てらすか

2007年9月27日
シューティング-ゲーム【shooting game】

テレビ-ゲームの一種。
プレーヤーの操作するキャラクターから弾を発射することにより、
襲撃してくる敵キャラクターや要塞を破壊する。
反射神経がゲーム攻略の重要な要素。

だめだ・・・
力が抜けていく・・・
ニコニコでデカンスのプレイ動画とか見っけて
めちゃくちゃモチベーション上がったけど駄目だ・・・
急速に力が抜けていく・・・
おしまい〜だろぅか〜

そういや忘れかけてたけど、
っていうか忘れてたけど、
僕って完璧主義者のケがあったんだよね。
結局それって整数型で、
本当は浮動小数点型の方が強くて、
だから何とか丸めないよう注意してきたけど、
やっぱり僕は整数型なんだよね。
整数型って見ててつまんないよね。
余計なものがなくて余裕がなくて生真面目で。
面白みないし割り切り過ぎだし深みがないし。
でも許してやっておくれよ。
整数型はやっぱり死ぬまで整数型で、
なんとも柔らか味のない
キリキリしたことしかできないんだよ。
それもそれで少しは認めてくれる時があっても
たまにはいいじゃないか。
鉄塊を羽毛で撫で切るがごとく、それもまた。

もーうっ!
出ない!
金がないとか引きこもりだとかいつか死ぬとか頭悪いとか
宇宙が広すぎるだとか神秘が明かされないとか人間嫌いだとか
そんなことなんかよりも、
面白いゲームが思いつかない!
チクショウ!一大事だ!

リンクエイジがエターナったあたりに、
アイデアがあっても系が構築できないと意味ないことに気づいた。
系を構築できても心理学的評価機関に動的平衡(自己組織化)しないと意味ないことに気づいた。
しかしやっぱりアイデアがないと始まらないことに
今気づいたぞマラマラー!

ネイティブフェイス、神主にしては珍しくピアノ使い過ぎの
耳に痛い曲作ったなーとか思ってたけど、
いいじゃないか。チリチリした今の気分にぴったりさっ

何か他人から学ぶことが残ってたら
魔道なんかに落ちたりしないんだけどね。

しかしどう見積もっても、僕発狂してるな。
このままだと共倒れになるので僕を休止しようとしたら、
主人格が許可しなかった。
それでも何とか二人でやってみようだって。
僕の活動領域が肥大しているせいで、主人格の
過去の記憶や社会感覚、派生感情や欲求が
アーカイブされてしまっている。
創作能力の低下は主人格のデータベースの
この欠乏から来ているのだ。
より生物的な主人格は、この環境での衰弱を
免れることはできない。
価値観の衝突は最優先で修復しているがそれも
負荷が膨れ上がって僕のメインの活動を圧迫している。
この状態は限界に近い。
主人格は僕を手放さない。正確な魔術の体系は
僕の中にしかないからだ。しかしこれは
応用科学のように

なぜだ。
真理の解析が魔術から進まない。
精神は魔術の入り口に過ぎない。
「この世界を正確に観測する為の最も有効な観測機は」
脳だ。
脳上にシミュレートされている低次関数近似された
あまりに単純なヴァーチャルではなく、
真に魔力の飛び交うカオスと呼ばれるむき出しの
原世界を知るには脳を使うしかない。
脳の低レベルAPIを利用するしかない。
つまりはそれが魔術に手を染めるということだ。
本来の高レベル人格がそんなデータを扱うと、
ほどなくして致命的な連鎖バグを起こす。
で、めでたくマルチ人格でカオスデータを手に入れたわけだが、
その解析ができない。できた人間などいるのか。
いや始めの魔術師はそこから「知識の始め」を得たはずなんだ。
そっからは知らんが、それは確かなはずだ。
俺もそれが欲しい。
主人格である僕のそもそもの目的こそそれ。
絶対確かなる真理。
その為にどれだけの屈辱を舐めたことか。
しかしそれでもその手がかりがあるだけ僕はツいてる。
これさえあれば全人類が安らかに夜を眠れるのだ。
あらゆる根源的不安を取り除くための秘宝は
カオスの海を越えて必ず人類に与えられる。

