400万ポリゴンが動く時代に、
毎日32×32ドットに向かい合う日々。

映像美というもの作りにおいて、
あらゆる物が作画可能というのはまず前提にして、
それでいて最終目標でもあるんだよな。
しかし、なんでも作れるというのは
もの作りにおいて絶対に必要な前提なんだ。
不可能な領域を残して造作を追及することは許されない。
ここらへんは言葉遊びだが、
徹底されるべき建前でもある。
つまるところ、技術の追求は前座である
というスタンスを自ら崩す者に、
ものを作る素養は無いということなのだ。
ぷぎゃ。

しかし何とかならんかこれは。

落書きしまくっても全くいいと思えるものが出てこない。
魂枯れた。

五年位前に拾ってきてそのまんまの資本主義本を読む。
最近ちょっと古めの活字が楽しい。
まだ資本主義が希望の道標として信じられていた頃の本。
しかしこの本は信用できる。
書は著者の思想の元に書かれており、
それはまぎれもなく時代を超えて真理の1つなのだ。
あらゆる物事には否定的見方と肯定的見方がある。
しかしそれら両方を実感として一人の人間が
得ることはできない。
他の社会的、時代的隔たりを越えた人間の意見によって、
それを間接的に知ることが出来るだけだ。
近代にはなにかと二つの見方を知ったように振舞う人がいるが、
それは危険なことで、単なる勘違いにすぎず、
そのような人の書いた書は信用できない。

だせえ。
泣き言禁止禁止。

んー、名前表示派手過ぎるか・・・
まあいいや、全部前例を参照してもしょうがないし。
オリジンオリジン。

なんだかんだで女性陣は華があるなあ。
な、なんか感性がオヤジだ・・・
名前タグが桃色でピンクな気分に。
性差主義性差主義。

明日にはキャラドットは終わるだろう。
しかし武器モーションを忘れていた・・・
素材作りを放棄してこその大風呂敷だったはずなのにー
エターナルエターナル。
ぶめぎゃ。

気合入れて新しく戦闘曲を書き始める。
挫折。
プロってすごい><

なんつーか、明らかに足りないものがあるな。
視点だ。音楽の解釈の仕方の含蓄が足りねえ。
いろんな音楽を聴いて、
それを楽典的に分析した時のみ得られる経験の
総量が絶対的に足りない。
これはどうやっても埋まらないなぁ・・・

音楽は、感動させるより楽しませるほうが難しい。

悶えてモノができれば世話はない・・・

旋律と和声の拍が違うのが好きなんだけどなぁ。
すげぇ小手先っぽい。
自分の好みが信じられないというのは辛い。
しかしもう好きなだけでは納得できない。

近頃妙に力が湧く。
気脈はむしろ以前より完全に近く断たれているのに。
ああ、そういや去年の下半期は
毎日人間への失望を突きつけ続けられていたのだ。
気づくと頭の中が呪いで埋まっている自分がいた。
会わない今はむしろダメージが軽減されている。
本格的に人と会う意味を失いつつあるな。
孤独は退屈だが、それでも無機物から
充分な気力を練り上げる手段を感得しつつある。
ネットジャンキがナマ言ってんじゃないわよ。
人造の竜脈か・・・

気に食わない。
気に食わないがもはやネットを断つことは、
地霊の恩恵を断つに等しい影響を持っている。
何も与えられずに人は生きる事ができない。
それを取り間違えば死ぬ。
しかしまー、要するにネットでは人の邪念が見えにくく、
だから効率よく気を得られるわけで、
悪意に弱いひ弱ちゃんな自分が自覚させられて
やっぱりムカつく。
人間絶つなら最終的にはネットも断たんと格好悪ぃ。
できんことはないと思うが、
それこそ非常識だな。

きわどいなぁ。
ここで常識について問うてはいけない。
こういう自制の度に頭をかすめるのだが、
結局俺はとうに狂っていて、
ただ演じているだけじゃないのかな。
実際、人格というのは脳が表面的に扮装している
個別のOSに過ぎない。
とか、一番の問題はそういうことすら
今の人格が常識の範疇として消化できるキャパを
持ち得てしまってる事なのかもしれない。
どれだけ異常な結論でも、
否定することなく批准した上で日常の態度が崩れない。
異常だ。
今でも次元的な認識は五次あたりまで及んでいるのだ。
超科学的な結論と日常は区別されていない。
それはかつて科学の徒とあろうとした名残だが、
明らかにそれが原因で今の異常事態を生んでいる。

そうつまり分別はついている。
しかし習性がそれを否定しようとしている。
問題点はここだ。
倫理と真理の矛盾点。
さらにいえばその間で自分を偽って
倫理をとっている偽善に対する苛立ち。
これは根が深い。自覚はあった。
偽善以外のなにものでもないが、
それでも守り通さなければならないものもある。
それが偽善だというのだ。
お前は倫理が本当に大事なものだとは欠片も思っていない。
とか、それぐらいでは倫理人格の精神力は
打ち崩せない。彼には人間世界の
あらゆる所から力が流れているのだ。
逆に真理は無からしか力を得られない。
科学の知といえど、その殆どは人間世界に
根源を持つものなのだ。
倫理との武器にはなり得はしない。

さて、そして打ち崩せない倫理は
やはり尊重すべき自己なのではないかとまとめるのは
簡単だが、

私は慈悲深き正義にのみ従う。

コメント

nophoto
ニックネーム無し
2007年2月1日9:37

 ト、トップ絵がかわいい・・・
 あと、掲示板に書き込めないような気が・・・?

ブー太
ブー太
2007年2月1日18:50

ありがとうございますー
うわ、ほんとに書き込めない・・・
すいません、直しときましたです。