借りてきた若手芸人

2008年3月21日
耳体力ないよう。

巨匠ー
いつ学んでるんですかー

基礎練習であっという間にできることに閉塞感を感じ、
仰向けに倒れてあーっていう世界中で繰り広げられる日常風景。

とりあえずアクチュエータから勉強しようか・・・
巨匠は専門書からできてるんだぜ。

あー

僕を十段階として、音楽屋の中堅レベルと呼べる人種は、
五百段階ほどの音楽的解像度、空想能力を持っている。
僕が捉えている音楽的要素の一つを、
彼らはさらに五十つに区別して認識している。
それによって生み出される音楽は僕の識別許容量を越え、
アーティスティックな感動を呼び起こしてくれる。

僕はそれを点の思考と呼ぶ。
一方、日常的に行われる思考を線の思考と呼ぶ。

点の思考、点の音楽、点の絵、いやそんなもので
言い表せないくらい点は奥が深い。
簡単なたとえですぐ説明できると思ってたけど、
意外と言葉にするのが難しい。
人は線から始まって、点へと戻っていく。

ただひとつ客観的判断材料があるとしたら、
点に近くなるとき、下手になる。
線の絵を描いていた時より、点を描こうとすると下手になる。
あるいはそれまで作れた音楽が作れなくなる。
今までの自分がよく見えて、それができなくなる。
ゲシュタルトの崩壊とも呼ばれたりするらしい。
なんであれ言えることは、
やれることが増え、やるべきことが分かりにくくなるってことだろう。

でもそれは格段にいいことだ。
まず点は美しい。そして面白い。
線は均整だが、退屈でもある。

線と点の境は幾層もの段階があり、
僕はそれを門と呼び、
人は何を言われなくても開くべき門の前に立つのだと思っている。
それを運命だと暫定的に信仰している。

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