イッヒデルデル

2008年5月31日
ああ楽しかった・・・
まるで夢のような時間だった・・・
では切り替えて

しばらく体動かしてないし絵も描いてないし
音楽練習してないしプログラムも勉強してないし
新しいソフトの使い方も知ろうとしてないし
本も読めてないしネタ出しもできてないし
僕、変になっちゃったのかな・・・
ただゲーム作ってるだけ・・・

四妖拳!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

思いただ斬る。
その力強さは日々鍛錬を欠かさず精進できたもののみが知りうるという。
そしてその思いの力はどんどん筋断面積を増大させていき、
ある時、過程を完全に飛び越え、ただ斬れる。
それこそが真に魔術と呼ばれるべきものなのだ。
後のDr.サモアペットである。

成長しないことはいいことだ。
成長すると人は変わる。
というか人が本質的に変わるのは成長したときだけだ。
成長というのは、今までより、いいものを見つけたときに起こる。
それより前のものは悪くなるんだ。
悪くなってしまう。
そうでないと進む理由がなくなってしまうから。

ベーススケール、モンキースケール、
MMスケール、排他的一元スケールを忘れるな・・・
すべてのゲームや物語や社会はその組み立てからできてるんだ・・・
ぐふ

それぞれの視点から見たら人生の時間は穴ぼこだらけだ。
共有視点の少ない人から見た僕の人生は、
さぞ空白だらけに映ることだろう。






人がとるあるタイプの態度にすごくイラっとする時がある。
そう。
たとえば魚の切り身をぶら下げて僕が、
「魚だって生きてるんだよ!」と言って、
「ふーん」と言われてもなんとも思わない。
ただこういう時に物凄くクリティカルにイラつく自論を展開する人がいて、
それに僕がイラつくのは、僕の方が確実に正しくて、
この人の言ってることは、ただの他人の言で間違いで勘違いで、
そういう自論を持ってるのは、
この人が持つ、汚い自己正当化の欲からきているのだと、
僕が瞬時に思い込んでしまうからなのだ。

境界にくると人と人とを隔てるリターンポイントを
よく見ることになる。
例えば爪をはがされても平気な人と、無理な人。
腎臓を一つとっても平気な人と、それは無理な人。
どこまでもいける。何でもやれる。
その境界に来たとき、これは俺には無理だと
帰っていくリターンポイントがまるで墓標のように
たくさん見ることになる。
境界とはそういうところ。

コメント