なるほどやはり音楽解析というかリズム認識は
前頭葉で行われていたのか。
つまるところ意識のくらましではないか。
さあミュージシャンたちよ、殺しにやって来い^ー!!

科学者は妄想する。
よいよい、こういう本を子供たちには読んでもらいたいなあ。

はははははははははははははははははまはははははは

困苦というものにも程度がある。
1があれば2も3も、100もある。
特に一方的に力がふるえる立場にある者ほど、
歩み寄りを装い、100を1で買い叩き、
思い上がりにも甚だしく逆に説きいさめるが如く柔腰で語る。
死に腐れ。100の困憊がどんなにお前たちを憎むか思い知るがいい。

なんてことを考えたりするのかなあ。

経験を軽視する。
それが一般的に誤愚とされるのは、表面だけで勘定して、
中身の伴わない馬鹿がたくさんいるからだろう。
そして実際にエリートと呼ばれる人種には、
そんな輩がごろごろといる。
人は力を持つほど馬鹿になる。
これは我が絶対教義の一つである。
下のまま上に行くことはできないのだ。
そんな都合のいいことはできない。
上にいるのならあなたはもう馬鹿なのだ。
惜しければ降りてくるしかない。
さようなら、馬鹿の人。

うっ  っ   っ     っ

にょー ー ー     ー   ー     ん

いゃー、いちごヨーグルトうまいなぁー
でもまだ食べてないんだよな。
こんなにもう食べてる体感がリアルに浮かべられるのに、
わざわざ実際に食べる必要があるとすれば
やっぱり食料摂取という意味しかないのだろうか?
それとも他に意味はあるのかな。

いずれこの脳は機能を失って朽ちる。
悲観する気はない。
けどたまに、というかかなり久しぶりに、
焦燥感がつのる。ここでこんな事をしていていいのか。
よくないなら何をすればいい。
するべきことなど見つかる可能性はあるのか。
宇宙は広い。その宇宙をほんの一部として、
宇宙の宇宙乗、宇宙分の連結、その組み合わせの実体、
などという新しい実証理論が現れたとしたら、
人が思い描く世界の実像はより広がったといえるだろうか。
言えはしないだろう。実際にはいくつかの指標が、
世界の果てを基準に等間隔に再配置されるだけだ。
つまり現状ですら把握しているとは言いがたい。
理解には解像度がある。そして解像度の密度と
価値観の組み立てには常に等しい関係式が適用される。
その指標が"何に刺さっているか"は人間の認識に影響を与えない。
疲れたな・・・
おっと頭で考え過ぎだなんていうなよ。
そんなアドバイスが気休めになるのは小学生までだぜ。

ちーん                            こ

これ面白くないなあ・・・
でもやっちゃうのはやっぱ変比率スケジュールだからか。
まったく壮大な習作乙ですよもう。
さっさと次作りたいのにー

100倍時間かけたからって100倍面白くしようなんて
気負う必要ないない。せいぜい2倍程度。
過去の脳と現在の脳ももちろん合体はしななーいのさ。

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