華麗に10teg

2008年7月25日
芸術は学習です。

集中するとは自分の重心をとることをいうらしい。
どんな体勢であっても重心はあって、
それを完全静止させようとするとき、清涼な集中感が得られる。

この著者は愛について性欲、恋愛感情、愛着の三つの配分によって
多面性を得ているに過ぎないというがそれは間違いだ。
色を三原色の組み合わせに過ぎないといって境地に達せた芸術家はいない。

もっともっとコンディションは高められる。
飯を食うときにテレビはつけないほうがよいらしい。
料理をよく見ることになるし、味も変わる。

無心の状態と眠気を催している状態が似ていて難しい。

ニュートラルな状態とただ単にすでにできた神経が
活性化している状態との違いも難しい。
慣れによって滑らかな重心移動をするのと、
ニュートラルな状態で動物的本能で滑らかな重心移動をするのとは、
やはり違う。
ニュートラルな状態は新しい世界で動いていて、
空間の座標が新鮮に感じる。
体術としての動作は座標を想定した心眼を基盤としている。
これはとてもつまらない。

芸術は学習で、それが人の手の媒介を必要とするのは、
自然のままだと無意識の部分で加工されて、
もう大人には学習の必要がないほど扱いなれた情報になってしまうからだ。
自然景観や自然音、自然造形に手を加えることで、
それまでのフィルタをずらし、不適合な情報を意識レベルに与えること、
その学習によって充実を与えうるものを芸術と呼ぶ。

習慣としてやることと、やりたくてやることとはやっぱり違う。
これがまたすごく似ていて難しい。
止まった状態から動こうとするとき、
動いている状態から止まろうとするとき、
止まったままの状態でいようとするとき、
動き続けようとするとき、
それが果たして習慣なのかそうしたいのか判断するのは難しい。
しかし確実に違うようだ。
習慣でないとき、それはニュートラルで、
脳に新しい情報が入ってくる。
閉塞感が消えて、無限の可能性を肌で感じるのだ。
しかし違いを見極めるのは難しい。

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