三層

2007年7月6日
守護天使に操られる。
邪気眼に支配される。
宇宙の意思に囁かれる。
内なる神に律される。

人間とは!

どんなに突きつめようと、
ある種の傾向の延長でしかない。
明日の天気が知りたいと言いながら、
蟻の行列を数え続けているようなものだ。

意思とは。
作りあげるものだ。

元々あるもの、感情、価値観、本能を用いずに、
この世界に散らばる万物を使用し、
想うがままに組み仕上げる行為こそが意思。

人間が種としてこの域に達するには
あと二百万年かかる。

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マルとサンカクを組み合わせてほぅーらマンカル。
この世界のどこにマルだのサンカクだのある。
詭弁だと思うか。
点や等距離や直線が世界に横たわる絶対概念だと思うか。
ばかもの。それこそ人間が生々しい理由で生み出した
偏向した概念そのものだというのだ。
あまりにも奇天烈な結論。
究極の真理を求めはしたが、これはあまりにひどい。
理解を求めるなど、叩く惑星を間違えている。
なんにもならんよ。
神の孤独ぐらいは癒せるのかもしれないが。
百兆の人類と俺自身にすら何の価値もない。
何の価値もないのに。

価値はある。僕にとっては。
意思することは価値がある。
何故。なぜそう思う。本能こそがそれを求めるんだろ。
ならば意思は生命が抱く願望の帰結として
必ず求められるはずのものなのだ。
これこそ永劫の先で人類の最後の教義として
救いをもたらすはずのものなのだ。
そ れ が 
どうしたー!

ノーグッドだ。
意思を求める理由を本能と言い捨てるのなら、
それは偏向の域を出るものではない。
主体は肉にある。やはりまた失敗か。

では何によって目的を決めればよいのか。
そう無論、
何によって目的を決めればよいかという問いは、
正しい目的を決めたいという欲求から出たものだ。
それ自体がもうすでに偏向している。

私はこのような戦いを、死ぬまで続けるだろう。

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