Alc.6%

2008年9月1日
ホタテうめえ

先輩うめえ

ピーナッツうめえ

チョコ?
いやいや時代はピーナッツで神経伝達物質補給なのだよ

どーも疲れがとれないと思ってたら休息はゲーム作りでした
休め休め

ふとたまーに考え中のタイトルで検索したら
作り終えたゲームの仕様書がひっかかったりしないかな〜
とか思ったりします
ふと!ふとだから!

やぱジツリキが問われるのは中盤か・・・

プ、プログラムのしかた忘れた・・・

くしくも絵一枚の価値を高めようとしていくと
逆に絵としての配分が減っていく、という現象が起こる
これは全てのメディアに当てはまることで、
つまり一作品が含む要素の割合が
人間を構成する要素の割合に近づいていくために
表現媒体自体の性質の比率が下がってゆくのだ
それがいいことか悪いことなのかは本当にわからない
わからないことばっかりですな

リンの冒険いいよね

あーゲームしてねえなぁ〜

ごく端的に面白かったゲームの体験を振り返るなら、
やってない時にもキャラの台詞が思い出されるRPGは面白い
やってない時にゲーム画面がフラッシュバックするアクションゲームは面白い
素直に客観的に思い出せばこの二点だ
RPGはキャラに惚れてこそ稼ぎが面白い
アクションは動的なゲーム性の緊張感が本能的興奮を引き起こしてくれる
ほとんどこの二点しか開拓できていない
抽象化の高いゲームに入れ込めないのはやっぱ頭が原始人よりだからかなぁ

しかしゲームで本格的なシナリオ立てるのは相当めんどい
いや音楽とシステム的演出で普通は事足りる
ゲームのグラフィックというのは要するに友人の面なのだ
慣れ親しんだら取替えはできないし、
キレイだからよいというわけでもない
ドット絵は我々の幼なじみというだけのことなのだ

この前ひさしぶりに頭に木刀ぶつけたら非常に痛かった
この顔の骨の出たとこはめちゃくちゃ痛い
こんなもん普通の速度でもどっかに当たったら即戦意喪失だわ
一体剣術とは何の役に立ち、どれだけの効果があるのだろう
武力武力といっても役に立つ場面は少ない
そもそも役に立つというのも幻想のようなイメージだ
役に立つと信じられているものが、
果たして実際にどの程度役に立つものなのか・・・

力というものは枠を壊してしまう
極論すれば枠を壊さないものは処世術なんだ
力は枠を壊すためにある
枠とはルールであり、ゲームだ
処世術はある段階からゲームのあり方そのものを変えてしまう
力というものになる時がある
その多くは暴走だ
しかし望んで力がふるわれる時もある

こいつはおとなしそうだとかいいながら、
同じ大きさになったら僕をバリバリと食うに違いない
どんなトリックを使っても虫と意思疎通するのは無理だ

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僕はどこに立っているんだ
昔よりずっと人の心がわからなくなった
それはきっと僕が感じるのが精一杯で余裕がないからなんだと思う
人は不平等だ
激しく思う
フィクションの居心地がいいのはなぜか
全員が同じ知的レベルにいるからだ
ステージの同じ世界で生きているから、
根源的には全てのキャラクターが繋がり合っている
作者という基盤を通して
争いや相互不理解がなぜ起こるかといえば
それは論理的破綻ではなく
思考性質的破綻に起因しているのだ

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