abab
2006年6月14日何もしてなさっぷりに愕然。
Artifactの基本仕様がやっと決定。
くそおコードを打て!
初めの一字だけ頑張ればいいんだ。
後は惰性がやってくれる!
・・・ああ、やっぱりだめだ・・・(駄目すぎ
コンピューターの!
面白さを見せてやる!
・・・ああ、やっぱりだめだ・・・(bskt
世の中のことがつまんなく見えたり、
世界が変化なくダラダラして見えたり、
どいつもこいつも勘違いしたこと堂々とのたまってやがるな〜
というのは全部自分がそうだからなのだな。
散歩したら木の大きさに感動した。
こっちに来た頃は風呂あがりに裏山の展望台まで登って、
柵にまたがって夜風で涼んでた事もあったが。
少し休みすぎた?
石畳はもう跡形もありませんよwww
それはある種のプライドと直感だった。
世界と仲の良い者は世界の本質を知ることはできない。
世界に嫌われた者だけが世界を理解することができる。
十分に哲学をやり尽くすと、
人はその次に宇宙に向かう。
物理学的な意味での宇宙ではなく、
価値としての宇宙を問うようになる。
その次は・・・、
数学かな?
記述と理解は物事の等価性の断定であり、
いかな柔軟な数学的発想をもってしてもその解釈は
ニューロン間の結合形態のいずれかでしかなされえず、
結局のところ、感情論から導かれる
本質的な論理の無価値性は覆ることがない、
という結論だったんだけど、
もしかしたら、そうでもないのかも。
何か一つでも確かなもの?
まだまだ見つかりそうもない・・・
感情論はもう古すぎる理論だ。
考えたのは世界情勢も存思も宇宙もよく知らない頃。
今なら状況の理論がある。
状況は関係を表し、関係は論理を表し、論理は数式を表す。
状況の理論は状況の数だけ価値の数も認めている。
それは感情論が論理の結論の価値を
その論理の連鎖の末端である感情、
つまり点に対して点の解答を示したのに対し、
状況の理論は、点に対してある種の数式を満たす点の集合を
総合的に評価することで価値を導く。
明文化したことで新たに残酷かつ希望的な仮定が生まれた。
感情論から状況の理論へのステップアップは、
僕自身のネットワークの成長が起因しているのではないか。
つまり価値の希求の仕方が、年齢によって変化する。
言うまでもなく、これは意識下の価値観の変化を
指しているのではない。
いわば、どのようにして価値観を変更するかの手続きが
変わっているという意味である。
実際、幼児の感情は成長するにしたがって、
単純なものから複雑なものが"派生"していくという。
これが速度を減じて生涯起こっていても不思議ではない。
これはすばらしい。
もし現時点で自分の思考原理を完全に解明してしまったとしても、
年齢を重ねることでまだ見ぬ思考原理を
備えることができるかもしれない。
自分自身の思考原理が可変でありその変化が未知であること。
これは希望だ!やっと見つけたぞ!
アタマ打ちました?
まあその変化が予測できてしまえば何も変わらんがね・・・
絶望さん、たまには手を抜いて下さい。
いや、残念ながら状況の理論はすでに
それら全体を包括している。
結局はネットワークのカプセル化なのだ。
悔しさや切なさが幼少の状況をカプセル化して
感情の一つとして作成されるように、
状況の理論は完全にカプセル化されていない状況を
意識的にまとめ上げることでそれを一個の感情とみなす。
状況の明確なカプセル化が一定水準で低迷するのは
人間のネットワーキングが発展途上というより、
それ以上の感情の多様化は生存の上で
特に有益ではないからだろう。
むしろ、それ以上の細分化は
エピソード記憶という形でカプセル化されているのかもしれない。
さて、記憶とは何だ。
ネットワークの全ては記憶から出来ていると言える。
記憶は観測から抽出された数式であるとも言える。
言葉遊びから来る誤解か。
記憶とは状況の断片に過ぎず、
意思決定の為の"おかず"でしかない。
ここまで来るとまただんだんムカついてくるな。
神め。
Artifactの基本仕様がやっと決定。
くそおコードを打て!
