うぐっはあはあ、だめだ・・・僕にはまだ
地霊殿をやる資格がないっ・・・!

あんがぐぐ。

アリストテレス好きじゃないけど、
寝なかったことだけは尊敬する。

5番目の窓が明るかったので電灯熱いか触ってみたけど、
よく考えたら7番目の部屋だったや。

でかい羽虫が二匹侵入するという珍事に七転八倒した。
あれです。虫と渡り合うの人には無理。ハチ最凶。
ええ、実は苦手なんです。

そこで吸盤型虫ほいほいを考案した。
太い棒状に吸盤状の小孔を無数につけ、
手元で棒内気圧の開閉を操作して自由に吸盤を外すことができる。
これを使えばトリモチのように空中で羽虫を採取しつつ、
外で簡単に開放できるのだ!!!!
頼む中松。

それをしてないとしみじみ感じてしまうもので、
いや、やめよう。

息苦しいなあ。

やるに足ることはまだまだたくさんあるけれど、
語るに足ることはいよいよ少ない。

作業ってのは淡々とやらないとぜんぜん能率上がらないけど、
それをしてないとしみじみ感じてしまうもので、
感情的な時間がないとそれをわざわざ求めてしまうくらい、
やっぱり人は感動好きなんだろう。
長いの作ってると、劇中ではそんな進まないからまだまだ激しい展開は来ないけど、
作ってる側からしたらうんざりするくらい平凡な時間が続く。

たぶんやっぱり大人になっていくんだろうと思う。
みっともないことでも、"大人としての"みっともないことを
するようになるんだろう。目に浮かぶ。

枠っていうのがあって、たとえば異常行動でも
生物学者のフィールドワークですとか、
舞台の練習なんですとか言えば社会内で枠のある行動として認知される。
枠を被せれば、異常な人と言われなくてすむ。
でもこの枠というのはすごく達成感がなくて、たまにすごく嫉妬する。
一人でやったら異常で、プロジェクトとして運営してコストと利益という
言葉をつけてやれば普通になる。
片足で走っていたら変人だが、ジョギングしてる人は普通の人で、
犬をペットにするのは普通で、犬のペットになったら狂人。
何が違うってんだ。
何の意味もなく走ったり、家の中に動物閉じ込めるとか、変じゃん。

よく考えてみれば彼も20歳くらいじゃん。
かたや危ういほど自信満々でしかも学ぶことにためらいがない。
かたや危ういほど悲観思考でけれどある種の自分感性主義。
全く違うようでどちらも豊かなゲームを作る。
似ているようで異なっているのか、異なっているようで似ているのか。
面白いな。ある意味ではどっちも、言ってることとやってることが逆だ。
創作者の虚勢というものなのかしら。

だよねえ。学ぼう学ぼうという人は、実は自分のやり方に執着が強い。
俺は俺のやり方でやるって人は、意外とうまく他人のやり方を取り入れちゃう。
気がするよ。

もう少し根性があれば、この駄作とか、
こんの駄作がーーーー!!とかいってぶっ壊せるのだろうけど・・・

一瞬で衝動を形にできる手段は常に手元に置いとくべきなんだよな。
実作業ばっかり追ってると手足のように使えるツールはなくなっていく。

絶対的に面白いゲームとか考えると決まってろくなことがない。
でも、なんでも鑑定団とか見てると、
やっぱり偉い人は最高傑作とかいうのもちゃんと作ってたりするんだよなあ。
新しい技法とか、本当にいいと思える形で実現しちゃってるんだもん。
だいたい失敗するよね。新しい着眼点って。ふー
ぶー

ただこれを完成させたとき、本当に満足できるかっていう自信がないのよね。

わっかんないんだよなぁ。
これがなぜつまらないかより、
これの元ネタがなぜ面白かったのかがわからん。
RPGってのはデリケート過ぎる。

タクティカルな調整というのは自由度が高くなるほど現実的には不可能になる。
ただ逆に成長要素は抑えざるをえない面もある。
前者はストーリー的RPGでうまく消化される。
後者はシナリオ的RPGで相性がいい。
どんぶり調整になる分、フラグ的に扱いやすくなる。
むしろ自由度の高い状態で強敵に出会った場合、
強さが足りないのか、弱点があるのかプレーヤーは混乱する。
ある程度は戦略性は低いことが望ましい。
ああだめ・・・いくら自分をなだめてもだめなもんはだめだわ・・・

コメント