カナリア10th
2008年2月29日ない。
自分が自分の管理下にある感覚。
さっぱり面白くない。
退屈。
面白いことを探している。
今面白くても面白くない時もあるのが面白くない。
学習は面白いか。おおむね面白い。
作業は面白いか。なかなか面白い。
創作は面白いか。まあ半々というところだろう。
運動は面白いか。あれはいい。常に面白い。
切なさは面白いか。マイナスになることが多い。
小説は面白いか。めったに面白くない。
ゲームは面白いか。めったに面白くない。
漫画は面白いか。だいたいは面白い。
ネットは面白いか。面白くはないが落ち着く。
面白さを探すのは面白いか。面白くはない。
何かを始めるのは面白い。
所属を増やすのは面白くない。
出来ないことに集中できるのは面白い。
集中できないことをやるのは面白くない。
順調にいくのは面白くない。
幸運なのは面白くない。
不幸なのは面白くない。
達成感は面白い。同時に面白くない。
我を通すのは面白い。
秘密を見つけるのは面白い。
間違いを指摘するのは面白い。
破滅するのは面白くない。
破滅感は面白い。
破滅感が破滅でないのは面白くない。
なにもかも自分で面白くできるということが面白くない。
面白さはそれそれが保持する度合いではないのか。
見る者次第で面白さが変わるなら君らの分別はなんだ?
そう結論した僕は一体どれを面白くすればいい?
面白くすることはできる。
同時に面白くなくすることもできる。
さてではそのどちらが面白いかを僕はどうやって判断すればいい。
人生を楽しむべきか楽しまざるべきか、
一体何の基準でそれを決めればいいのか。
僕は僕の中のどの僕を使ってその判断を下すべきなのか。
きっとこれは自己同一性から来る問題だ。
そんな単純に整理してよいものだろうか。
結論という行為に対して今一度正当性を検討する余地がある。
結論なくして精神は成り立たない。廃人になってしまう。
結論を改定し続ける行為か?
ぞっとする。本能的に結論することに恐怖を感じた。
一度結論したことを改変するのが難しくなっているのだ。
一度結論したらもう変えられることを忘れてしまうような恐怖感。
結論はできない。あらがうしかない。
しかし実際にはどうだ。
僕は見事に年齢順に価値観を変化され続けている。
知識は普遍でもそれに対する見方はいいように変わる。
子供の気持ちは分からない。
相手を包含できないということは対等ということだ。
何も成長していない。
子供も大人も原始人も文明人も。
無気力な人格など放っておけばいい。
そんなものにパワーはない。追いやればいい。
やる気は正しい。充実は面白い。
しかし引っかかる。あまりにも間違いなさ過ぎる。
それかただの同一化の引力か。
自分を信じれない。
運命に運命は語れないし語る必要もないが、
いや運命を語ろうとしている。
出来ないことをしようとしている。
出来ないことは出来ない。
それが信仰とそぐわない時、
人は呪うことしかできなくなる。
自分が自分の管理下にある感覚。
さっぱり面白くない。
退屈。
面白いことを探している。
今面白くても面白くない時もあるのが面白くない。
学習は面白いか。おおむね面白い。
作業は面白いか。なかなか面白い。
創作は面白いか。まあ半々というところだろう。
運動は面白いか。あれはいい。常に面白い。
切なさは面白いか。マイナスになることが多い。
小説は面白いか。めったに面白くない。
ゲームは面白いか。めったに面白くない。
漫画は面白いか。だいたいは面白い。
ネットは面白いか。面白くはないが落ち着く。
面白さを探すのは面白いか。面白くはない。
何かを始めるのは面白い。
所属を増やすのは面白くない。
出来ないことに集中できるのは面白い。
集中できないことをやるのは面白くない。
順調にいくのは面白くない。
幸運なのは面白くない。
不幸なのは面白くない。
達成感は面白い。同時に面白くない。
我を通すのは面白い。
秘密を見つけるのは面白い。
間違いを指摘するのは面白い。
破滅するのは面白くない。
破滅感は面白い。
破滅感が破滅でないのは面白くない。
なにもかも自分で面白くできるということが面白くない。
面白さはそれそれが保持する度合いではないのか。
見る者次第で面白さが変わるなら君らの分別はなんだ?
そう結論した僕は一体どれを面白くすればいい?
面白くすることはできる。
同時に面白くなくすることもできる。
さてではそのどちらが面白いかを僕はどうやって判断すればいい。
人生を楽しむべきか楽しまざるべきか、
一体何の基準でそれを決めればいいのか。
僕は僕の中のどの僕を使ってその判断を下すべきなのか。
きっとこれは自己同一性から来る問題だ。
そんな単純に整理してよいものだろうか。
結論という行為に対して今一度正当性を検討する余地がある。
結論なくして精神は成り立たない。廃人になってしまう。
結論を改定し続ける行為か?
ぞっとする。本能的に結論することに恐怖を感じた。
一度結論したことを改変するのが難しくなっているのだ。
一度結論したらもう変えられることを忘れてしまうような恐怖感。
結論はできない。あらがうしかない。
しかし実際にはどうだ。
僕は見事に年齢順に価値観を変化され続けている。
知識は普遍でもそれに対する見方はいいように変わる。
子供の気持ちは分からない。
相手を包含できないということは対等ということだ。
何も成長していない。
子供も大人も原始人も文明人も。
無気力な人格など放っておけばいい。
そんなものにパワーはない。追いやればいい。
やる気は正しい。充実は面白い。
しかし引っかかる。あまりにも間違いなさ過ぎる。
それかただの同一化の引力か。
自分を信じれない。
運命に運命は語れないし語る必要もないが、
いや運命を語ろうとしている。
出来ないことをしようとしている。
出来ないことは出来ない。
それが信仰とそぐわない時、
人は呪うことしかできなくなる。
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