黒クロニク
2007年10月18日あれ、俺がいる?
某所で某幻想組曲アレンジの不意打ち。
やっぱクロセカいいなあ。ああ・・
とふとSHミクきてるんじゃね?
と思いニコ動へ。
しかしまあボカロイドいっても打ち込み人の
歌唱力に依存するわけで、
それ以上に上手いボーカルのコピーはできんわな。
わりと聴けるの
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1243659/
しっかし著作権もくそもないなぁ。
声のパラメータは多すぎる。
しかもパラメータだけじゃなくて、脳とリンクが強いから、
表情とかと同じ、不気味の谷も発生するだろうし。
そろそろ本気で仮想人格開発が商業的需要持ってくるかも。
昔、中国らへんで声変わりをさせないで高音を歌う
男性職業歌歌いがいて、
男の肺活量と女のソプラノで
恐ろしく美しい歌声だったとか何かの番組で聞いた。
息継ぎなしで最大肺活量を維持できるボーカロイドは、
確かに何かの大きな可能性を切り開きつつあるのかもしれん。
あっこ!
とかそういう、もっともらしい理屈付けないでも、
ミクタンハアハア〜イイヨ〜イイヨ〜で
その先進性と魅力の表現は十分なんだがな。
馬鹿さえいなけりゃ。
しかし豚肉炒めながらくるくる踊ってると、
我ながらこのまま一人でも一生楽しくやっていけるんじゃ
ないかと思えてくるな。
知らなけりゃね。
RPGは難儀なシステムだなぁ。
短すぎても虚しいし、長すぎても冗長。
さてどうしたもんか。
ずーーっと同じような問いを繰り返すことに
意味はあるか?
まあ、それなりに。
忘れた。
一つ下の段落に書こうと思ってたことを。
痴呆やベーよ。
ヨーグルト食ったか忘れるしな。
ヤカンの火が消えてるの見て、あれ?さっきつけたのに・・・
とか火つけると、すでに沸騰して火切った後だったりな。
ちなみに今日はアタック買い忘れたぜ。
思い出せん!
何かゲームに関する重要なことだったはずなのに!
満足・・・という単語が入るはずだった、その文章には。
もはやフラグメントロスト。
単純なシステムで面白いゲームを完成させるには?
新規的システムとレベルデザイン。
しかし斬新な切り口で万事解決するという
方針は気に入らない。
もっと、あっ
というくらい小さく身近な追加要素をもって
従来のシステムとのやりくりで、
痛快に万事を解決するゲーム。
久しぶりにラノベ作法研究所も読んだが、
やはりストーリーテリングで勝負できる気がしない。
ゲームが提供するのはもっと別の何かだ。
ゲーム。ゲーム。
僕のいってるのはゲームでもないな。
TRPGの記事の哲学を引用するに、
ルールとストーリーが競合した時、
どちらを優先するかで境界は決まる。
しかしゲームはルールの塊で、
ストーリーなどという甘っちょろいものを
許容する隙間はない。
それでは困る。
例えば綿密で互いに影響を与えるゲーム世界において、
そのインタラクティブ性にプレイヤーが飽きる瞬間とは、
その場その場で起こる現象が
更なる展開へ繋がりを見せないと気付く瞬間だろう。
そこにシミュレーション箱庭RPGの弱点がある。
本当にそんな膨大なインタラクティブは必要なのだろうか。
演出とは?ストーリーとは?テーマとは?
キャラクターパラメーション。意味。
数。希少価値。関係?
プレイしているその場その場だけでいい。
あるいは一回だけ。
こう巻き込むように臨場感と挑戦心を煽り、
数々の人格が吹き込まれ、異なる価値観に埋没できる楽しみ。
そこにテーマは必要か?主張は必要か?
それより重要なものがあるのは分かる。
生活感。生命活動感。
システムがストーリーを傷つけず。
ストーリーはシステムを傷つけず。
それでは互いが無価値になってしまう。
しかし関係するということは、
システムがストーリーを傷つけることであり、
ストーリーがシステムを傷つけることである。
どちらかを選ぶことになる。ゲームか物語か。
どちらにしてもどちらか失われる。
もう五年以上同じ問いをし続けている。
高二病の最も初めに生まれた問いが、
今になってすら一歩も前に進んでいない。
だが問い続けねばならぬ。
システムを単純化し、レベルデザインでメリハリをつける。
その上で余力の全てをストーリー分岐とその演出に注ぐ。
というのはどうだ?
