濁った毎日
2008年7月14日
最近の認識の変化
○ゆうき先生
なんか馬の漫画描いてた人→只者ではないロリ技巧保持者
○ロサンゼルス
明智警視の故郷→コスプレイヤーの町
○さかなくん
ホモ→賢者
この世の理をつかさどる唯一の最終原理とはようするに当たり判定のことであるが、
ロリータのあのじっとりとしたうよ〜んとした犯罪的エロスはもはや犯罪だよね。
然り。
結局人間何をしてても何かは上手くなるのだよね。
はー
そういやゲドは二巻まで読んでたんだった。
やったことが心の栄養にならないって凄い違いだわこれ。
すごいものを素直にすごいといえるようにあろう。
それができない人間は実際には、
すごいものも心底大したものでないように感じる人間に育つ。
奇麗事だ。それも人間的立ち位置の違いでしかないし。
他人に対して俗悪的な妄想を抱く人間。
例えばそれが結果的に利己的な結果となった行動を見た時の反応では、
必ず利己心によって行動したのだと見なす人間。
例えば偶然に成立した皮肉を、自分に向けられた悪意と激しく信じる人間。
自分が非難されるようなことをしてしまったら、
間違いなく全員が自分を心の中で非難していると怯えて怒る人間。
でもここで一つ世界の事実を明らかにすると、
実に人類の半分は、
自分の利益のための計画なんかぜんぜん考えず、
誰かを皮肉ろうなんて夢にも思わず、
大抵の他人の非行はどうやったらうまくフォローできるかを
まず考えるような人たちです。
信じられないかもしれませんが、それが世界の実態です。
つまり立ち位置の色眼鏡はそれほど強力だということですね。
この世の絶対的究極の価値基準について考えぬ日は少なくありません。
しかし特に最近よく考えることがあります。
実際と心についてです。
と思ったら感情論の帰結そのままじゃないか。
どんどん馬鹿になる。
解決したはずの感情にのまれて。
なにかもう一つ発展理論があったはずだけど思い出せない。
いやあれは小賢しい理論だ。原始的感情はもっと強い。
いろんなものが繋がっていく。
体系的に理解しないと次からはもう思い出せない気がする。
大人はやることが多い。
日々活性化するからこそ得られる万能の力というものはある。
なぜこんな無駄なことをするんだろう。
それこそ何をやってもそれは上手くなる。
それが何になるというのか。
本来の成すべき仕事の役に立つのか?
脳の宇宙の迷子じゃないか。
しかし思い出したくなかった。
ああずっと、絵だけ描いていられればいいのに。
ゲームだけ作っていられればいいのに。
音楽だけ作っていられればいいのに。
一般的建設的にだけ生きていられればいいのに。
物理的継続性などどうでもよく、
それで全てが得られるのならばどれにだってしたさ。
しかしどれも、それだけで全ては得られない。
けどもう限界だ。所詮一平凡人にはあまりにも勝ち過ぎる荷。
たぶんだけど、歴史上偉人と呼ばれる人たちは、
誰もが最終的に目指したものの何十分の一にしか
到達できなかったんじゃないだろうか。
アインシュタインは高々量子論の真相を求めて
科学に取り組んだわけじゃないだろう。
エジプトにピラミッドを立てた男ですら、
本当に求めていたものとは天地の差があったに違いない。
みなたまたま途中のものを他者が賞賛したに過ぎない。
その何十倍もの目的地を目指したがゆえに記録され、
何十倍ゆえに現実的にけして得られることはなかった。
だっからテイルズのキャラデザ線細すぎるってwww
原画何センチあるんだよwwwww
ってこの人か!描いてる絵全部好きだけど、
同一人物とは全然思ったことなかった。なんでだろう。
○ゆうき先生
なんか馬の漫画描いてた人→只者ではないロリ技巧保持者
○ロサンゼルス
明智警視の故郷→コスプレイヤーの町
○さかなくん
ホモ→賢者
この世の理をつかさどる唯一の最終原理とはようするに当たり判定のことであるが、
ロリータのあのじっとりとしたうよ〜んとした犯罪的エロスはもはや犯罪だよね。
然り。
結局人間何をしてても何かは上手くなるのだよね。
はー
そういやゲドは二巻まで読んでたんだった。
やったことが心の栄養にならないって凄い違いだわこれ。
すごいものを素直にすごいといえるようにあろう。
それができない人間は実際には、
すごいものも心底大したものでないように感じる人間に育つ。
奇麗事だ。それも人間的立ち位置の違いでしかないし。
他人に対して俗悪的な妄想を抱く人間。
例えばそれが結果的に利己的な結果となった行動を見た時の反応では、
必ず利己心によって行動したのだと見なす人間。
例えば偶然に成立した皮肉を、自分に向けられた悪意と激しく信じる人間。
自分が非難されるようなことをしてしまったら、
間違いなく全員が自分を心の中で非難していると怯えて怒る人間。
でもここで一つ世界の事実を明らかにすると、
実に人類の半分は、
自分の利益のための計画なんかぜんぜん考えず、
誰かを皮肉ろうなんて夢にも思わず、
大抵の他人の非行はどうやったらうまくフォローできるかを
まず考えるような人たちです。
信じられないかもしれませんが、それが世界の実態です。
つまり立ち位置の色眼鏡はそれほど強力だということですね。
この世の絶対的究極の価値基準について考えぬ日は少なくありません。
しかし特に最近よく考えることがあります。
実際と心についてです。
と思ったら感情論の帰結そのままじゃないか。
どんどん馬鹿になる。
解決したはずの感情にのまれて。
なにかもう一つ発展理論があったはずだけど思い出せない。
いやあれは小賢しい理論だ。原始的感情はもっと強い。
いろんなものが繋がっていく。
体系的に理解しないと次からはもう思い出せない気がする。
大人はやることが多い。
日々活性化するからこそ得られる万能の力というものはある。
なぜこんな無駄なことをするんだろう。
それこそ何をやってもそれは上手くなる。
それが何になるというのか。
本来の成すべき仕事の役に立つのか?
脳の宇宙の迷子じゃないか。
しかし思い出したくなかった。
ああずっと、絵だけ描いていられればいいのに。
ゲームだけ作っていられればいいのに。
音楽だけ作っていられればいいのに。
一般的建設的にだけ生きていられればいいのに。
物理的継続性などどうでもよく、
それで全てが得られるのならばどれにだってしたさ。
しかしどれも、それだけで全ては得られない。
けどもう限界だ。所詮一平凡人にはあまりにも勝ち過ぎる荷。
たぶんだけど、歴史上偉人と呼ばれる人たちは、
誰もが最終的に目指したものの何十分の一にしか
到達できなかったんじゃないだろうか。
アインシュタインは高々量子論の真相を求めて
科学に取り組んだわけじゃないだろう。
エジプトにピラミッドを立てた男ですら、
本当に求めていたものとは天地の差があったに違いない。
みなたまたま途中のものを他者が賞賛したに過ぎない。
その何十倍もの目的地を目指したがゆえに記録され、
何十倍ゆえに現実的にけして得られることはなかった。
だっからテイルズのキャラデザ線細すぎるってwww
原画何センチあるんだよwwwww
ってこの人か!描いてる絵全部好きだけど、
同一人物とは全然思ったことなかった。なんでだろう。
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