逆黄銅

2007年7月3日
アリストテレスは世界の全てを記述する為に
銅鑼の上で鉄球を握って眠ることを防いだそうだが、
この人あんまり好きじゃないからいいです・・・

昼寝至高アイデア論。

魔術系キャラ作ろうと思って
久しぶりにオカルト系サイト見すぎてやばい。
違和感ねーなー
現代っ子に把握しやすく言い換えるなら、
全オカルトは、世界のアフォーダンスを探してる
ってだけの事なんだよね。

なんだかんだで人から評価を得るには技術が必要って
一番病的に思い込んでるのは自分だよなぁ。
守りは固められても心臓自体の弱さは変えられんという事か。

企画の最重要過程はアイデアの折衝である。

格好悪いよお前。

眠れん。

問題点の一つは基本的な落ち物パズルのパズル部分が
成り立っていない点だ。
ゆえにパズル的面白さは期待できない。
結果、場に敵対要素が存在しなくなり、
ゲームの基本構造が崩れてしまう。
つまりその中途過程で何らかの代替要素を足してやればよい。
思いつかない。年か。

直接的な「攻撃」の経路は用意しない。
これはコンセプトレベルで殺伐さを排除する理由からだ。
これにより、対戦者からのコンスタントな攻撃行為を
期待することはできない。
ゆえに場に敵対要素が常駐することは必須である。
しかし場の要素数は少ない。
これは簡潔で簡素であるというコンセプトに基づく。
さらにパズル構造が崩れているので、
場の幾何的複雑さは見た目より遥かに貧弱である。
ここでかりそめの敵で手を打ったとすれば、
最終的にそこからゲーム性が崩壊するのは目に見えている。
ここで真に改変すべき点は・・・

一般にRTSは膨大な要素数を持つ。
これは個々のユニット管理がプレイヤーに操作不可能な為、
統計的に予想可能にする事で
ゲームを成り立たせる必要があるからである。
要素数が極端に減る事でRTSというゲーム性の利点は失われる。
それを補う為にはユニットは操作可能でなければならない。
あるいは挙動が予測可能でなければならない。

リソースは場の表現で完結することが望ましい。
これはユニットが段階的な数値情報を
保持することでクリアする。
場は一定のサイクルで循環することが望ましい。
少ない要素数で素早く複雑である為にはそうあるべきだ。
ここから基本的な流れは、
場に蓄えたリソースを敵対要素の無力化から守りつつ、
速く有効に消費できるよう判断すること、となる。
陳腐だが一次的なゲーム性はそれぐらいが安心できる。
そしてやはり問題は敵対要素。

根本的に座標数が限られている為、アバウトな出現はできない。
また、直接攻撃の禁止から対戦者の利用は無理。
プレイヤーが指定するにはパズル構造が存在しない為、
あまりにも陳腐。
消去法的に、敵対要素は論理的に自然発生してもらう他ない。
オーケー、確率様の力を借りよう。
なんとか・・・なるか?

周りは皆あふれる娯楽で楽しそうだ。
彼らは満足している。僕は無力だ。
果たして、意味はあるのか。
病名を増やして患者を稼ぐような手管に
足を踏み入れかけてはいないか。

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