暗黒生物

2008年4月19日
かんぶりあー ぼーーん

世界観についてどう思うかね。

地球上をめちゃくちゃに破壊しつくし全てを皆殺しにしても、
微生物さえ絶滅しなければたった5億年で元に戻る。
いややはり5億年の犠牲を払ったと捉えるべきか。
なんにしろ我々は5億年の動作不安定バージョンで、
微生物は安定動作版のバージョン35億年だ。

世界観についてどう思うかね。
若さ。人間くささ。スポ根。ロマン。ロマンス。
価値観でもいい。
正直者。皮肉屋。利己主義。陶酔型。野蛮。
理論物理学者。実験物理学者。
酒に対する見解。教養に対する見解。格式に対する見解。
戦争に対する見解。自傷行為に対する見解。異性関係への見解。
口調の好み。年代への印象。生活の感覚。人とは。
世界観が個々に限定的にしか持ちえないのは、
単純に演算能力が不足しているからだろう。
人は50年という世界観を得うるが、
5億年の世界観を得るには単純にあと1千万倍の脳容積がいる。
不可能ということだ。

実にやりがいのない話だ。
そう、君が誰一人人ごときに理解されずとも
自分だけが認める価値で満足すると言ったとしても、
それも無理もない話だと思う。

立派な人。うだつの上がらない人。何かに追われてる人。
使命感に殉ずる人。見守る人。受け取る人。
何の思いも汲まれずに全て時間に押し流される。
いや今とて、それらはあまりに無力で狭い。
それらを覆しうる価値観もまたきっとあるに違いない。
さて価値観とはなんだろうか。
世界観とは?

科学は世界観と対立する。
では科学とはなんだろうか。
physis。ギリシア初期の哲学者たちが、
ミュトス的世界観を脱却し、もののありのままの真実を記述し、
その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、
それをこの名で呼んだ。
科学はネットワークに過ぎない。物理法則しかり。
ネットワークとは大脳新皮質のようなもので、
優先順位、価値決定端末は大脳辺縁系に根ざす。
科学もまた、人間という主体から切り離すことはできない。
もしかしたら、ああきっともしかしたら、
純粋数学者だけこそが最も正統な教徒なのかもしれない。
彼はきっとそうだろう。
でも本当は、彼が知る必要なんかないんだ。
彼が知らなくてもそれはそこにある。
それが感じられずに、知りたいと願ってあがいてしまえば、
それはただの価値観になってしまうんだ。ああ、最悪だ。
最悪だ。

なぜ僕は昔、物理学や脳科学を勉強したんだろう。
今はもうそんな知的好奇心はない。
はたして昔でもそんなに旺盛だったろうか。
あの時、それを学ばずやり過ごせていれば、
今はきっと別のことを考えていた。
科学というそれは子供心にすごくストイックに、
格好よく、強力で、秘密兵器のように思えた。
秘密というのは好きなのだ。
大人や同年代、世間が知らないことを、
僕だけが知っているならそんなに気味のいいことはない。
やってることは同じだ。これは科学じゃない。
僕は間違ってる。

ある僕の価値観があって、
それが何かの表現媒体として伝わるならなおいいけど、
それが何かしらその人が価値を感じて、
その人はほぼ僕と同じ容量を持っていてその人の価値観が、
それが何かの表現媒体として伝わるならなおいいけど、
僕とは違うけど、僕が何かしらの価値を感じられた時、
価値観の違いは素晴らしいものだと思える。
環境や、特性や、知識の違いからくる価値観の違いは、
つまらないと思う。
同じような条件で、同じような人間が、
何かするとそれが違う。不思議と安らぎを感じる。
なっていたかもしれない自分を感じただけか、
あくまで近い感性しか認めないだけなのか、
ああ、深遠はいずこ。
ないですー
この声がむかつく。

ドラゴンボールはなぜブーから逆に
弱く出していくことができなかったのか。
それは人の世界観にはごく単純で本能的な類型が
まず用意してあるからだろう。
全ての創作はサル山の延長からひねり出したものに過ぎない。
我々は生物で、その観点だけが与えられていて、
そのまま世界を語りだそうなんてするととたんに無意味になる。
問題はいざ世界を語る手法を探ろうとしても、
それが絶対に一歩も拡張できない牢獄になっていることだ。

ダークマターは超巨大な自律能動質量塊、つまり生物だったのだ。
我々は多大な犠牲を払い、奇跡的にその内部に侵入した。
内部は凶暴な小生物の巣窟で、それは皮肉にも
人類にとって初めての異星人との接触だった。

恐るべきことにダークマターは文明活動を行っていた。
大宇宙中心で私が見たそれは

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