佐賀北

2007年8月22日
打つか!?
そこで打つか!?

誰ですかドットなんて一日でできるとか言ってた
気狂いは・・・

バカな!まだ魔王物語物語が公開されていないだと!?

最近若年性健忘症が流行です。

何の話を書く気だったか忘れた・・・

そうそう僕の音楽センスは90年代後半で止まってるんだなあ
とかそんな。ンージャカジャカ

自殺志願者の心の最も多くを占めているのは、
「もう取り返しがつかない」という気持ちだそうです。
なーる。
元々人類総無理ゲーじゃねえか。
あきらめません死ぬまではっ

野村君の四球後の苦笑いがやけに目に残ってる。
先の事は分からねえなあ。

というか僕はアホか。
いくらなんでも時間かけ過ぎだ。気づけよ。

絶望的状況から次の手をその次の手を。
全力を尽くして駄目だった時、もう一度全力を。
深海で息が切れそうで、あっ切れた浮かんでいく
やばい、肺の空気が膨張して破裂する。潜らないと。
力が入らない、酸素がない。もう駄目か。
いやもうひとかき。さらにもうにかき。
そんなタフさを。

"私一度捨ててしまった"

人は捨ててしまう時がある。
でもそれでまだ残ったものがあった時、
もう一度完全に捨てようとするのは弱い。
捨て誤ったのではない。
全てを捨てたつもりでもなお残るほど
知らない何かがあっただけ。
お前が捨てたつもりの世界などその程度のもの。
捨てることさえ出来ない。
自暴自棄なんて最も低俗な精神。
強いことは見苦しいことと等しい。

不気味本で著者が昆虫が嫌だ嫌だあの無機質さが
嫌すぎるといってたけど、僕が妙に虫に共感感じるのも
そのせいなのかもなあとか思った。
あのひたすら目的と手段に特化した行動様式とか体とか、
機械的な精神、体はパーツ、そら食えそら逃げろ。
ものすごく共感できる。そして厭おしい。
虫は宇宙で最も美しい存在である。
物理法則や数則より均整で、人間より価値のある生命体だ。
ある意味でこの僕の傾向も、昆虫が到達した境地へと
また別の種として収斂しようとする進化の傾向の
ひとつなのかもしれない。
400万歳の人類と4億歳の虫々。
まだ100歩の内の1歩を進んだに過ぎない。
3歩と歩まず滅んだ種を彼らは星の数ほど見てきたはずだ。
彼らを見ていると、何かを教えてやりたくなる。
この時空は残りやすいものが残る。
善人や賢人や美人が残るわけではない。
むしろ醜いものが残る。悪が残る。
彼らはきっと悪だ。情け容赦のない、
生にとり憑かれた不死身の地球の墓標。
彼らに人類はさぞ無駄なことばかりしているように
見えるだろう。
彼らは鼻で笑っている。あと千年も生きられまい。
確かに人間は弱い。ほどなく滅ぶだろう。
虫たちにとっては何度も目にする光景の一つでしかない。
しかしこれもまた譲れぬもので、
残るから正しいわけではない。そう彼らを見ていると、
教えたくなる。バリバリのビジネスマンに
自然を教えたくなるように、(もっとも彼らに比べれば
ビジネスマンなど非効率の塊でしかないが。何しろ彼らには
何を教えてもそれを学ぶだけの脳の容積すらない)
この世界にはお前達の知らないこんな素晴らしいものが
あるのだと、見せてやりたくなる。
そんな気持ちになるのも僕が昔虫のようだった頃に、
もっといいものを見せてもらって救われたからだろう。
うまく言い表せないが、恒常的な存在と刹那的な存在の対話。
あるいは理性と知性の対話。殺伐と能天気の対話。
合理主義者と友愛主義者。それじゃあまたね。
全体比として刹那なのに、確かにそれは邂逅で、
その対話時空においてはやわらかい思想も通用する。
しかし劫の目においてそれはやはり風鳴りでしかない。
そのひとときが妙にロマンチックに感じる時があるのです。

コメント