0タイムOver

2007年8月15日
0タイムOver
なぜだ・・・
時間が速すぎる・・・
やはり宇宙のクロノンが消滅しつつあるのか!
黒のーん。

太ももを描くためだけに脈絡なく
四頭身を織り交ぜる君には脱帽した!
脱ぼーん。

一人で将棋指してるとやたら疲れる。
実は頭使うゲーム苦手だよなぁ。
結局生来のレベルより思考密度上げようとすると、
その分一日の他時間があ゛ー状態になっちゃうわけで、
頭鍛えても容量が増えるわけじゃないんだよなぁ。
脳みそぼ(苦しい

ああなんか黒いものがざわざわと。
お願いもう少しだけー
ZUN曲は黒すぎるんですよ!
開けなくていいフタを色々とぉ!

フォトショの起動中にmp3聞いてるとたまに
バーーーーーーっとノイズ化して
めちゃくちゃびっくりするんですが、
最近気持ちよくなってきました。うわぁあっ

参照フォルダがエロ画像置き場になっててあせった。
間違えてうpってたらどうなるんだこれw消せねーぞw

いやだー眠りたくねー

ところでこのボタンを押してみないか?
これは?
パライゾゲートです。
押した瞬間、あなたの全ての身体データと精神データは
観測され、コンピュータ上でシミュレートが開始されます。
彼はあなたですが厳密にはダウンローディングされた瞬間に
周辺環境が変化しますので、そこからは別人です。
ところで、彼は誰なんでしょうね。
黙れ悪魔め。

記録ではこの思考実験は2003年2月7日に行われ、
その時僕は彼を説得した。
少なくとも僕が彼になることは100%ないので安心していい。
しかし彼はひどく取り乱し、だが最終的には納得した。
僕はそういう現象が起こることを予想していたし、
彼が僕であったなら、こうなる可能性もまた
理解しているはずだった。ただし奇妙なことだが、
僕がそうなる可能性は0だったのだ。
しかし彼の立場においては100パーセントだった。
一体彼はどこから来たのか。
この思考実験において僕は魂の存在を確信し、
同時に魂が存在しないことも確信したのである。

ようこそブラックショーへ。
そんな半端な結論で納得できると思ってるのかね。

確かに僕が彼になることはない。
これは座標による識別だ。
つまり、僕は僕が僕だと証明してくれる情報が
入ってくる位置に存在しており、
彼は彼だと言う宣告が舞い込む位置に存在しているだけの話。
電脳コピーという話だったが、この際
分子レベルで完全に複製する。
座標以外での内部情報での識別は不可能とする。
ここで問題なのが、
"彼と僕を入れ替えるにはどうすればいいのか"である。
複製の瞬間では完全に違いはない。
なんならしばらく擬似的に周辺環境まで複製してやればいい。
半径xcメートルだけ複製すればx秒間は
情報に差異が生まれることはない。

不可能だな。物理学的に色々抜け道はありそうなものの、
この理想条件下では無理だ。
入れ替えられない。というか、
じゃあやっぱり僕が彼になる可能性もあるじゃん。
待てよ。おかしい。そんなはずはない。
未来では必ず別もの同士になるんだ。
交換すれば時空に履歴も残る。
要するに時間を超越した証拠で現在を確定できれば、
此が彼か彼が此か識別することができる。
量子の話だ。

オーケー。つまり逆だ。
ポイントは"二つ以上のものが識別できない"こと。
素粒子において量子現象が起こるのは、
それが素なる構成のため、同等な存在が
無数に存在しているからなのだ。

いや違う。
まずいな。根本的に違う。
この思考実験にはひとつの大前提がある。
僕にはどちらが僕か識別可能である。という前提。
なんてことだ。
識別しているのは、誰だ?

意識は何かという問題だ。
これは今ならそう難しい問題じゃない。
僕が僕だと判断する意識は、
僕は僕かという問いが発火し、ファイアーダンスの後、
僕イコール僕に到達し、一連のニューロン間に
沈静物質が放出される。これが意識だ。
そのいずれのタイミングで複製したとしても、
意識ももちろん完全に複製される。
で。だ。
僕はどっちに行く?
その問いは意味を成さない。
僕などいない。

あーそういう結論だったなー
いないんだよ。
理論の破綻の原因は"いる"ことに全て起因していて、
"いる"ことは証明できないんだ。
だから、いない、とする他ない。
ミクロ哲学。だが、誰も"いない"という世界観は、
この宇宙の法則に実にマッチしている。
信じられますか。
これ、いないんですよ。
ああすばらしき最奥なる知。

もう少し。
つまり完全なコピーをした上で、
そのどちらかが僕だと思うことは、
コピーされなかった僕フラグという情報が
存在することを信じることで、そもそも条件を破る。
ということは僕は分裂したことになる。
言い換えると、僕は増えた。
意識が共有されることはない。
当然だが情報をリンクする経路がないからである。
だがどちらも僕だ。
つまり、結局のところ、何なのよというと、
僕とは、その停止時間空間における存在情報であり、
時間的連続性は、ない。
それが何を意味するかといえば、
僕は彼の複製と同義であることを意味する。

ちなみに僕が僕であることと、
僕が僕であることを認識することは別の事象です。
さあ寝よう。

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