狂いの森の熊ゴーランド
2008年9月17日 ゲームこれはこれで楽しいのだけど、
ゲーム分が薄い。ああ薄い。
設定とか台詞もいいけどやっぱり
ゲーム的ど濃さで悩みたいっていうのが本音。
薄まっちゃうんだよなー
これはもう1ページ使ってでかでかとメモったんだけど、
ボリュームはゲームでないモードの所に足すと、
全体の手触りが崩壊するんだと思う。
つまりゲームしてる間に喋らせないと駄目。
ゲームの間にあるフェイズで演出を増やしていくと
重要度が壊れちゃって、なんか違和感が出てくる。
といいつつうまくできーん。
そもそもゲームになってねえ。
やっぱだめだ。と、いうのはもう何度目か。
でもRPG的にはそれほど間違ってもないんだよなあ。
ゲーム作法で言いたいことは山ほどあるけど、まあいい。
リアルっぽさを削りたい。
それによってゲーム的面白さの濃縮が可能になる。
でもその分、風情がなくなる。
ここらへんは性別で好みの別れるところだけど、
いわゆる一流の方向性ってのは風情あるリアルって感じ。
ゲーム化された中でぽっと出るリアルさは好き。
このへんのさじ加減かー・・・
語りすぎはくどい。
設定はアイテム名で。
キャラ立ては性能で。町は売り物で。
古い言い回しだが至言だ。ゲームをやってる間はゲーム脳でいい。
何より手間がかかる。
ゲームはキャパシティがでかい分、
他媒体の主成分と張り合ったら当然考慮する範囲がおっつかなくなる。
基本を守ってこそ力のある老舗になりうる。
数値やら組み替えは得意だが、
筋の通った有機的表現はゲームには向かない。
要するに邪魔されたくないわけだ。
ゲームの構築にうだうだかったるい小話が邪魔になるのは面白くない。
ゲームの構成こそ最優先。調整こそ工芸。邪魔。
うーん。うーん。うーん。
移行の手際っていうのか。
うまく演出とゲームをきっちり切り替えられればいいんだよなぁ。
変に混ぜると手間がかかるし、ぼやける。
でもそうしてゲームとバックグラウンドの乖離が進行した。
それもそのはずで、やっぱりゲームは悪くいって動詞でしかなく、
所詮立ち位置的には動詞を超える表現にはなりえない。
動詞としての面白さと動詞を超えた範囲でのカタルシス、
その両方を求められるという矛盾が根底にある。
ちょwセンスオブワンダーナイトまじですかwww
文化の腐り方っていうんだろうか。
独裁国家特集見てたのだけど、情報化未発達の人たちって素朴。
という見方は間違っていて、
文化の腐り方ってのは原因と結果の共有認識によって起こる。と考えられる。
面白スレでアンチ荒らしができる過程でもいいが、
ちょっと前のプンゲスレの突撃の流れでもいい。
最初に起こった原因と結果が、住人に共有認識されることで
次にはより早く原因から結果へと移行する。
このとき似ている事柄もひっくるめて、結果へ結びつける流れが生まれる。
これを文化の腐れといっていいだろう。
あるいは政治的判断についても、これがこうあれば、
こうするのは当たり前だ。という意思決定をして一般人に馬鹿にされる。
これが一人でやっていれば、ただの思い込みだけれど、
その範囲全体がそのお約束を認識してしまうと、文化の腐れが始まる。
あるいはいじめもそうで、昔からあったのは確かかもしれないが、
いじめという概念が広く認識されることで、
その流れを一辺倒に約束化する腐敗が見られる。
これを文明の感性の発達と捉える考え方もあると思うが、
なぜかこの腐敗は悪意を持つ方向へ進む性質がある気がする。
これはまた安易な売れ筋への迎合にもいえる。
真剣なマーケティングというのはすごいもんだ。
が文化の腐敗としての成功例の約束化は、
ただの欲ぼけの妄想でしかない。
皮肉的な見方に陥りやすい者ほどこの腐敗を簡単に受け入れる。
腐った文化は正直もううんざりだ。
田舎者なんて概念も都市部の共有があってこそ生まれる。
さっぱり醜い部分しか見えないなあ・・・
約束化か。文化の腐敗。ゲーム分野でもだなあ。
定住者があるものには全て起こるか。
約束化。
斬新なゲームというのもだいぶ約束化されつつある。
残念ながら企画として説得力を持つようになるのは、約束化がされてからだ。
約束化をどう解きほぐすか。
頭を柔らかくしろ。
なんていえたらどんなに楽だろうなあ。ねえ、もしもし。
ある意味、企画主義や議会政治なんかも約束化の典型みたいなもんだ。
悪意のある人間ばかり寄ってくるから、
一定期間で腐敗の泥沼になる。
反対に独裁というのは反約束化の唯一解じゃないのか。
人さえ入れ替わっちゃえばいいんだけど、
この手の人間がまず始めにやるのが保身だから難しいところか。