どうだっていわれてもねぇ・・・
ストーリーコンプを目的にとらえられると作業化するぞ。
目的の為に手段を強制されれば作業になる。
分岐探し自体を練らねばなるまい。
するとパズルゲーになるな。
それを避けるにはパラメータを増やす必要がある。
となるとゲームは難解になる。
っだー!
さっぱりかつねっとりと!
おわり!
ところがどっこい。
共感でき過ぎるというのもあまり望ましくない。
普段、溝が深いとか嘆いてるわりに、
僕と似た理論や主張を見てもそれはそれでピンとこない。
困ったものです。
不本意ながら"食う"種なんだろうな。
片っ端から食おうと試みる。
それが硬かったりトゲトゲだったり苦かったりするほど美味い。
そういう無節操なのは非常に不本意だが。
食いたいものを諦めることはほとんどない。我侭。
絶望的な力量差を前に諦める時、
むしろ心底諦めたその瞬間から食う為に
最大加速度をひねり出していることに最近気付いた。
つまり尊敬できる人ができる瞬間。
それが僕にとって原田さん久石さん宮崎さんだった。
時期的なものもあるだろうけど、
実際的に一分野に深入りするほどのモチベーションが爆発したのは
この三方なしにはありえなかったと確信できる。
何だろうなぁ。他にも凄い人や凄いと思う作品はあるのに、
不思議とそれに加えて、負けたくないという気持ちが強かった。
たぶん波長の関係だと思う。
凄いけど合わない人ってのはいると思う。
凄いけど何かちょっと波長が違うなっていう。
そういう人とはきっと機会があれば友達になれると思う。
でもたぶん尊敬はできない。
逆にこの尊敬してる人達に会えたとして、
きっと友達にはなれない。
一番尊敬するがゆえに一番負けたくない。
僕は凄い人にはさんを付ける主義がある。
いややめよう。まだ遠すぎる。
ああすげぇムラムラしてきた。
ますます生活がどうでもよくなる!
某所で某幻想組曲アレンジの不意打ち。
やっぱクロセカいいなあ。ああ・・
とふとSHミクきてるんじゃね?
と思いニコ動へ。
しかしまあボカロイドいっても打ち込み人の
歌唱力に依存するわけで、
それ以上に上手いボーカルのコピーはできんわな。
わりと聴けるの
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1243659/
しっかし著作権もくそもないなぁ。
声のパラメータは多すぎる。
しかもパラメータだけじゃなくて、脳とリンクが強いから、
表情とかと同じ、不気味の谷も発生するだろうし。
そろそろ本気で仮想人格開発が商業的需要持ってくるかも。
昔、中国らへんで声変わりをさせないで高音を歌う
男性職業歌歌いがいて、
男の肺活量と女のソプラノで
恐ろしく美しい歌声だったとか何かの番組で聞いた。
息継ぎなしで最大肺活量を維持できるボーカロイドは、
確かに何かの大きな可能性を切り開きつつあるのかもしれん。
あっこ!
とかそういう、もっともらしい理屈付けないでも、
ミクタンハアハア〜イイヨ〜イイヨ〜で
その先進性と魅力の表現は十分なんだがな。
馬鹿さえいなけりゃ。
しかし豚肉炒めながらくるくる踊ってると、
我ながらこのまま一人でも一生楽しくやっていけるんじゃ
ないかと思えてくるな。
知らなけりゃね。
RPGは難儀なシステムだなぁ。
短すぎても虚しいし、長すぎても冗長。
さてどうしたもんか。
ずーーっと同じような問いを繰り返すことに
意味はあるか?
まあ、それなりに。
忘れた。
一つ下の段落に書こうと思ってたことを。
痴呆やベーよ。
ヨーグルト食ったか忘れるしな。
ヤカンの火が消えてるの見て、あれ?さっきつけたのに・・・
とか火つけると、すでに沸騰して火切った後だったりな。
ちなみに今日はアタック買い忘れたぜ。
思い出せん!
何かゲームに関する重要なことだったはずなのに!
