メッセルメッセク
2006年10月5日中途半端にぬるくなったビールを手っ取り早く
冷やすのに冷凍庫に入れたのがついつい忘れて
今シャーベットビール飲んでるなんて信じます?
スラーッシュ!!
一年ぶりぐらいにランニングして筋肉痛ぐががが
>タケさん
お、遅れてすいません!
よろしくお願いしますー
一応TiMidity++とか入れていろいろ聴いてみたけど、
やっぱ音質の問題じゃねえって。うでうで。
所詮、倍音と音響の多寡だもの。
日本人は元々和音、ひいては音の縦の成分に関する
耳が鈍いんだし、西洋の不協和が協和になったり、
でもそれを音楽のために耳を鍛えるってのは違うだろ。
音を楽しまずして音楽と言わず。
そもそも人間の脳には欠落した和音倍音を
補完する機能があってですね、むしろその自由度が
レトロ音楽を飽きさせない要因になっているのではないかと、
ああ虚しい・・・
しかし何の分野でもそうだけど、
ほんとになにこれ、この人ら全員音楽関係者じゃないでしょ?
趣味・・・?て思うぐらい詳しい人がわんさかいるのね。
前に教習所でよく話した女の子がバリバリの音響系で、
中学出てから音楽系のバイト続けて金貯めて、
これから東京行って仕事探すと言ってたけど、
日本のCDは全部ノイズがうるさくて汚いって言ってた。
まともに聴けるのは宇多田くらいだと。
わかんねーわかんねー
ゲームの話。
RPGが鍛えれば誰でもクリアできるゲーム
という解釈はあまりに古い。
ゲーム性とは、あればあるほど良いわけではない。
高いゲーム性とは将棋であり囲碁、
それはまさしく極論的な原理主義的示唆ではなく、
ビデオゲームのゲーム性の延長上の到達点として
認識されるべき本当のゲーム性なのである。
じすさんとかポーンさんはさらに
先に先にイッちゃってるんだろうけど。
これは認めざるをえない事であって、
今現在、囲碁や将棋よりゲームをやっている人間は
ゲーム性より他の何かをまず重視する人間なのである。
これは一つの仮説でしかないが、
STGや格闘ゲーを嗜好する人はあまり体を動かさない。
RPGをやってきた人間は出不精である。
ネットがあれば人は無人島で誰と喋らずとも、
精神に異常をきたさないでいられるだろう。
人間の精神は無ければそれを埋めようとする
神のルールに支配されている。
"似た何か"で埋めれば、人は動かない。
だが精神の正常は保たれる。
これは人の意志とか信念とかで覆るものではなく、
まさに抗いがたい運命、たとえば
遺伝による才能を覆すために努力とは遥かに無力であり、
常に努力を求められる"場"に自らを投げ込む事だけが
才能を覆す方法となりえるように、
それはそれと感覚できるものではなくまるで
進むべき未来が決まっていて、
そこに歩を進めるがごとく進行する。
断言できるが、ネットが無くなれば
ニートは激減するだろう。そうと自覚することなく、
なんとなく、普通に、社会に出てゆく。
えーと、だからRPGは・・・
プログラム的観点からゲームを作る時にはまる落とし穴。
それは作者がアルゴリズムが見えている為に起こる。
作者には情報の流れが見えている。
それを追っていける。それによって、
その情報の編みなす複雑性にゲーム性を感じ、
その面白さに酔いしれる。
だがプレイヤーにはその情報の流れが見えていない。
そもそも情報が流れていることに気づいていない。
プログラマーがしばしば作る、なにが面白いの?
系ゲームの原因がこれである。
だからゲームはアルゴリズムが目に見えなくてはいけない。
情報の流れが見えなくてはいけないし、
複雑性が目に見えなくてはいけない。
もちろん同じプログラマーにはその面白さは理解されるだろう。
あるいは材料力学を覚えたばかりの学生が、
さまざまな木片を曲げ、応力の集中点を予想して
それを当てる面白さは、
共に学ぶ学友にならすぐに伝わるかもしれない。
けれど普通の人には伝わらない。
複雑性の流れが見えていないからです。
芸術とエンターテイメントの違いは思うに一点、
受け手に何か必要とするか、何も必要としないか。
mm
冷やすのに冷凍庫に入れたのがついつい忘れて
今シャーベットビール飲んでるなんて信じます?
