移植先が移植元になる
2008年5月19日エターナルの亡霊よ
よみがえれ ー ー
さすがに待たせただけあるわーCHANGE。
脚本、演出さっくり分かる便利になったなあー
武道家は道を譲られることがない。
なぜならどんな相手が知覚するよりも先に道を譲ることができるからである。
先に道を譲られるなど屈辱以外の何物でもないわー!
飽きっぽいんじゃなくて忘れっぽいんだ
時間がたつと何をやっていたのか忘れてしまう
逃げれるところまで逃げてきた。
何もない。だから進もう。
と正常な人間は考えるのだろう。
しかし違う。
進んで引き返して逃げ果てて、
その全てにおいて何もなかった。
逃げるのと進むのは変わらない。
彼らの信仰には付き合えない。
それはそれとして力が足りない。
世界には化け物が多すぎる。
食い下がるのは無謀だ。やっと理解してきた。
本当の意味でキャパシティを超えることはできない。
資質と訓練は別種のものだ。
そして訓練には資質とは別の資質が必要になる。
それも足りない。
当たり前なんだ。残念がることはない。
生まれる前に試験を受けてるわけじゃないんだ。
いろんな人間に生まれてくる。
綺麗事は言うまい。
自他の評価に落差があって自己満足が得られるはずがない。
個を捨てろといいたいところだが、
悟性にすら個体差がある。
まさに生は辛苦であるといったところだろうか。
あるいは指し示された教義を全員が等しく祈る宗教こそが
やはり救済の唯一の方法なのかもしれない。
少なくとも僕が得られる理論上の解は、
それくらいしか思いつかない。
激しく競いあう勇ましい世界がある。
しかしそれはゲームだ。
生存競争は宇宙が仕掛けたゲームだが、
社会的競争のそれには人間のゲームマスターがいる。
陰謀論とかいうお洒落な話じゃない。
文明起原の話だ。
巧妙なゲームだ。ゲームはルールと価値がセットで、
ゲームがゲームを生み出す構造をなしている。
それともこれも自然現象の延長なんだろうか。
ゲームは意図を持つ。方向性が定義されるからだ。
もしこれが、これも宇宙が仕掛けたゲームだとしたら、
いや、それはただの現象にすぎないと見なすのが理性的な判断だろう。
不必要なぐらいの拡大率で人間は宇宙の方向性を反映しようとしている。
この現象は一体何なのだろう。
所詮、自己満足だ。
有限の存在に真理が得られないことは分かりきってる。
宇宙や物質の振る舞いには人間に抽出不可能な
概念や規則性やそのどれとも異なるものが含まれている。
それらは多面的に見なくてはならず、恐らくは無限の視点がいる。
それらの視点はこのような推測をあっという間に追い抜き、
それが完全な無価値に近くなるくらい高速に変質した見解を示すだろう。
知ると理解するというのは脳生理的に全く意味が違う。
知るとは、ある定義を新たに得ることだ。
理解するというのは、まとまりのある定義群を獲得することをいう。
完全に理解するというのはありえないが、
おおよそ対象に対して有用な定義が十分大量に得られた場合、
それを理解したと呼ぶ。
つまり、理解するには最低条件としてその大量の定義媒体、
神経細胞、もっといえば大脳皮質前頭葉で活動する
思考ニューロンがその対称に見合った分だけ必要になる。
部屋を舞うほこりの軌道を知ることはできても、
それらを理解しきることはできない。
所詮は自己満足か、手段に過ぎない。
よみがえれ ー ー
さすがに待たせただけあるわーCHANGE。
脚本、演出さっくり分かる便利になったなあー
武道家は道を譲られることがない。
なぜならどんな相手が知覚するよりも先に道を譲ることができるからである。
先に道を譲られるなど屈辱以外の何物でもないわー!
飽きっぽいんじゃなくて忘れっぽいんだ
時間がたつと何をやっていたのか忘れてしまう
逃げれるところまで逃げてきた。
何もない。だから進もう。
と正常な人間は考えるのだろう。
しかし違う。
進んで引き返して逃げ果てて、
その全てにおいて何もなかった。
逃げるのと進むのは変わらない。
彼らの信仰には付き合えない。
それはそれとして力が足りない。
世界には化け物が多すぎる。
食い下がるのは無謀だ。やっと理解してきた。
本当の意味でキャパシティを超えることはできない。
資質と訓練は別種のものだ。
そして訓練には資質とは別の資質が必要になる。
それも足りない。
当たり前なんだ。残念がることはない。
生まれる前に試験を受けてるわけじゃないんだ。
いろんな人間に生まれてくる。
綺麗事は言うまい。
自他の評価に落差があって自己満足が得られるはずがない。
個を捨てろといいたいところだが、
悟性にすら個体差がある。
まさに生は辛苦であるといったところだろうか。
あるいは指し示された教義を全員が等しく祈る宗教こそが
やはり救済の唯一の方法なのかもしれない。
少なくとも僕が得られる理論上の解は、
それくらいしか思いつかない。
激しく競いあう勇ましい世界がある。
しかしそれはゲームだ。
生存競争は宇宙が仕掛けたゲームだが、
社会的競争のそれには人間のゲームマスターがいる。
陰謀論とかいうお洒落な話じゃない。
文明起原の話だ。
巧妙なゲームだ。ゲームはルールと価値がセットで、
ゲームがゲームを生み出す構造をなしている。
それともこれも自然現象の延長なんだろうか。
ゲームは意図を持つ。方向性が定義されるからだ。
もしこれが、これも宇宙が仕掛けたゲームだとしたら、
いや、それはただの現象にすぎないと見なすのが理性的な判断だろう。
不必要なぐらいの拡大率で人間は宇宙の方向性を反映しようとしている。
この現象は一体何なのだろう。
所詮、自己満足だ。
有限の存在に真理が得られないことは分かりきってる。
宇宙や物質の振る舞いには人間に抽出不可能な
概念や規則性やそのどれとも異なるものが含まれている。
それらは多面的に見なくてはならず、恐らくは無限の視点がいる。
それらの視点はこのような推測をあっという間に追い抜き、
それが完全な無価値に近くなるくらい高速に変質した見解を示すだろう。
知ると理解するというのは脳生理的に全く意味が違う。
知るとは、ある定義を新たに得ることだ。
理解するというのは、まとまりのある定義群を獲得することをいう。
完全に理解するというのはありえないが、
おおよそ対象に対して有用な定義が十分大量に得られた場合、
それを理解したと呼ぶ。
つまり、理解するには最低条件としてその大量の定義媒体、
神経細胞、もっといえば大脳皮質前頭葉で活動する
思考ニューロンがその対称に見合った分だけ必要になる。
部屋を舞うほこりの軌道を知ることはできても、
それらを理解しきることはできない。
所詮は自己満足か、手段に過ぎない。
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