マーハコモキソ
2008年6月9日頭が重いでござる。
ショウジョウバエの一生と人の一生の違いを考えた。
生まれて生んで死んでるだけに見える。
人はいろいろ考えてるはずだけど、本当に考えてるんだろうか。
もっと遠い視点から見たら、生まれて生んで死ぬ
とてもシンプルな群体に過ぎないのでは。
この小さい脳みそに全部詰まってるなんて信じられない。
体がだるい。
僕は僕を制御できているだろうか。
時間を越えた意志に従うことがなくなった。
過去の自分に縛られない自由を得たと思っていたが、
果たしてそれで自分を自分で制御できているといえるだろうか。
ただ行き当たりばったりになっただけともいえる。
これは危険なことでは?
やたらモテる夢を見た。
いろいろ混ざっとる。
まあでも
いや、やめとこう。
どうも自分の駄目っぷりに対する感覚が麻痺しつつある。
長期的ビジョンってものが絶無だ。
計画的に目的を達そうとする意欲が0に近い。
気づかないうちに精神を蝕まれていたのだろうか。
数回なら壊れても治るが、
数十回も壊れたら治しても元通りとはいかない気がする。
確かに打たない鉄は弱い。
だが打ちすぎた鉄というのもまたもろい。
頭が重いでござる。
そう以前AMラジオで聞いて印象的で覚えてるのだけど、
なんかこうギリギリになると生死の踏ん張りみたいな
すごい力が出るけど、そういうのに頼ってたら駄目だよねっていう話。
がーん、僕は日常的にその力使ってたよ・・・
とショックであった。今は使ってない。
というか、なんでそこまで命がけだったのか思い出せなくなってしまった。
ただ、ものすごく何でもないことを命がけでやってた気がする。
他の人が普通に頑張るくらいのことが、
命がけでやらないとついていけなかった。
何が僕の心を壊したか。
もしかしたら命がけでやらなくてもいいよという、
文明社会が発する囁きかけだったのかもしれない。
命をかけなくてもいいと言われたら、もはや生きる理由がない。
わからん。
確かに世界は複雑だ?
違うね、価値分配を引き下げて要素数を稼いでるに過ぎない。
サル山の話を覚えていますか?MMスケールです。
モンキーマウンテンスケールですよ。
人間が見ることのできる世界観がもつ価値観の最小単位の
その最大数は決まっている。
世界はただ複雑にだけなったんじゃない。
複雑になった分、その全てが取るに足らないほど
どうでもよくなっていったんだ。
あまりにも多くのものに価値を振り分けすぎて、
浅く
いや違う。
違うのはわかってるんだ。
そりゃ僕の都合だ。
はぁ・・・
初夏の森は生命力に満ち溢れている。
鳥の声も多いだけでなく、種類も豊富だ。
草は日に日に生い茂る。
虫も盛んに飛び交い始める。
冬の景色を思い出せばその対比はより一層鮮明になる。
森はいい。中でも一番気に入っているのは、
強い風の日に木々の葉と枝が奏でる音楽である。
僕はこれ以上美しい音楽をいまだ知らない。
冷静になって考えてみれば、エネルギー問題の解決によって
解決する問題などほんのわずかしかないのだ。
多くは資本格差による分配不全に起因する。
諸悪の根源がより人間の性質に根ざしていると明らかになるだけだろう。
いやもはや世界を語るべきではない。
世界を征服する気でもない限り、世界を語るなんて無意味だ。
やりようはあるわな。
例えば一冊本でも残しておけば、
それによって将来の世界運営を支配することは
必ずしも不可能じゃない。
くだらん。
所詮、ショウジョウバエだ。
ゴミ袋の中でいくら繁殖しても、
太陽系の終わりには全て燃え尽きる。
しかしだ、実際問題おぼろ月の美しさを知っている剣士と
知らない剣士なら、どちらがより
鍛錬の道中でぶつかる困難に、
盲目的に剣の価値を信じて突き進めると思う。
多くの価値を知るということは、
それだけ不純になることでもある。
それは確かに一つの事実なのだ。
ナイフ規制とか正気か?