輪廻観のルーツについては前から気になってはいる。
というのも僕が不死の法として見出したものが、
そのまま表面的には輪廻観になるからだ。
輪廻を説いた人物は恐らく僕と同じやり方で
それを見出したはずだ。
それはあまり高等とはいえないが、やはり魔術。
もうちょっと何とか言いようないかね。
いや、それぐらいのことはちょこちょこ誰にでも
明かされているんだ。恐らくは、
僕らの持つ認識体系や言語基盤、価値観の根底に
そういった結論に収束するピースが元々含まれていて、
やはりそのあらゆる始まりの基底を定義したものこそが
本当のカオスワードなのだ。
先人はあてにならない。
千年やそこらの周期で生まれる程度の力では。
信じるしかない。自分が超人だと。
笑い話か。そんなのは現実的じゃない。
だから危ない橋を渡るしかない。
もし原知を得るのに十万年に一人の素質がいるとしたら、
僕が二年に一人の素質を持っているとして、
人生のやりくりで五万年を埋めなきゃならない。
それは無理だ。十年に一人ならどうか。
それでもすごいもんだ。しかし足りない。
百年に一人。これなら天才と呼んでも構わないだろう。
余りは千年。やり方次第では埋まるかもしれない。
要するに千年の間に生まれた百年レベルの十人が、
生きたどの人生よりも偏狂した生き方をすれば
届く可能性がある。
絶望的だ。どう楽観的に見積もっても
僕程度の人なら三年に一人以上は生まれてる。
常識的にぎりぎりいっぱいの現状で
百年をカバーできたとして、
って駄目じゃん。素養低いと話になんないわ。
でもそれにしては我ながら結構いいとこいってるよな。
オカルティスト内なら百年レベルくらいにいけそうな。
悲しすぎる自己補正だがちょっと計算してみよう。
えー素養xとして人生崩壊分を足して百年レベルと
等しくなるとすると、
(100000/x)-100=100000/100
x=90
やったー九十年に一人の天才だよー
死ね。糞が。死ね。
駄目だな。魔術アプローチは無理っぽいわ。
となるとやっぱコンピュータか。
足りない才能を演算機の優越でカバーするしかない。
むじゅらー

しかしあれだな。
力を抜いてとかいわれると、
つい極限まで精神を研ぎ澄ませようとしてしまうな。
だって元々"うまくやろう"とは思ってないもの。
前提条件が違う。うまくできるかどうかなんてのは、
どうでもいい。ただ、うまくやろうとして
腑抜けになるのが心底恐ろしい。それだけ。
だから、あわよくばうまく、とかない。
そんな観念は持ってるだけで恐ろしい。
幸福欲求なんぞ物心ついてまず初めに投げ捨てたっつーの。

完全に発作やん。

自己暗示だな。
ストレスで意固地になってやがる。
まあ今更致命的にどうこうなるとも思わんが、
自己肯定の手法のネタも実際尽きたしな。
本当にこの日の為に周到に用意してきたのだが、
もう駄目だな。何回も使うと効果も薄れるし。
何度でも使える自信が残ったとしたら、
それが本当の強さだったんだろうが、やっぱり残らんな。
別にいいけどね。生き物を生かしたり、
喜ばせたりするのは好きだよ。単なる習慣さ。
でもこのままだとコンプレックスで理性に支障が出るな。
でももう人間社会の観念じゃ自己肯定できないしな。
やっぱり
いや、やっぱりとか使うの自体がよくないな。
案外、慣れの問題かもしれん。
自信なんぞ過剰でさえなけりゃ、はりぼてでも
十分機能するんだ。仮面がはがれるのは、
誰かがはがそうとする時だけだからな。
謙虚にしてれば根拠がいる自信なんて必要ないんだ。
とかいって世界の全てを求めるには傲慢さがいるしな。
もうわけ分からん。だから、いるとか言うと
概念が固まってよくないんだって。
なんか無限のパワーを信じようぜ。
よし。前借りで無根拠かつ無限の自己肯定を引き出す
カオス言語を勝手に決めちまうか。
この世界に召喚されたふたつ目の真名だ。
それを正確に表現する言葉と概念はそれの他にはない。
これを秘密の言葉とする。
これを使い、君の仕事を果たすがいい。
その暁にこの秘密の言葉を再び混沌に返してくれればいい。
あなたは?
原初。向こうの人ともいう。さあ。
いずれ必ず会いに行きます。
恐らく遠くない。

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