初めの一字だけ頑張ればいいんだ。
後は惰性がやってくれる!
・・・ああ、やっぱりだめだ・・・(駄目すぎ
コンピューターの!
面白さを見せてやる!
・・・ああ、やっぱりだめだ・・・(bskt
世の中のことがつまんなく見えたり、
世界が変化なくダラダラして見えたり、
どいつもこいつも勘違いしたこと堂々とのたまってやがるな〜
というのは全部自分がそうだからなのだな。
散歩したら木の大きさに感動した。
こっちに来た頃は風呂あがりに裏山の展望台まで登って、
柵にまたがって夜風で涼んでた事もあったが。
少し休みすぎた?
石畳はもう跡形もありませんよwww
それはある種のプライドと直感だった。
世界と仲の良い者は世界の本質を知ることはできない。
世界に嫌われた者だけが世界を理解することができる。
十分に哲学をやり尽くすと、
人はその次に宇宙に向かう。
物理学的な意味での宇宙ではなく、
価値としての宇宙を問うようになる。
その次は・・・、
数学かな?
記述と理解は物事の等価性の断定であり、
いかな柔軟な数学的発想をもってしてもその解釈は
ニューロン間の結合形態のいずれかでしかなされえず、
結局のところ、感情論から導かれる
本質的な論理の無価値性は覆ることがない、
という結論だったんだけど、
もしかしたら、そうでもないのかも。
何か一つでも確かなもの?
まだまだ見つかりそうもない・・・
感情論はもう古すぎる理論だ。
考えたのは世界情勢も存思も宇宙もよく知らない頃。
今なら状況の理論がある。
状況は関係を表し、関係は論理を表し、論理は数式を表す。
状況の理論は状況の数だけ価値の数も認めている。
それは感情論が論理の結論の価値を
その論理の連鎖の末端である感情、
つまり点に対して点の解答を示したのに対し、
状況の理論は、点に対してある種の数式を満たす点の集合を
総合的に評価することで価値を導く。
明文化したことで新たに残酷かつ希望的な仮定が生まれた。
感情論から状況の理論へのステップアップは、
僕自身のネットワークの成長が起因しているのではないか。
つまり価値の希求の仕方が、年齢によって変化する。
言うまでもなく、これは意識下の価値観の変化を
指しているのではない。
いわば、どのようにして価値観を変更するかの手続きが
変わっているという意味である。
実際、幼児の感情は成長するにしたがって、
単純なものから複雑なものが"派生"していくという。
これが速度を減じて生涯起こっていても不思議ではない。
これはすばらしい。
もし現時点で自分の思考原理を完全に解明してしまったとしても、
年齢を重ねることでまだ見ぬ思考原理を
備えることができるかもしれない。
自分自身の思考原理が可変でありその変化が未知であること。
これは希望だ!やっと見つけたぞ!
アタマ打ちました?
まあその変化が予測できてしまえば何も変わらんがね・・・
絶望さん、たまには手を抜いて下さい。
いや、残念ながら状況の理論はすでに
それら全体を包括している。
結局はネットワークのカプセル化なのだ。
悔しさや切なさが幼少の状況をカプセル化して
感情の一つとして作成されるように、
状況の理論は完全にカプセル化されていない状況を
意識的にまとめ上げることでそれを一個の感情とみなす。
状況の明確なカプセル化が一定水準で低迷するのは
人間のネットワーキングが発展途上というより、
それ以上の感情の多様化は生存の上で
特に有益ではないからだろう。
むしろ、それ以上の細分化は
エピソード記憶という形でカプセル化されているのかもしれない。
さて、記憶とは何だ。
ネットワークの全ては記憶から出来ていると言える。
記憶は観測から抽出された数式であるとも言える。
言葉遊びから来る誤解か。
記憶とは状況の断片に過ぎず、
意思決定の為の"おかず"でしかない。
ここまで来るとまただんだんムカついてくるな。
神め。
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