本当にこの人たち犯人がどうしてこんなことしたか分かってないの?
なら貴方たちが犯人と同じ状態になったとき、
自制できない可能性が極めて高い。危険だ。
いろんなことがどうでもよくなっていく。
一つ宣言しておきたいのは、こうなってしまったのではなく、
こうなるよう選んでこうなったということだ。
だからどんなに気に入らなくても、不満が外に向くことはない。
やめようと思えばいつでもやめられる。
これを続けてるのは僕の意志だ。
いろんなことがどうでもよくなっていく。
20?ほどのビニルボールで遊んでいたら、
掃除機に当たって僕のほうに跳ね返ってきた。
びっくりして僕は目をつぶり、引けた腰で両手を前にバタバタさせた。
この情けなさは、情けなさ過ぎて長期記憶化するほどである。
鈍りに鈍った僕の体は、物理的な刺激に正直に萎縮する。
それでも、もはやそれを鍛えたいとか向上させたいとか、
そういう風な心が動かないのである。
どうでもよくなってしまった。
大したことではなくなってしまったのだ。
肉体や経験を無視して、精神だけが飛躍してしまっている。
そういうことは以前にもあった。
そしてそれが本当に肉体や経験に通用し凌駕するのか、
試したりもした。
結論として、僕の精神は錯誤していなかった。
肉体や経験など、精神の前ではそよ風のようなものなのだ。
こんの外道が!
僕は僕を救出する為に
ありとあらゆる秘術をかき集めてきたつもりだ。
なのにちっとも楽にならない。
まして他の人なら、
どうして正気を保てるのか不思議なくらいだ。
無力だ。
小さいときに医者になりたいと感じる、
そんなときに感じるたぐいの無力感。
はっきりいって僕は異常なほど悩んだ。
だから他の人が悩んで苦しんでいるのを見ると、
その先に先にまだまだまだまだ悩みがあって
もっともっと苦しむことが分かる。
それが僕にとっては何よりの絶望だ。
そしてその終わりもいまだに見えない。
天子様ギンギンくると思ったらリア幼かよ!
人としてオワットル
ショウジョウバエの一生と人の一生の違いを考えた。
生まれて生んで死んでるだけに見える。
人はいろいろ考えてるはずだけど、本当に考えてるんだろうか。
もっと遠い視点から見たら、生まれて生んで死ぬ
とてもシンプルな群体に過ぎないのでは。
この小さい脳みそに全部詰まってるなんて信じられない。
体がだるい。
僕は僕を制御できているだろうか。
時間を越えた意志に従うことがなくなった。
過去の自分に縛られない自由を得たと思っていたが、
果たしてそれで自分を自分で制御できているといえるだろうか。
ただ行き当たりばったりになっただけともいえる。
これは危険なことでは?
やたらモテる夢を見た。
いろいろ混ざっとる。
まあでも
いや、やめとこう。
どうも自分の駄目っぷりに対する感覚が麻痺しつつある。
長期的ビジョンってものが絶無だ。
計画的に目的を達そうとする意欲が0に近い。
気づかないうちに精神を蝕まれていたのだろうか。
数回なら壊れても治るが、
数十回も壊れたら治しても元通りとはいかない気がする。
確かに打たない鉄は弱い。
だが打ちすぎた鉄というのもまたもろい。
頭が重いでござる。
そう以前AMラジオで聞いて印象的で覚えてるのだけど、
なんかこうギリギリになると生死の踏ん張りみたいな
すごい力が出るけど、そういうのに頼ってたら駄目だよねっていう話。
がーん、僕は日常的にその力使ってたよ・・・
とショックであった。今は使ってない。
というか、なんでそこまで命がけだったのか思い出せなくなってしまった。
ただ、ものすごく何でもないことを命がけでやってた気がする。
他の人が普通に頑張るくらいのことが、
命がけでやらないとついていけなかった。
何が僕の心を壊したか。
もしかしたら命がけでやらなくてもいいよという、
文明社会が発する囁きかけだったのかもしれない。
命をかけなくてもいいと言われたら、もはや生きる理由がない。
わからん。
確かに世界は複雑だ?
