ひっひっひひふ
2008年4月14日パーカッションは耳がしんどい時はいらないので
聴いてる人に自分で入れてもらったらいいよ!
ベースも(略)いいよ!
カウンターメロディなんか当然(略)よ!
できれば展開も(略)!
主旋律はもちろん自分で同音域を口ずさむから無くてもいいよね!
わーい
わーい
こうして世界は平和になった!
(略)
ちゅいちゅいちゅいちゅいしっし どーん しゃしゃしゃしゃしゃ
あー!わらびー!
春ですね春ですね春ですね春!
春春二役!ということは何か新しいことを始めよう!
どうせ残り3シーズンその尻拭いにうんざりするのが分かっていてもー!
すじとじすを見間違えた
袋から出た長ネギを掴んだまではよかったんだよ
けどもう一方の袋だったんだよな
てなわけで卵落とした。
今夜はオムレツか・・・
そんな僕をあざ笑うかのようにこの爆裂。
正直日本の将来、ここではその文化については
僕は悲観的なんだよなあ。
島の独自性というのはその希少価値と同時に
極めて急激な破滅のタイムリミットを持っている様に思う。
アイデンティティが崩壊するね・・・
自分と同じ好みで高いレベルで実行しちゃってる人がいっぱいいると。
これは違う。これは違う。とかうわ言をいっても、
どうしようもなく好みだ。違わない。
これは重要なんだ・・・こういうことはどこでも起こりうる。
ふたをされる形か。うわーかっこ悪い。
そのとらえ方はかっこ悪いぞ。
なんだろうこのもやもやした感じ。
食べたいのに意地をはっておやつが食べられない悪ガキみたいだ。
ひくわ自分一番根性。
好みが違って負けるのと、
好みが同じで負けるのとは意味が違う。
がんばるって言えば聞こえはいいけど、
このそれはただの子供のわがままだ。
もっと直接言ってしまえ。
要するに一番はよくても、自分の思ってる自分の順位と、
実際の順位が食い違ってると納得いかないんだろう。
こういうのは嫌だ。
こういうのは認識が間違ってて現実を見て補正すればいいのに、
俺はもっと上だといって頑張る。
そういうのは嫌だ。そういう自分は最悪だ。
認識はありのままを持つべきだ。
それは努力しないこととは違う。
なんか間違ってる。ぬるいとも言えるのかもしれないが、
これは違う。違うのに自分を抑えきれない。
全員どころか一番には二人もなれない。
全員で一番を目指してあと腐れなく結果を認めよう?
違うだろ・・・
だってどう見ても苦手な人が血反吐吐きながら頑張ってたらどうする?
自力は自力だ。信じなきゃいけない。でも信じられない。
さいなむ。でも同じは嫌だ。まして以下なんて。
でも誰だってそうだろう。そうじゃないかええ。
僕は争うのが嫌いだ。争いを避けてばかり来た。
でも争いはどこにでもある。口笛でさえ競われる!
やるからには負けたくない。でも争いたくない。
だから誰もしないようなことを選んできたつもりだ。
それは嘘だ・・・
こんな自分は大っ嫌いだ。
確かに思い通りにできるようになるのは楽しいから、
その為に練習したりもする。
でもできた物を見て、周りよりいいものができたら
ほくそえむ自分が確実にいる。
別にそれ自体はいい。だがやり方が気にくわない。
都合のいい。こんな。
前向きに考えよう。これは試練だ。
錯誤の原因もほとんど分かっている。
こんなことは些細なことだ。
どんどんくるぞ。跳ね除けるんだ。
そう、こういう考えと全く同じ考え方をする人を
いっぱい目の当たりにしたらどうする?
オーケー大丈夫。些細なことだ。
ううううがあ
これがスタートラインか!これがスタートラインですか!
やっと!やっとやっとやっとぐぴー
自分が許せない自分を探せ・・・っ
ってゆってもその周りからの試みもよくヒントになったりするから
難しいよなあ。自然体。
自然体はむずい。
いや、結局何をやってもそれは自然体ともいえる?
じゃお前どうがんばったらいいのよ。
どうがんばったらいいか分からない感じにがんばれば?
それも自然体。運命かよ!
それも自然体。と考えてるのも自然体。と・・・
と無限に続く。と考えるのも自然体。
飽きた。と思うのも自然体。
神め絶対ぶっ殺してやる。
殺せるわけがない。
想い人なのに。
いや、僕がそれに十分な準備ができれば死んでくれるだろう。
そういうところがいい。
だからそんなことはしたいとは思わない。
今のところ、それに引き換える為にだけだったら死んでもいい。
お前は駄目だなー
がーん
だっておかしいんだぜ。
引くべき線がすでに紙面に投射されているのに、
どんなにゆっくり引いても右手が拒絶して意味のない直線を引くんだ。
彼は怒っているんだよ。
やりたいことですら、やれと言われてやるのは認めないんだ。
それでもうまくやる裏技はいくらでも思いつくが、
でも僕も同感なんだよ。
だめだこりゃ。だめだこりゃ。
結局のところ主体は受け手としての自分以外にはありえない。
作り手としての自分はその従属に過ぎない。
それさえ忘れなけりゃ、ちょっとはバランス取れるさ。
いや違うか。
もー
聴いてる人に自分で入れてもらったらいいよ!