スラーッシュ!!
一年ぶりぐらいにランニングして筋肉痛ぐががが
>タケさん
お、遅れてすいません!
よろしくお願いしますー
一応TiMidity++とか入れていろいろ聴いてみたけど、
やっぱ音質の問題じゃねえって。うでうで。
所詮、倍音と音響の多寡だもの。
日本人は元々和音、ひいては音の縦の成分に関する
耳が鈍いんだし、西洋の不協和が協和になったり、
でもそれを音楽のために耳を鍛えるってのは違うだろ。
音を楽しまずして音楽と言わず。
そもそも人間の脳には欠落した和音倍音を
補完する機能があってですね、むしろその自由度が
レトロ音楽を飽きさせない要因になっているのではないかと、
ああ虚しい・・・
しかし何の分野でもそうだけど、
ほんとになにこれ、この人ら全員音楽関係者じゃないでしょ?
趣味・・・?て思うぐらい詳しい人がわんさかいるのね。
前に教習所でよく話した女の子がバリバリの音響系で、
中学出てから音楽系のバイト続けて金貯めて、
これから東京行って仕事探すと言ってたけど、
日本のCDは全部ノイズがうるさくて汚いって言ってた。
まともに聴けるのは宇多田くらいだと。
わかんねーわかんねー
ゲームの話。
RPGが鍛えれば誰でもクリアできるゲーム
という解釈はあまりに古い。
ゲーム性とは、あればあるほど良いわけではない。
高いゲーム性とは将棋であり囲碁、
それはまさしく極論的な原理主義的示唆ではなく、
ビデオゲームのゲーム性の延長上の到達点として
認識されるべき本当のゲーム性なのである。
じすさんとかポーンさんはさらに
先に先にイッちゃってるんだろうけど。
これは認めざるをえない事であって、
今現在、囲碁や将棋よりゲームをやっている人間は
ゲーム性より他の何かをまず重視する人間なのである。
これは一つの仮説でしかないが、
STGや格闘ゲーを嗜好する人はあまり体を動かさない。
RPGをやってきた人間は出不精である。
ネットがあれば人は無人島で誰と喋らずとも、
精神に異常をきたさないでいられるだろう。
人間の精神は無ければそれを埋めようとする
神のルールに支配されている。
"似た何か"で埋めれば、人は動かない。
だが精神の正常は保たれる。
これは人の意志とか信念とかで覆るものではなく、
まさに抗いがたい運命、たとえば
遺伝による才能を覆すために努力とは遥かに無力であり、
常に努力を求められる"場"に自らを投げ込む事だけが
才能を覆す方法となりえるように、
それはそれと感覚できるものではなくまるで
進むべき未来が決まっていて、
そこに歩を進めるがごとく進行する。
断言できるが、ネットが無くなれば
ニートは激減するだろう。そうと自覚することなく、
なんとなく、普通に、社会に出てゆく。
えーと、だからRPGは・・・
プログラム的観点からゲームを作る時にはまる落とし穴。
それは作者がアルゴリズムが見えている為に起こる。
作者には情報の流れが見えている。
それを追っていける。それによって、
その情報の編みなす複雑性にゲーム性を感じ、
その面白さに酔いしれる。
だがプレイヤーにはその情報の流れが見えていない。
そもそも情報が流れていることに気づいていない。
プログラマーがしばしば作る、なにが面白いの?
系ゲームの原因がこれである。
だからゲームはアルゴリズムが目に見えなくてはいけない。
情報の流れが見えなくてはいけないし、
複雑性が目に見えなくてはいけない。
もちろん同じプログラマーにはその面白さは理解されるだろう。
あるいは材料力学を覚えたばかりの学生が、
さまざまな木片を曲げ、応力の集中点を予想して
それを当てる面白さは、
共に学ぶ学友にならすぐに伝わるかもしれない。
けれど普通の人には伝わらない。
複雑性の流れが見えていないからです。
芸術とエンターテイメントの違いは思うに一点、
受け手に何か必要とするか、何も必要としないか。
mm
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