違うね、価値分配を引き下げて要素数を稼いでるに過ぎない。
サル山の話を覚えていますか?MMスケールです。
モンキーマウンテンスケールですよ。
人間が見ることのできる世界観がもつ価値観の最小単位の
その最大数は決まっている。
世界はただ複雑にだけなったんじゃない。
複雑になった分、その全てが取るに足らないほど
どうでもよくなっていったんだ。
あまりにも多くのものに価値を振り分けすぎて、
浅く
いや違う。
違うのはわかってるんだ。
そりゃ僕の都合だ。
はぁ・・・
初夏の森は生命力に満ち溢れている。
鳥の声も多いだけでなく、種類も豊富だ。
草は日に日に生い茂る。
虫も盛んに飛び交い始める。
冬の景色を思い出せばその対比はより一層鮮明になる。
森はいい。中でも一番気に入っているのは、
強い風の日に木々の葉と枝が奏でる音楽である。
僕はこれ以上美しい音楽をいまだ知らない。
冷静になって考えてみれば、エネルギー問題の解決によって
解決する問題などほんのわずかしかないのだ。
多くは資本格差による分配不全に起因する。
諸悪の根源がより人間の性質に根ざしていると明らかになるだけだろう。
いやもはや世界を語るべきではない。
世界を征服する気でもない限り、世界を語るなんて無意味だ。
やりようはあるわな。
例えば一冊本でも残しておけば、
それによって将来の世界運営を支配することは
必ずしも不可能じゃない。
くだらん。
所詮、ショウジョウバエだ。
ゴミ袋の中でいくら繁殖しても、
太陽系の終わりには全て燃え尽きる。
しかしだ、実際問題おぼろ月の美しさを知っている剣士と
知らない剣士なら、どちらがより
鍛錬の道中でぶつかる困難に、
盲目的に剣の価値を信じて突き進めると思う。
多くの価値を知るということは、
それだけ不純になることでもある。
それは確かに一つの事実なのだ。
ナイフ規制とか正気か?
本当にこの人たち犯人がどうしてこんなことしたか分かってないの?
なら貴方たちが犯人と同じ状態になったとき、
自制できない可能性が極めて高い。危険だ。
いろんなことがどうでもよくなっていく。
一つ宣言しておきたいのは、こうなってしまったのではなく、
こうなるよう選んでこうなったということだ。
だからどんなに気に入らなくても、不満が外に向くことはない。
やめようと思えばいつでもやめられる。
これを続けてるのは僕の意志だ。
いろんなことがどうでもよくなっていく。
20?ほどのビニルボールで遊んでいたら、
掃除機に当たって僕のほうに跳ね返ってきた。
びっくりして僕は目をつぶり、引けた腰で両手を前にバタバタさせた。
この情けなさは、情けなさ過ぎて長期記憶化するほどである。
鈍りに鈍った僕の体は、物理的な刺激に正直に萎縮する。
それでも、もはやそれを鍛えたいとか向上させたいとか、
そういう風な心が動かないのである。
どうでもよくなってしまった。
大したことではなくなってしまったのだ。
肉体や経験を無視して、精神だけが飛躍してしまっている。
そういうことは以前にもあった。
そしてそれが本当に肉体や経験に通用し凌駕するのか、
試したりもした。
結論として、僕の精神は錯誤していなかった。
肉体や経験など、精神の前ではそよ風のようなものなのだ。
こんの外道が!
僕は僕を救出する為に
ありとあらゆる秘術をかき集めてきたつもりだ。
なのにちっとも楽にならない。
まして他の人なら、
どうして正気を保てるのか不思議なくらいだ。
無力だ。
小さいときに医者になりたいと感じる、
そんなときに感じるたぐいの無力感。
はっきりいって僕は異常なほど悩んだ。
だから他の人が悩んで苦しんでいるのを見ると、
その先に先にまだまだまだまだ悩みがあって
もっともっと苦しむことが分かる。
それが僕にとっては何よりの絶望だ。
そしてその終わりもいまだに見えない。
天子様ギンギンくると思ったらリア幼かよ!
人としてオワットル
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