JJ
2007年12月23日この世は一体なんなのだろうか。
幼児、少年、青年、大人、壮年、老人、
誰に問われても、誰にも答えられない。
それが何と分かった所で意味のないことや、
あるいはどうでもよかったり、
そんな暇はなかったり、
問わないことを気どったりしてみて、
それでも問わずにはいられない。
一人が楽しくなったのはいつからだろう。
この楽しみ方は関西人には不得意なものだ。
関東人やA型人種に近い。
彼らはよく婉曲した無機質を嗜んでいると僕の目には映っている。
関西人は馬鹿で幼稚な笑いを好む、
関東人は賢くてひねくれた笑いを好む。
レッテルを危険視するのは何のことはなく、
僕自身がレッテルを多用する傾向があるからだ。
世界はなんなのか。
それはこのような小さな小さな考察を、
含みなおかつ別種、かつ上位の問題であるに違いない。
世界を問うことは全てを問うことでなく、
そこそれただ目に止まる片端から問いっぱしるものなのだろう。
そういえば、文化は進化だ。
と今日思いついたのだった。
それほど早くからやっていたわけでもないインターネットも、
少しづつ確実に変化している。
ソフトの変化も僕は途中からしか知らない。
けれどもその知っているわずかな間でさえ、
ゆっくりと確実に変化を感じることができる。
しかしその方向性がどうもはっきりと感じられない。
この変化しつつも方向性がよく分からない、という感覚が、
非常に進化、そのミクロ的な突然変異から受けるものと似ている。
文化は突然変異の連続と捉える事ができるのだろう。
微視的にはその指向的選択性を見つけることは難しいが、
進化かそれに近いスケールにおいて、
何らかの適応を果たそうとしている"予感"を受ける。
しかし文化的淘汰は進化の淘汰とはまたルールが違う。
恐らくは自然淘汰というものが、ある淘汰現象と呼べる群モデルの
規定の定数を持った一つに過ぎないのではないか。
近く淘汰学と呼ばれる学問が生まれることだろう。
そして淘汰学はさまざまな問題に斬新な見解を与え、
また新たなる未来の可能性を切り開くだろう。
例えばそんな風に、未来は未来に発生する独創的な切り口によって、
それをキーワードとして変動する。
しかし一般に未来創作において行われる未来の想定は、
現存のキーワードを元に、時には異常に長時間を
そのキーワードのまま引き伸ばして構築される。
しかしそんなことはありえない。
未来は今斬新なものを永久に注目し続けたりなどしない。
今考えもつかないものが生み出され、
さらにそれを基盤として、
そこからさらに斬新なものへと移ろってゆく。
未来を想定する時はその点を考慮して創作するとよい。
幼児、少年、青年、大人、壮年、老人、
誰に問われても、誰にも答えられない。
それが何と分かった所で意味のないことや、
あるいはどうでもよかったり、
そんな暇はなかったり、
問わないことを気どったりしてみて、
それでも問わずにはいられない。
一人が楽しくなったのはいつからだろう。
この楽しみ方は関西人には不得意なものだ。
関東人やA型人種に近い。
彼らはよく婉曲した無機質を嗜んでいると僕の目には映っている。
関西人は馬鹿で幼稚な笑いを好む、
関東人は賢くてひねくれた笑いを好む。
レッテルを危険視するのは何のことはなく、
僕自身がレッテルを多用する傾向があるからだ。
世界はなんなのか。
それはこのような小さな小さな考察を、
含みなおかつ別種、かつ上位の問題であるに違いない。
世界を問うことは全てを問うことでなく、
そこそれただ目に止まる片端から問いっぱしるものなのだろう。
そういえば、文化は進化だ。
と今日思いついたのだった。
それほど早くからやっていたわけでもないインターネットも、
少しづつ確実に変化している。
ソフトの変化も僕は途中からしか知らない。
けれどもその知っているわずかな間でさえ、
ゆっくりと確実に変化を感じることができる。
しかしその方向性がどうもはっきりと感じられない。
この変化しつつも方向性がよく分からない、という感覚が、
非常に進化、そのミクロ的な突然変異から受けるものと似ている。
文化は突然変異の連続と捉える事ができるのだろう。
微視的にはその指向的選択性を見つけることは難しいが、
進化かそれに近いスケールにおいて、
何らかの適応を果たそうとしている"予感"を受ける。
しかし文化的淘汰は進化の淘汰とはまたルールが違う。
恐らくは自然淘汰というものが、ある淘汰現象と呼べる群モデルの
規定の定数を持った一つに過ぎないのではないか。
近く淘汰学と呼ばれる学問が生まれることだろう。
そして淘汰学はさまざまな問題に斬新な見解を与え、
また新たなる未来の可能性を切り開くだろう。
例えばそんな風に、未来は未来に発生する独創的な切り口によって、
それをキーワードとして変動する。
しかし一般に未来創作において行われる未来の想定は、
現存のキーワードを元に、時には異常に長時間を
そのキーワードのまま引き伸ばして構築される。
しかしそんなことはありえない。
未来は今斬新なものを永久に注目し続けたりなどしない。
今考えもつかないものが生み出され、
さらにそれを基盤として、
そこからさらに斬新なものへと移ろってゆく。
未来を想定する時はその点を考慮して創作するとよい。
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