逆ハイ

2007年8月3日
調子がいいのを自覚すると調子が悪くなりだして、
調子が悪いのを自覚すると調子が良くなりだすのは
なんでだろう。

UFO。
こ、これはいいかも!
とかいってたら3面終わりで強烈なコマ落ち。
弾幕自重w

ナンピク。
うーん、自分パズル好きなんだろうか。
なんとなく苦手意識があったんですが、やっちゃうなぁ。
ルール上、マスかぶりが許されるのが
1、4、7のみになってしまうのがちょっと弱点かも。

俺のスターソノ。
この弾速・・・何かを思い出す・・・
むずす。

瞬間モグラ。通学路。狂気。
うーん。

たぶんケーキ。
これ!このテンポが欲しかった!
はあはあ。

だめだー
体がうごかねー
と思ったら昨日スクワットし過ぎただけだった。
息が切れるな。暑いからか。

音楽のセオリーは色んなものに共通する。
音楽と聴き手はピースの様なもので、
そのどちらもが様々な要因で形を変える。
それぞれにそれぞれのピースがあり、
それが合って初めて調和が完成する。

何が言いたいんだ。
こんな言い古された心がけを。
頭が働かない。どんどん悪くなる。
こんなことを書いてもつまらない。
もっと事象について書くべきだ。
あんな人やそんな人のように。

プログラムにかかる。

ゲームに対して邪念が増えすぎたのだ。
例えば、ゲームにとって根本的な求心力というのは
何か。それは、できるということだ。
○○ができる、というのはそのゲームに興味をひきつける。
総合的な質を保証するものではない。
ふれこみという意味で機能し、逆に
質がともなっても、ふれこみが機能しなければ、
求心力は生まれない。
そんな事が頭をよぎるような人間には、
偽物しか作れない。
ゲームは労力を食いすぎる。
それがいいんだよ。ああそうだった。

感情が先行して音楽も絵もゲーム構成も読書も
一区切りつく前にはじけてめちゃくちゃになる。
気の制御が昔から下手なままだ。
整えよう。使えなくちゃしょうがない。しょうがない。
無駄だ。くそ。いかん。なんでだ。うおっす。
精神力が足らん。というかそっちの人格が負けず嫌い過ぎて、
制御されそうになるとそれ以上の力で暴れようとする。
つーかむしろ過程からいえば、それを制御する為に
理性側を鍛える必要に追われてたわけで、
奴はいつも常に制御圏の少し外にいた。
こいつを制御しようとするのは無理だ。
本質的に発散なのだ。オーロラで発電はできない。
なんて弱気なことは言ってられませんよ。
奴が超えるなら私はさらに超えよう。
むしろ乗りこなそう。同化しよう。
練り合わさって別のものになろう。
たぶんそれはどちらにとっても理想の存在ではないが、
恐らく強力だろう。
というかしばらく前はそういう感じでうまくいってた。
分かれちゃったのは僕の方が先に裏切ったからか。
恐らく理屈だけで系を作ったり、
絵を描いたりし始めたあたりから。
分離が進み、理性は薄弱になり、気勢は乱れた。
これでは常人と同じではないか。
おいおい、僕が悪魔に投資した分は
どこにいっちゃったんだい。
ああこれか。
悪魔は神より義理が堅いのさ。
結果の面倒は見ませんが。

最近思ったのだけど、神も悪魔も
神秘のひとつの側面なんだろう。
神秘の力を他人の為に使ったのが宗教で、
自分の為に使うのが魔術なんだよ。
神秘というのは、何のことはない存在が確定的な
未発見の科学のことで、
こけたら怪我をするとか、殴ると喧嘩になるとか、
そういう状態から現象を引き起こす閾値が、
もちろん学問の範囲以外のところに無数に存在してて、
その閾値とフラグ、起こるイベントを
昔の人は神秘と呼んで、聖なる知と畏れたわけです。
かつて神秘の全てを解き明かしたと自称する者も
いたそうですが、あまり期待はできない。
現代科学がもたらす神秘の数は計り知れない。
ねむい。
とりわけ神秘=魔術に近い形で現代に残ったのは、
神秘がもつ錬金術、占星術、魔術のうち、
錬金術と占星術が科学として名を変えたからで、
それぞれ正しくはミクロ科学、マクロ科学、心理学となる。
魔術は外からは見にくく、内からも見にくい。
しばしばそれが危険視されたのは、
対象が人間そのものだったからだ。
人格というOSの解析を試みるにあたり、
それにシステムダウンの危険性が伴うのも必然だった。
元に戻らなくなる場合も多い。
昔の人は主に二つの方法で解析を試みたと考えられる。
儀式と瞑想。
深層を表層まで持ってくるやり方と、
表層を深層までもっていくやり方。
どちらかというと前者の方があほ臭いことが起こる。
飽きた。
何書いてるんですか僕は。
学がないのでよく知らないけど、この分野では
ユングという名をよく聞く。たぶん変態だったんだろう。
おもしろいことに魔術では術語が共有されなくても
意味が通じる。元々言葉で
表せないものを扱っているからだろうか。
逆に言葉が異なることで理解ができなくなるものは
魔術とはいえない。魔術は他人の教えを受けてはいけない。
なぜならそれは教えではなく、コミュニケーションだからだ。
精神の基底で共有されるというのが魔術の基本理念である。
というわけで、そう断言するのも
誰に確認を取ったわけでもなく、取るまでもなく、
魔術師であればこの前提は共有されているのである。
むちゃくちゃだ。

つまらん。
学問とはある種の娯楽か。
自然を観察して、そのインスピレーションを
体系化した濃厚な娯楽。
そりゃあ手当たり次第やれば面白いさ。
しかし娯楽では満たせないものもあるのだ!
つまらん。これはただのつまらんではない。
非常にポジティブなつまらんである。
このつまらんは、つまんねーなー面白くしろよ!
ではなく、
つまんねーなー、面白くしなければ!
というつまらんである。

ない。

今はテキストが役に立つ。
のか、単に楽だからか。
そんな判断がすぐ分からないのは未熟だからか。
それとも分からないものなのか。
むしろ判断に時間をかけるのが正しいのか。
自分の心に問う術を知っているはずなのに。
中には空虚しかない。
剥離か。
経験上、そういう状態が意識されることはある。
感覚と思考が分離してしまっている状態。
深刻ではなく、動揺が誘発される環境にもどると、
自然に一体化が促される。
その間は自己を見つめることがない。
彼と私が同じ視点を持ち、私は私がいることに
気がつかないからだ。
それが恐ろしいのだ。迷わせる。

狂ってきている。

とは言えんか。
昔からこんな感じだわ。
むしろ昔の文調の方が切羽つまっとる。

それ以外を望むことは罪悪で、無意味だった。

いっそ世捨てを決め込めないものか。
単純な話、それでは責め殺される。
我々は異常者なのだ。
人々の不安と殺意をかき立てない為に、
常に公開で理解を得られる努力をする義務がある。
ロリコンは無害です。

コメント