死ぬまでに地球大団円仕様書書いてみたいなあ。
ゲーム分が薄い。ああ薄い。
設定とか台詞もいいけどやっぱり
ゲーム的ど濃さで悩みたいっていうのが本音。
薄まっちゃうんだよなー
これはもう1ページ使ってでかでかとメモったんだけど、
ボリュームはゲームでないモードの所に足すと、
全体の手触りが崩壊するんだと思う。
つまりゲームしてる間に喋らせないと駄目。
ゲームの間にあるフェイズで演出を増やしていくと
重要度が壊れちゃって、なんか違和感が出てくる。
といいつつうまくできーん。
そもそもゲームになってねえ。
やっぱだめだ。と、いうのはもう何度目か。
でもRPG的にはそれほど間違ってもないんだよなあ。
ゲーム作法で言いたいことは山ほどあるけど、まあいい。
リアルっぽさを削りたい。
それによってゲーム的面白さの濃縮が可能になる。
でもその分、風情がなくなる。
ここらへんは性別で好みの別れるところだけど、
いわゆる一流の方向性ってのは風情あるリアルって感じ。
ゲーム化された中でぽっと出るリアルさは好き。
このへんのさじ加減かー・・・
語りすぎはくどい。
設定はアイテム名で。
キャラ立ては性能で。町は売り物で。
古い言い回しだが至言だ。ゲームをやってる間はゲーム脳でいい。
何より手間がかかる。
ゲームはキャパシティがでかい分、
他媒体の主成分と張り合ったら当然考慮する範囲がおっつかなくなる。
基本を守ってこそ力のある老舗になりうる。
数値やら組み替えは得意だが、
筋の通った有機的表現はゲームには向かない。
要するに邪魔されたくないわけだ。
ゲームの構築にうだうだかったるい小話が邪魔になるのは面白くない。
ゲームの構成こそ最優先。調整こそ工芸。邪魔。
うーん。うーん。うーん。
移行の手際っていうのか。
うまく演出とゲームをきっちり切り替えられればいいんだよなぁ。
変に混ぜると手間がかかるし、ぼやける。
でもそうしてゲームとバックグラウンドの乖離が進行した。
それもそのはずで、やっぱりゲームは悪くいって動詞でしかなく、
所詮立ち位置的には動詞を超える表現にはなりえない。
動詞としての面白さと動詞を超えた範囲でのカタルシス、
その両方を求められるという矛盾が根底にある。
ちょwセンスオブワンダーナイトまじですかwww
文化の腐り方っていうんだろうか。
独裁国家特集見てたのだけど、情報化未発達の人たちって素朴。
という見方は間違っていて、
文化の腐り方ってのは原因と結果の共有認識によって起こる。と考えられる。
面白スレでアンチ荒らしができる過程でもいいが、
ちょっと前のプンゲスレの突撃の流れでもいい。
最初に起こった原因と結果が、住人に共有認識されることで
次にはより早く原因から結果へと移行する。
このとき似ている事柄もひっくるめて、結果へ結びつける流れが生まれる。
これを文化の腐れといっていいだろう。
あるいは政治的判断についても、これがこうあれば、
こうするのは当たり前だ。という意思決定をして一般人に馬鹿にされる。
これが一人でやっていれば、ただの思い込みだけれど、
その範囲全体がそのお約束を認識してしまうと、文化の腐れが始まる。
あるいはいじめもそうで、昔からあったのは確かかもしれないが、
いじめという概念が広く認識されることで、
その流れを一辺倒に約束化する腐敗が見られる。
これを文明の感性の発達と捉える考え方もあると思うが、
なぜかこの腐敗は悪意を持つ方向へ進む性質がある気がする。
これはまた安易な売れ筋への迎合にもいえる。
真剣なマーケティングというのはすごいもんだ。
が文化の腐敗としての成功例の約束化は、
ただの欲ぼけの妄想でしかない。
皮肉的な見方に陥りやすい者ほどこの腐敗を簡単に受け入れる。
腐った文化は正直もううんざりだ。
田舎者なんて概念も都市部の共有があってこそ生まれる。
さっぱり醜い部分しか見えないなあ・・・
約束化か。文化の腐敗。ゲーム分野でもだなあ。
定住者があるものには全て起こるか。
約束化。
斬新なゲームというのもだいぶ約束化されつつある。
残念ながら企画として説得力を持つようになるのは、約束化がされてからだ。
約束化をどう解きほぐすか。
頭を柔らかくしろ。
なんていえたらどんなに楽だろうなあ。ねえ、もしもし。
ある意味、企画主義や議会政治なんかも約束化の典型みたいなもんだ。
悪意のある人間ばかり寄ってくるから、
一定期間で腐敗の泥沼になる。
反対に独裁というのは反約束化の唯一解じゃないのか。
人さえ入れ替わっちゃえばいいんだけど、
この手の人間がまず始めにやるのが保身だから難しいところか。
死ぬまでに地球大団円仕様書書いてみたいなあ。
コメント