ベースも(略)いいよ!
カウンターメロディなんか当然(略)よ!
できれば展開も(略)!
主旋律はもちろん自分で同音域を口ずさむから無くてもいいよね!
わーい
わーい
こうして世界は平和になった!
(略)
ちゅいちゅいちゅいちゅいしっし どーん しゃしゃしゃしゃしゃ
あー!わらびー!
春ですね春ですね春ですね春!
春春二役!ということは何か新しいことを始めよう!
どうせ残り3シーズンその尻拭いにうんざりするのが分かっていてもー!
すじとじすを見間違えた
袋から出た長ネギを掴んだまではよかったんだよ
けどもう一方の袋だったんだよな
てなわけで卵落とした。
今夜はオムレツか・・・
そんな僕をあざ笑うかのようにこの爆裂。
正直日本の将来、ここではその文化については
僕は悲観的なんだよなあ。
島の独自性というのはその希少価値と同時に
極めて急激な破滅のタイムリミットを持っている様に思う。
アイデンティティが崩壊するね・・・
自分と同じ好みで高いレベルで実行しちゃってる人がいっぱいいると。
これは違う。これは違う。とかうわ言をいっても、
どうしようもなく好みだ。違わない。
これは重要なんだ・・・こういうことはどこでも起こりうる。
ふたをされる形か。うわーかっこ悪い。
そのとらえ方はかっこ悪いぞ。
なんだろうこのもやもやした感じ。
食べたいのに意地をはっておやつが食べられない悪ガキみたいだ。
ひくわ自分一番根性。
好みが違って負けるのと、
好みが同じで負けるのとは意味が違う。
がんばるって言えば聞こえはいいけど、
このそれはただの子供のわがままだ。
もっと直接言ってしまえ。
要するに一番はよくても、自分の思ってる自分の順位と、
実際の順位が食い違ってると納得いかないんだろう。
こういうのは嫌だ。
こういうのは認識が間違ってて現実を見て補正すればいいのに、
俺はもっと上だといって頑張る。
そういうのは嫌だ。そういう自分は最悪だ。
認識はありのままを持つべきだ。
それは努力しないこととは違う。
なんか間違ってる。ぬるいとも言えるのかもしれないが、
これは違う。違うのに自分を抑えきれない。
全員どころか一番には二人もなれない。
全員で一番を目指してあと腐れなく結果を認めよう?
違うだろ・・・
だってどう見ても苦手な人が血反吐吐きながら頑張ってたらどうする?
自力は自力だ。信じなきゃいけない。でも信じられない。
さいなむ。でも同じは嫌だ。まして以下なんて。
でも誰だってそうだろう。そうじゃないかええ。
僕は争うのが嫌いだ。争いを避けてばかり来た。
でも争いはどこにでもある。口笛でさえ競われる!
やるからには負けたくない。でも争いたくない。
だから誰もしないようなことを選んできたつもりだ。
それは嘘だ・・・
こんな自分は大っ嫌いだ。
確かに思い通りにできるようになるのは楽しいから、
その為に練習したりもする。
でもできた物を見て、周りよりいいものができたら
ほくそえむ自分が確実にいる。
別にそれ自体はいい。だがやり方が気にくわない。
都合のいい。こんな。
前向きに考えよう。これは試練だ。
錯誤の原因もほとんど分かっている。
こんなことは些細なことだ。
どんどんくるぞ。跳ね除けるんだ。
そう、こういう考えと全く同じ考え方をする人を
いっぱい目の当たりにしたらどうする?
オーケー大丈夫。些細なことだ。
ううううがあ
これがスタートラインか!これがスタートラインですか!
やっと!やっとやっとやっとぐぴー
自分が許せない自分を探せ・・・っ
ってゆってもその周りからの試みもよくヒントになったりするから
難しいよなあ。自然体。
自然体はむずい。
いや、結局何をやってもそれは自然体ともいえる?
じゃお前どうがんばったらいいのよ。
どうがんばったらいいか分からない感じにがんばれば?
それも自然体。運命かよ!
それも自然体。と考えてるのも自然体。と・・・
と無限に続く。と考えるのも自然体。
飽きた。と思うのも自然体。
神め絶対ぶっ殺してやる。
殺せるわけがない。
想い人なのに。
いや、僕がそれに十分な準備ができれば死んでくれるだろう。
そういうところがいい。
だからそんなことはしたいとは思わない。
今のところ、それに引き換える為にだけだったら死んでもいい。
お前は駄目だなー
がーん
だっておかしいんだぜ。
引くべき線がすでに紙面に投射されているのに、
どんなにゆっくり引いても右手が拒絶して意味のない直線を引くんだ。
彼は怒っているんだよ。
やりたいことですら、やれと言われてやるのは認めないんだ。
それでもうまくやる裏技はいくらでも思いつくが、
でも僕も同感なんだよ。
だめだこりゃ。だめだこりゃ。
結局のところ主体は受け手としての自分以外にはありえない。
作り手としての自分はその従属に過ぎない。
それさえ忘れなけりゃ、ちょっとはバランス取れるさ。
いや違うか。
もー
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