満足・・・という単語が入るはずだった、その文章には。
もはやフラグメントロスト。
単純なシステムで面白いゲームを完成させるには?
新規的システムとレベルデザイン。
しかし斬新な切り口で万事解決するという
方針は気に入らない。
もっと、あっ
というくらい小さく身近な追加要素をもって
従来のシステムとのやりくりで、
痛快に万事を解決するゲーム。
久しぶりにラノベ作法研究所も読んだが、
やはりストーリーテリングで勝負できる気がしない。
ゲームが提供するのはもっと別の何かだ。
ゲーム。ゲーム。
僕のいってるのはゲームでもないな。
TRPGの記事の哲学を引用するに、
ルールとストーリーが競合した時、
どちらを優先するかで境界は決まる。
しかしゲームはルールの塊で、
ストーリーなどという甘っちょろいものを
許容する隙間はない。
それでは困る。
例えば綿密で互いに影響を与えるゲーム世界において、
そのインタラクティブ性にプレイヤーが飽きる瞬間とは、
その場その場で起こる現象が
更なる展開へ繋がりを見せないと気付く瞬間だろう。
そこにシミュレーション箱庭RPGの弱点がある。
本当にそんな膨大なインタラクティブは必要なのだろうか。
演出とは?ストーリーとは?テーマとは?
キャラクターパラメーション。意味。
数。希少価値。関係?
プレイしているその場その場だけでいい。
あるいは一回だけ。
こう巻き込むように臨場感と挑戦心を煽り、
数々の人格が吹き込まれ、異なる価値観に埋没できる楽しみ。
そこにテーマは必要か?主張は必要か?
それより重要なものがあるのは分かる。
生活感。生命活動感。
システムがストーリーを傷つけず。
ストーリーはシステムを傷つけず。
それでは互いが無価値になってしまう。
しかし関係するということは、
システムがストーリーを傷つけることであり、
ストーリーがシステムを傷つけることである。
どちらかを選ぶことになる。ゲームか物語か。
どちらにしてもどちらか失われる。
もう五年以上同じ問いをし続けている。
高二病の最も初めに生まれた問いが、
今になってすら一歩も前に進んでいない。
だが問い続けねばならぬ。
システムを単純化し、レベルデザインでメリハリをつける。
その上で余力の全てをストーリー分岐とその演出に注ぐ。
というのはどうだ?
どうだっていわれてもねぇ・・・
ストーリーコンプを目的にとらえられると作業化するぞ。
目的の為に手段を強制されれば作業になる。
分岐探し自体を練らねばなるまい。
するとパズルゲーになるな。
それを避けるにはパラメータを増やす必要がある。
となるとゲームは難解になる。
っだー!
さっぱりかつねっとりと!
おわり!
ところがどっこい。
共感でき過ぎるというのもあまり望ましくない。
普段、溝が深いとか嘆いてるわりに、
僕と似た理論や主張を見てもそれはそれでピンとこない。
困ったものです。
不本意ながら"食う"種なんだろうな。
片っ端から食おうと試みる。
それが硬かったりトゲトゲだったり苦かったりするほど美味い。
そういう無節操なのは非常に不本意だが。
食いたいものを諦めることはほとんどない。我侭。
絶望的な力量差を前に諦める時、
むしろ心底諦めたその瞬間から食う為に
最大加速度をひねり出していることに最近気付いた。
つまり尊敬できる人ができる瞬間。
それが僕にとって原田さん久石さん宮崎さんだった。
時期的なものもあるだろうけど、
実際的に一分野に深入りするほどのモチベーションが爆発したのは
この三方なしにはありえなかったと確信できる。
何だろうなぁ。他にも凄い人や凄いと思う作品はあるのに、
不思議とそれに加えて、負けたくないという気持ちが強かった。
たぶん波長の関係だと思う。
凄いけど合わない人ってのはいると思う。
凄いけど何かちょっと波長が違うなっていう。
そういう人とはきっと機会があれば友達になれると思う。
でもたぶん尊敬はできない。
逆にこの尊敬してる人達に会えたとして、
きっと友達にはなれない。
一番尊敬するがゆえに一番負けたくない。
僕は凄い人にはさんを付ける主義がある。
いややめよう。まだ遠すぎる。
ああすげぇムラムラしてきた。
ますます生活がどうでもよくなる!
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