルの重要な原則を
致命的に実現できない
逆にいえば法則的ディテールが欠けていても
例外だけ実装されていれば"らしく"見えるのではないか
そういう意味ではスイッチ管理というのは
古典的と同時に非常に堅実であるといえるのかもしれない

なーーーー

でもやっぱり言葉狩れない罠。
やべえ、テキストにこだわりが生まれつつある。ブログかきすぎ。
元々ゲームはリアルとは完全に破綻してるんだから、
他メディアと同じ方法論じゃ洗練するほど破綻する。
つまり童話や神話、お約束の上で成り立つものとしか相容れない。
うむ、次機会があったらそのすり合わせを考えてみよう。
宮崎さんがアニメだからって無茶しすぎると絵が壊れるっていってたけど、
ゲームも壊れるよな。ぎりぎりの線だ。
まるっきりの嘘と異質な実感のぎりぎりの線。それがメインフィクション。

濡れ烏、濡れ色効果、干渉色、構造色、勉強になるわーさすが。

天は二物を与えず!地は二物を育てずううううう!!

言ってみたかっただけかい。

片手で棒切れ振り回しながら片手で鼻はかけるけど、
鼻の穴はほじれないんだよね。
両手の力み差の最大幅。というか鼻の穴ほじるのに
相当繊細な調整してることの方が感心したという。
そう考えると、猿が握力数百キロでうらやましかったけど、
でもその分、十分な段階を神経パルスで分けようとすると、
負担が高すぎたり、あるいは段階が不十分になってしまうだろう。
猿は握力が強い限り道具は使えない。
多けりゃいいってもんじゃなくて、繊細でなくちゃ意味がない。
し、範囲が広いほど繊細のコストは増大する。

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